身体を通して時代を読む/甲野 善紀, 内田 樹 07052 | 年間365冊×今年20年目 合氣道場主 兼 投資会社・コンサル会社 オーナー社長 兼 グロービス経営大学院准教授による読書日記

身体を通して時代を読む/甲野 善紀, 内田 樹 07052

甲野 善紀, 内田 樹
身体を通して時代を読む
★★★★★

私の身体は頭がいい―非中枢的身体論/内田 樹 06357

の内田樹教授と甲野善紀先生の対談本。

氣付きも多く付箋だらけになってしまった。

 いい教師というのは、相手が自分で気づいたと思わせるように

 指導しないといけないのです。

 そうするか、しないかで身に着け方が大きく違うものになるのです。

 優れたセールスマンは絶対に押し付けないものです。

 結論は相手に出させるのです。

 そういう結論に誘導するための材料だけを与える。

 そうすれば、人は自分で出した結論には

 積極的になりますからね。


 <中略>


 数ある教えの中でも私自身最も納得がいったのは、

 人間は他から強制されたものは、

 それが仕事であれ、学問であれ、トレーニングであれ、

 決していい結果を残さない、どうすれば自発的にそのことに

 取り組めるか、それを指導するのが大切なのだ、という意見です。


身体論・武術論としても興味深い本だったが、

教育論としても重要な示唆に富んでいる。

子供や社内での後輩(後輩に限らないが)育成に

大いに参考になる。


 僕がだらけた若者をあまり叱らないようにしているのは、

 一度叱ってしまうと、自分の叱責の正当性を証明するために

 彼らがほんとうに生き延びられないような

 ひどい目に遭って泣いて後悔するような事態の到来を

 無意識に望んでしまうからです。

 「そんなんじゃ生き延びられないぞ」といった以上、

 彼らが「滅びる」ことこそが僕の判断の正しさを

 裏付けるわけですから、

 僕としてはぜひとも彼らに「滅びて欲しい」ということになる。

 それは僕の本意じゃないんだけれども、

 無意識にそう願うことは止められない。

 それがいやなんです。

 だから、若い人がどれほど自滅的な選択をしても

 あまりきつく叱る気にはなれないんです。


なるほどなぁ。。。

部下を叱る、後輩を叱る、子供を叱る、

という時に、自分の中にそのような偽善性がないかどうか。

改めて自らを振り返ると自信が無くなる。


 これはきっぱり断言できますけれど、

 僕は甲野先生よりは「甲野先生に技をかけられた」

 感じについては詳しいですよ!

 甲野先生の不幸は、「甲野先生に技をかけられたことがない」

 ことだと思いますよ。うん。


「甲野先生の技を多く受けている」

それならば、いまの私は屈指の存在かも(笑)。

「良い技を数多く受ける」ということは非常に大切なことだ。

見取稽古も重要だが、

見た技を頭の中で言語化したり論理化するだけでは

技の本質を見失うことになると思う。

身体知に叩き込むためには

「良い技を数多く受ける」に勝るものは無い。


 先日、阪神大震災の10年目だったので

 久しぶりに震災のことを思い出しました。

 まず、思い出したのが「その時の記憶が無い」

 ということです。

 僕はわりとクールで、天変地異に遭遇しても

 あまり動じない方なんですが、

 地震の翌日、大学に行って自分の部屋を

 片付けた瞬間に記憶が止まっているんです。

 たぶん、被災状況を見て、

 あまりのスケールの大きさに記憶が「仮死状態」

 になったんじゃないかと思うんです。


このことは私も感じている。

新人の頃、西宮の独身寮で被災したが、

なぜか記憶が断片的でしかない。

当日の夕方、近所のけが人を西宮中央病院に

運んでいって、その廊下に死体なのかけが人なのか

よく分からない物体(としか認識できなかった)が

数多転がっているのを見た直後から、

記憶が無いのだ。


あまりに衝撃的な、受け入れがたい光景を目にすると、

それを記憶の中に入れることを無意識に拒絶するのだろうか。


そのような経験を他にもされた方がいたのを知って

なぜか少し安堵した。