子供の頃、みっくんの団地はいつも酒の臭いが充満していた。父親は失踪し、母親はアル中だった。酒臭さを隠す為にいつだってマスクをしている人だった。
みっくんにはかわいい弟がいて、よく三人で野球をやって遊んだ。みっくんはリトルリーグで一緒だった。キャッチャーだった。
と、ちょっと文体がプロジェクトXみたいになった。
そんなことはさておき・・・
このみっくんというのが、また野球が馬鹿みたいに巧い奴で、よく日本代表として台湾とかに遠征に行ったりしてたもんだ。俺はもう少し、ほんの僅差でその代表にはいつも入れなかったけど。ほんの少しの差で。本当にね、メトリックシステムで言えば1ミリくらいの差だね。まぁ、そんなのはどうでもいいや。
今になって思うとどうやって生活してたのかと思う。生活保護でも受けてたんだろうか? そういうシステムがあの頃あったのかしらん? でもみっくんは生活してた。アル中の母親と弟と三人で。遊びに行くといつもプリンを出してくれたっけ。。。
みっくんは小学校を卒業すると名古屋へ引っ越した。ウルトラマンのソフビ人形を旅立つ前にくれたんだけれども、俺はそれを公園の木の下に埋めたんだよな。何で埋めたのかが思い出せないんだけれども、それなりの理由があったんだと思う。まだ掘り起こしてないから、ひょっとしたらまだあるかもしれない。
俺が30くらいの頃、みっくんがウチの実家を突然訪れた。俺はもう実家にはいないので会うことはなかったのだけれども、アパートの保証人になってくれと頼みに来たらしい。
その後、一度だけ電話が来て、みっくんと話しをした。
名古屋での生活は散々だったらしく、最後には母親は寝ている弟を包丁で刺し殺し、灯油を被って焼身自殺したとのことだ。ニュースにもなったらしい。みっくんはたまたま外に出ていて巻き込まれずに済んだ。
なんちゅう人生だ!
俺は思わずつっこんだ。
でもそういう奴っているんだよね。死刑囚の家族だってやはりいる訳で・・・。
メシでも行こうと約束したまま何年も経ち、昨日たまたまトラックで酒を運んでいるみっくんに遭遇した。
「みっくん」
そう声を掛けると、初めは俺が誰だか分からなかったようだが、すぐに思い出し「おう」と笑って応えた。
劇団観に来てよと言おうと思ったけど、何か言えなかった。
あんな人生を生きて来たのに屈託のない笑顔で言い放った「おう」に感動した。
負けてらんねえなぁ・・・と、苦笑いの心境なのでありました。
さようなら