なぜ、時間を生かせないのか/田坂 広志 09053 | 年間365冊×今年20年目 合氣道場主 兼 投資会社・コンサル会社 オーナー社長 兼 グロービス経営大学院准教授による読書日記

なぜ、時間を生かせないのか/田坂 広志 09053

田坂 広志
なぜ、時間を生かせないのか
―かけがえのない「人生の時間」に処する十の心得
★★★★★
「グローバルリーダーのマインドとスキル」の合宿以来、
どうも自分の「生ぬるさ」が氣に食わない。

仕事もMBAも読書も、成果を出しているじゃないか、

と自分に言い訳をしてきたことに

どうやら氣づいてしまったようだ。


 我々は、忙しい仕事と生活のなかで、
 時間を大切にしたいと願っています。
 そのため、タイム・マネジメントをはじめ、様々な努力をします。
 しかし、どれほど努力をしても、時間を大切にできない。


 氣がつけば、無為に時を過ごしてしまう。



 そして、その無為に過ごした時を悔いる。



 それは、なぜでしょうか。



 「努力」が足りないからでしょうか。



 そうではありません。



 それは、



 「努力」が足りないのではない。



 「覚悟」が足りないのです。



 なぜ、我々は、時間を大切にできないのか。



 それは、我々が、無意識に、
 「時間は無限にある」と思っているからです。



 しかし、実は、我々に与えられている時間は、
 無限には、ない。



 一人の人間に与えられている時間は、
 たかだか八十年。



 その時間の長さを、
 「無限」と思うか、
 「一瞬」と思うか。



 その「覚悟」が、問われているのです。



 もし、それが「一瞬」のごとき短い時間であると覚悟するならば、
 我々は、与えられた時間のかけがえのなさを、知る。
 そのとき、我々は、
 黙っていても、時間を大切に使えるように、なる。



 人生には必ず「終り」がある。
 そして、その「終り」がいつ来るかは、誰にも分からない。
 そして、この人生は、たった一度しかない。



 そのことを、本当に深く覚悟するならば、
 与えられた時間のかけがえのなさは、
 黙っていても、体に沁み込みます。


 

 では、その「覚悟」を、いかにして掴むか。


 「砂時計」の音に耳を傾けることです。



 我々の横には、目に見えない「砂時計」がある。
 さらさらと砂が落ち続ける「砂時計」です。
 そして、この「砂時計」の砂が落ち切ると、我々の命は終わる。
 けれど、その砂の残量は、誰にも見えない。分からない。
 しかし、その砂が落ち続ける音は、聞こえてくる。



 その「砂時計」の音に耳を傾けることです。



 その「砂時計」の音を耳にしながら、この一日一日を、生きていく。



 そのとき、我々のなかに、一つの「覚悟」が生まれます。



 かけがえのない「人生の時間」を生きる、
 その「覚悟」が生まれます。



 世の中には、
 時間を大切にして生きる人がいます。
 人生を大切にして生きる人がいます。



 そして、
 密度の濃い時間を生きる人がいます。
 密度の濃い人生を生きる人がいます。



 しかし、そうした人々の生き方の根本には、
 必ず、一つの「覚悟」がある。



 かけがえのない「この一瞬」を生きる。


 その「覚悟」があります。



 されば、我々の日々の時間の密度、
 そして、人生の密度を定めるのは、何か。



 それは、その人間の「いかに生きるか」の覚悟に他ならない。



 そのことを理解するとき、
 我々は、大切なことに氣がつきます。


 「なぜ、時間を生かせないのか」という問いは、究極、
 「いかに生きるか」という問いに他ならない。



 そのことに、氣がつくのです。


 そして、そのことに氣づくとき、
 我々は、古くから語られる
 あの心得の意味を、掴むのです。


 過去はない。
 未来もない。
 あるのは、永遠に続く、いまだけだ。
 いまを生きよ。
 いまを生き切れ。



覚悟が足りない自分。

それに氣づいてしまった。

いや、やっと目が覚めたんだ。


そっと、砂時計の音に、耳を傾けよう。

そこから、やりなおそう。



なぜ、時間を生かせないのか/田坂 広志 07042

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