重松 清
哀愁的東京

秋に藤野に引っ越す前、東京にいる意味ってやつを考えていた。郊外といえど一応実家は東京なのに、都内でひとり暮らしを始めた理由はたぶんふたつ。ひとつは、実家が団地で兄弟も多く自分の部屋への憧れがあったこと。そしてもうひとつは、自分がやろうとしていることをやるにはもっと都心に近いところに住む必要があった、ということだった。好きなことをやる分、自立もしたかった。風呂なしだけどかなりの広さのあるアパートで5年半、生活した。
東京にいる意味。そんなものはとうの昔になくなっていたのに今さらそんなことを考え出したのは2年振りに文章を書き始めたことが大きかったように思う。やっぱり書こう、そう決めたらいつまでも逃げてるわけにもいかなくなった。気づかないふりをして毎日同じことを繰り返していたら、いよいよ息苦しくなってきた、というわけである。

“もうこういう生活はいいかな”

それはかなり明るい、ポジティブな結論だった。そう認めることは寂しくもあったが、中途半端でどっちつかずの生活を送っていた、無感覚で無感動な日々よりは何もかもが明るく眩しく見えた。東京から離れるということは、イコール過去への未練を断ち切るということだった。東京にいる意味はもうない、と自分で自分に烙印を押したのだ。ずっと捨てられなかった押し入れのたくさんの資料や本、最初の取材から全部とってあったインタビューテープなんかを私はいっさい処分した。古いアパートの、パンパンに物が入っていた大きな押し入れは、それが夢だったみたいに7割がたがらんどうになってしまった。

その頃訪れてすっかり気に入ってしまった藤野に引っ越して、当分は、文章を書きながらのんびり過ごすことにした。


ところが不思議なものでそう決めた瞬間からたくさんの人から連絡があったり面白いことが起こった。ポジティブな結論のもと、わりと元気だったオレもまた、そういった連絡や面白いことに飛びつくことができた。あのまま東京にいたら、連絡をとったりはしなかっただろうし、面白いことも起こらなかっただろうと思う。

東京にいる意味はない、と認めたら、東京にいる意味ができてしまった。今は毎日、片道2時間かけて仕事にかよい、千葉を拠点にするバンドの手伝いをして、打ち合わせのたびに23時前には“終電が~!”と言って電車に飛び乗っている。

のんびり文章に向き合う予定は少し変わって、
体は大変になったけど、なんだか楽しい。
東京は人を強くもするし、弱くもさせる。

のんびり文章に向き合うのは、
もう少し先の楽しみにとっておこう。