今年の9月には口の中を丸はだかにされました。

mano、丸はだかに・・・!

 

わたくしの持ちうる情報が世の役にたつなら、

それはそれでエエことで、エエじゃないか、エエじゃないか

の氣持ちなのですよ。

 

語弊があったらすまないのですが、

生きてるうちに献体 の意識とでも申しましょうか。

 

しんで焼かれてしまったら、トンと役にたたない

カルシウムの集まりになるワケです。

 

今年はなんだか

 

 生きているうちにできること

 

が指標になっていたように感じます。

 

丸はだかは口の中だけではありません。

現在、わたくしの腸もみ≒養腸セラピーの手技も

絶賛(?)調査中です。

 

 どの辺を押してるの?

 どんなリズムで?

 どんな圧で?

 

わたくしも知りたいじぶんの手技のこと、

おへそから何センチくらいのところを押してる、のように

アナログ計測ですが、データを集計してもらう機会がございました。

 

詳しいことは載せられませんが(守秘義務とかあるのですよ)

なんだかね、オモシロかったのですよ。

 

地味にスゴい。 に通ずるのかもですが

こういう地味で地道でベタな作業の繰り返しで

いいものや次に「つながる何か」が生まれてゆくのだろうなぁ。

 

計測してもらうと、じぶんの手技を改めて

客観的に見ることができます。

 

 アレ?けっこういい手技じゃん

 

養腸セラピーの特長を説明するほどに

これ(養腸セラピー)ってむっちゃくちゃ理に適ってるかも、

人体、心身へのいい影響は数知れずに思えました。

 

丸はだかにされるのは勇氣が要ります。

オープンになるってことは

全部さらけ出すことだから。

 

 情報ダダ漏れ状態 です。

 

ダダ漏れにしてこそ、得るものがあったり

ダダ漏れにすることで、喜ぶ人がいるのがわかるから

できることで。

 

じぶんの持っていること、モノを

さらけ出すのは正直こわいのですよ。

※基本チキンです

 

こわくても、やる価値と意義と意味があるから

こわいけど、同時にワクワクするから

やれるんだなーって。

 

なにより、カルシウムの集まりになっちまったら、

さらけ出したくてもできないもんね。

 

 生きてるうちにできること

 

宇宙サイズで見たら、ミトコンドリアよりちっぽけなじぶんだけど

そんなじぶんができること、にチャレンジする時機なのでしょうね。

 

とくれば、さらけだす ことは、わたくしが

クリアすべき課題ではなく、むしろ

チャレンジできるギフト をもらったということ。

 

ギフトはいつだって、うれしい^^