2011年12月13日(火)
皆既月食の夜に
テーマ:音楽
皆既月食の夜、
水野さんとKYOUさんのライブを見に、
藤野のレストラン「直子の台所」へ行った。
ウッドベース奏者の水野さんと即興ピアニストのKYOUさんは
「FUKUSHIMA」というチャリティCDを発売した。
青梅、国分寺、そして藤野で行なわれた発売記念ライブ。
私は運良く、国分寺と藤野の2箇所のライブを見ることができた。
KYOUさんのピアノは、
鍵盤を叩いて出る音、という印象がない。
感情や感動、そしておそらくは心象風景が
まるでピアノなんか関係ないかのように、音になって溢れてくる。
微妙な心の動きに合わせて音が揺れ動き、いつのまにか音楽を創る。
そして、聴いているうちに、心は落ち着く。
心の中は、どんな感情があっても本来は静かなのだといつも思う。
たいして水野さんは
全体を見渡すような広さで、音楽を創る。
どっしりとして、冷静で、柔らかさに満ちた音楽は
宇宙のようにすべてを包み込み、すべてを見つめている。
水野さんの音楽を聴くと、
私はこの目に見えるものが好きになる。
そんなふたりのコラボレーション。
絶対的に豊かな情景と、そこに踊る感情のコラボレーション。
とても贅沢で美しかった。
演奏されるひとつひとつの曲には
3.11後のさまざまな思いやエピソードがあった。
しかし曲自体は、ただ音楽として美しいのだった。
チャリティという時、脱原発を唱える時、
まして、それをアーティストが訴えようという時、
それは誤解を生みやすいことのように感じていた。
しかしふたりの演奏を聴いて、ただ感動しているうちに、
表現することそのものがもはや訴えなのだと
なんだかとても幸せに、腑に落ちた。
表現は表現として在ればいい。
表現としては、無意識でいいのだ、と。
表現とは、感動をうむもの。
そして感動はまた新しい何かを勝手に生んでいく。
ちょうど今日の私が、感動から小さな気づきを得たように。
ライブのあと、そんな感動を抱えたまま
仲間と焚き火をして皆既月食を見た。
欠けていく月に、自分でも驚くほど吸い込まれた。
あんまり神秘的で、いつまでもいつまでも目が離せなかった。
大好きな月に映る、あれは地球の影。私の影もあの中にある。
あれも、私だ。これも、私。
そして肉体としては、今ここにいる。
ふとkazさんを思い出して
kazさんもこっちおいでよと思った瞬間に
友だちが「kazさーん!」と叫んだ。
「さっき呼んだからもうこのへんいると思うよ」と私は笑った。
皆既月食真っ最中に、なぜか友だちがマッサージしてくれて
身体に触れてもらっているうちに
その場にはいなかった仲間の顔が
友だちをとおして次々と心に浮かんだ。
いないけど、いる。
やすらかな気もちだった。
仲間と火を囲み、笑い、空を見ている。
月が欠けていくにつれ、星が増えていく。
言葉が減り、薪のはぜる音を聴きながら、
私はどこにいるのかわからなくなる。
わからなくなった瞬間、
どこにでも行ける、と気づく。
上も下も、右も左もなかった。
水野さんとKYOUさんのライブを見に、
藤野のレストラン「直子の台所」へ行った。
ウッドベース奏者の水野さんと即興ピアニストのKYOUさんは
「FUKUSHIMA」というチャリティCDを発売した。
青梅、国分寺、そして藤野で行なわれた発売記念ライブ。
私は運良く、国分寺と藤野の2箇所のライブを見ることができた。
KYOUさんのピアノは、
鍵盤を叩いて出る音、という印象がない。
感情や感動、そしておそらくは心象風景が
まるでピアノなんか関係ないかのように、音になって溢れてくる。
微妙な心の動きに合わせて音が揺れ動き、いつのまにか音楽を創る。
そして、聴いているうちに、心は落ち着く。
心の中は、どんな感情があっても本来は静かなのだといつも思う。
たいして水野さんは
全体を見渡すような広さで、音楽を創る。
どっしりとして、冷静で、柔らかさに満ちた音楽は
宇宙のようにすべてを包み込み、すべてを見つめている。
水野さんの音楽を聴くと、
私はこの目に見えるものが好きになる。
そんなふたりのコラボレーション。
絶対的に豊かな情景と、そこに踊る感情のコラボレーション。
とても贅沢で美しかった。
演奏されるひとつひとつの曲には
3.11後のさまざまな思いやエピソードがあった。
しかし曲自体は、ただ音楽として美しいのだった。
チャリティという時、脱原発を唱える時、
まして、それをアーティストが訴えようという時、
それは誤解を生みやすいことのように感じていた。
しかしふたりの演奏を聴いて、ただ感動しているうちに、
表現することそのものがもはや訴えなのだと
なんだかとても幸せに、腑に落ちた。
表現は表現として在ればいい。
表現としては、無意識でいいのだ、と。
表現とは、感動をうむもの。
そして感動はまた新しい何かを勝手に生んでいく。
ちょうど今日の私が、感動から小さな気づきを得たように。
ライブのあと、そんな感動を抱えたまま
仲間と焚き火をして皆既月食を見た。
欠けていく月に、自分でも驚くほど吸い込まれた。
あんまり神秘的で、いつまでもいつまでも目が離せなかった。
大好きな月に映る、あれは地球の影。私の影もあの中にある。
あれも、私だ。これも、私。
そして肉体としては、今ここにいる。
ふとkazさんを思い出して
kazさんもこっちおいでよと思った瞬間に
友だちが「kazさーん!」と叫んだ。
「さっき呼んだからもうこのへんいると思うよ」と私は笑った。
皆既月食真っ最中に、なぜか友だちがマッサージしてくれて
身体に触れてもらっているうちに
その場にはいなかった仲間の顔が
友だちをとおして次々と心に浮かんだ。
いないけど、いる。
やすらかな気もちだった。
仲間と火を囲み、笑い、空を見ている。
月が欠けていくにつれ、星が増えていく。
言葉が減り、薪のはぜる音を聴きながら、
私はどこにいるのかわからなくなる。
わからなくなった瞬間、
どこにでも行ける、と気づく。
上も下も、右も左もなかった。






