昨日も少し紹介した『書物』(昭和十九年発行)には、出版業者や著述家とって耳の痛い話しが幾つか掲載されている。というのも記載時期は遡るととはいえ、森銑三は、書籍の粗製濫造や、出版業者や著述家が営利目的に走りしぎることへの警告を発しているからだ。とても戦時下(はじがきの記した時期を見ると、昭和十八年五月下旬とある。余談だが、山本五十六元帥が戦死したのは、前月の十八日である)であるかのような文面は見あたらないが、おそらくその底流には、希少な書物が失われていくことへの危機感や喪失感があったであろうことも想像できる。


著述家には、「書物を拵へる技術ばかりを心得て、著述といふことを安価に考へ、ただ技術的な手腕に依ってつぎつぎと書物を拵へて、それで生活して行かうとする職業的な著述家などといふものは、実のところ私等にはありがたからぬ。」と、生ぬるい書き手を一刀両断している。加えて、良寛和尚の思想を披露して、書家の書、詩人の詩、料理人の料理、そして著述家の著述などは、嫌ひなものに数えたと記しているのが面白い。


また出版界などに対しては、こんな事もいっている。「出版界のみとは限らぬが、儲けさへすれば成功したのだという考へ方は、あまりに浅ましい。たとひ損はしても、失敗はしても、良書を送り出して、それが天下後世を益するなら、己の懐は肥えなくても、時にはために痛手を負うても、出版業者として立派に成功したのだ。さういう信念で仕事をしてくれる人が出てくれたら、いかばかりか頼もしいこととだらう。・・・一人前の男が、ただ、口を糊して行くといふ一事のために貴重な一生を棒に振ってしまはうとしていゐるのは、決して褒めたこととはいはれまい。」


続けて、「まず儲けて置いて、それからほんたうにいいものを出して、理想の実現を期します、といふ態度の業者もゐそうな気がする。しかしその通りに実行した実例は存外に乏しいのではなからうか。十も二十も悪いことをして、罪悪消滅のために一つか二つ善いことをして、それで涼しい顔をしようとするのはあまりに虫が善過ぎる。」いや、いや、なかなか手厳しご意見である。果たして、昨今の現状を見たら、森先生はどのように思われるのか、怖いながらもじっくり聞いてみたい気はする。


 

『書物』現代生活群書

森銑三・柴田宵曲 著

白揚社 昭和十九年三月(2000部)