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2015年05月11日(月)

【メモ】 5/10 おヒマならきてよね

テーマ:日々の藤野
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女神がいました。

5月晴れ。ようやく5月病脱却の気配。
一昨日あたりから、猛仕事。

小休止に、地元・中尾地区のオープンハウスの小さなイベント「おヒマならきてよね」へ。

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from 福島

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まったりのんびり、いつもの藤野の光景

ライブステージを見て、東日本大震災や保養キャンプ、ネパール地震の支援などの
フリマやお店を廻って、洋服やらキッチン用品やらをゲット。

ごはんは春を堪能。ああ、うまい。
向かいの席でごはんを食べていた地元の方から、空き家情報をゲット。
今度見に行ってみよう。

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ここ何年か開催されている「おヒマならきてよね」だけど
じつは参加したのは初めて。
ああ、藤野だなぁ~っていう心地いいイベントだった。

仕事あったので、2時間ほどで帰宅。
もうちょっとゆっくりしたかったなぁ。



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2015年05月04日(月)

田舎対応

テーマ:日々
朝、目覚ましがけたたましく鳴って、目を覚ました直後のことだ。
バタバタバタ、ガチャン! と勢いよくドアを開ける音がして
ダンダンダンと勢いよく階段を駆け上ってくる人がいる。
その足音に負けじとも劣らない息の荒さに、驚いて、目が冴える。

同居人、やちこである。
どうやら、忘れ物をして取りに帰ってきたようだ。
あまりにも息が荒いのでかわいそうになり、
声をかけて、駅まで送る。
たぶん、起きて3分後ぐらいには、車のエンジンをかけていた。
頭はボサボサ。目は半開き。かろうじて、メガネは忘れずにかけた。

帰り際、アイスコーヒーを飲みたいと思って、コンビニに立ち寄る。
淹れようとしたまさにその瞬間、某宅配便のおにいさんが
声をかけてきた。

「日連の○○さんですよね。お荷物あるんですけど、今日はどなたかいらっしゃいますか?」

田舎では、大抵顔が割れている。当たり前のことだ。
不在なことが多いので、確認したのだろう。

「あ、これから戻ります。そのあとはずっといます」

「そうですか。それじゃあのちほど…」

「それか、今受け取ってもいいですけど」

「あっ、じゃあ今、荷物探してきますねー」

待つこと数分。コンビニの駐車場で受け取る。
昨日、ネットで頼んだ本たちだ。

田舎は、優しい。顔を覚えてくれていて、臨機応変に対応してくれる。
こういうことがあると、ほっこり嬉しくなる。

やちこが
「田舎対応のおかげで、都会みたいな利便性の良さ」
みたいなことを言っていたけど、すごく納得。

(そういえば、実家は団地だけれど、
昔は不在のときはお向かいさんやら下の方やらが
代わりに荷物を受け取ってくれてたな。
うちも受け取るから、お互い様っていう感じで、当たり前だった。
プライバシーのほうが優先されて、いつのまにか
そんなこともなくなってしまったけれど)


朝から楽しい気分になり、仕事進めたり、本読んだり。

イベントレポート4本分と引き換えに手に入れた
mac book airを初期化して、メインPCからデータを移行する。
思ったより時間がかかってしまい、
幸か不幸か、届いたばかりの本を読む理由ができてしまった。

今日はよく、本を読んだ。
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2015年05月02日(土)

やはり、記録は大切なのである。

テーマ:日々
先日、4月26日、自然食品店しみづが閉店した。
悔しかった。悲しかった。
自分のお金の無さとか、地域の特性上、
頑張ればやっていけるはずの地元のお店が
地域で支えられなかったということが。

その翌日、うちでささやかなおつかれさまパーティをした。
気づいたら、歴代のバイトがほとんど集結していた。

それで、誰がいつごろどのぐらい店番していたんだろう?
なんて話になったとき、このブログが大活躍した。

このブログにはその当時のことが、
ほとんどすべて記録されていた。

私は2008年8月から1年と少し。
雑誌の編集部に就職が決まって、辞めることになったようだった。
2代目いいだれいこはそこから1年。
ちょうど入れ替えの時期にあたる年末には、
しみづさんと私と私の当時のパートナーとれいこさんとで
しみづさんの得意パスタだというカルボナーラを食わせろ!
という忘年会をしている(笑)。

その後、ハマちゃんやらしみづさんの息子さん娘さんが
お手伝いしていた時期があり、
お店も駅前に移転し、3代目やちこに移る。
ヘルプとしてときたま入っていたのは、
たいがー、みえこちゃん、たくまくん。

意外とたくさんの人が、関わっていたんだなと驚いた。

記憶というのは、自分が思っている以上に曖昧だ。
だから、記録しておいてよかったと、こんなとき、思う。

最近はもっぱらfacebookに書いていたのだけど、
気軽に投稿できたり、公開範囲を限定できるメリットがあるいっぽう、
検索機能が弱く、さらっと流れがちで過去を辿るのにはあまり向かない。

記録が記録であるために、
日々のことはやはりこちらで書いていこうと思う。

小さな決意の日。



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2014年05月19日(月)

集う。

テーマ:日々の藤野


山から溢れ出る生命力が
まちを覆い尽くす新緑の季節。
家を出るたびに、見えない何かにたちまち巻き込まれて
心の内側から、感動が湧き出てくる。

ああ、山に住んでいて良かったと、心から思う数週間。

それを少し過ぎて、緑は成熟し始めている。
落ち着きを取り戻し始めた山々の間を縫って、車を走らせた。



今日は藤野のビッグイベントのひとつ「ぐるっと陶器市」だった。

陶器市の開催場所は、藤野じゅうのあちこちに点在している。
訪ねる場所によって、空気も、匂いも、色彩も違う。




おいしいものはいろいろ食べたけど
買ったのは、マグカップひとつだけ。

「まんぼうはお金ないでしょ。1000円でいいよ!」
大好きな、仲良しの陶芸家さんが、そう言って
本当に1000円で売ってくれた。
ただでさえ、普段より安い陶器市価格の、半額以下だ。

友だちの恋路を心配していたら
「まんぼうにも、幸せになってほしい」
とぽつりと言われた。照れた。

仕事でもお世話になったことのある地元の方に
牛すじ煮込みをふるまってもらった。
お礼に、テントの片付けを手伝った。

森の中にある広いテラスでごはんを食べながら
森の中というだけで、こんなにも涼しさを育んでくれるのかと
森を愛おしく思った。

ちょい悪おやじたちが
突然、漫才を始めた。
しかも面白かった。





あちこち巡るうちに、
まちの中でのバランスが取れてくる。
心を通わせるというよりも
心を繋ぐというように。


私は、その網の中にいたい、と思う。

明日は朝一番に、新しいマグカップで
コーヒーを飲もう、と思う。



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2014年04月30日(水)

始まりの日に。

テーマ:日々の音楽
嫌がる人も多いけれど、
おれは、結構、昔を振り返るの、大好き。

過去を見ていくと、自分がなぜ、
今ここにいるのかが、わかるから。

過去のいろいろなことからの流れで、
今があると、思っているから。

なかったことにはできないからこそ、
その1歩1歩を(いつでも)今へと昇華させていきたい。

今日はsjueとそれでも世界が続くなら(ex.ドイツオレンジ)という、
とても大切に思っている、ふたつのバンドのライブを見た。

彼らの「今」の中に、
私がともに過ごさせてもらった年月も、
きっとあるだろう。

そして、私が数年振りに見る彼らの「今」に、
私の知らない年月を、見た。
それは本音を言うとちょっとだけ寂しかったけれど、
それ以上に、とても嬉しいことだった。

そうか。そうか。
とても力強くなったね。どこか、確信をもったね。
相変わらず「強く」はないんだろうけれど。

sjueとの時間は現在進行形。
4年間互いに音沙汰なかったのに、
ボーカルやちこと同居することになった縁を、噛み締めながら。

バンドの浮き沈みも、同居人がゆえ、
いろいろ見かけることが多かったけれど、
乗り越えてきたんだなぁ。ふっきれてるなぁ。清々しいなぁ。
そんなライブだった。

そしてもっと過去を辿れば、
sjueとオレを引き合わせたのは、
それでも世界が続くならのボーカルしのくんだったりもする。

ほら今。過去が現在になった。

ありがとう。
私の大切な日々を、こうして、今に繋げてくれて。
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2014年03月29日(土)

ぐるぐる混ざる。

テーマ:日々の音楽
遅ればせながら、3/23 yachiko × chestercopperpot ライブ
ご来場いただいたみなさま、ありがとうございました!
やっちゃんもおれも、まさかこんなにたくさんきていただけるとは!
と驚く、満員御礼となりました。
仲良しの人たちばっかりじゃなくて、
本当に、ライブを見にきてくれたんだって人もたくさんいたり、
雪かきで仲良くなった、
お隣さんとお向かいさんと斜め向かいさんも、
みんなできてくれて、ものすごく嬉しかった。

やっちゃんのやっているバンド、sjueが
初めて藤野にきて、こもりくにライブ出演したのが、2008年。
あの時は、まーさーか、一緒に住むことになるとは
露にも思っていなかったわけだけど、
そこからもう、今の流れはあったのかもしれないって、
今だからだけど、思う。
(バンドで藤野にきてくれたのって、
sjueとウィウィマーフィーぐらいだもん)

藤野にくる前は、週5~6日は
ライブハウスに足を運ぶ生活をしていたおれが、
藤野で新しい価値観を見つけて
とてもとても楽しく充実した日々を送っていた。

それが、sjueが初めてこもりくで演奏したとき、
正反対だとばかり思っていた
それまで私が大好きだったものと、
今、私が大好きなものが、
結局は私を介して、ひとつなんだと思って、
ボロボロ泣いた。泣けた。

この日は、これまた大好きで仕方がなかったバンド、
chestercopperpotがまさかの出演をしてくれた。
藤野でチェスターのライブが見れていることが、
しみじみ、しみじみ、嬉しかった。
数年前なら、想像もつかないことだったし、
やっちゃんが藤野に越してこなければ、
こんなこともなかったと思う。
そしてやっちゃんは、おれが知る限り、
ソロでは、今まででいちばんのライブをやってくれた。

不思議なもので、この日、
shuに向かおうかという時に、
昔、いろいろとお手伝いさせていただいていた
ミルククラウンというバンドのベーシストの人から
何年振りかで連絡があって
「藤野らへんで、当日いきなり行って泊まれる安いゲストハウスとかない?」
って聞かれた(笑)。
全然わけわからなかったけど、
この日は、昔と今とが、
ぐるぐる混ざり合う日だったのだなと
思う。
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2014年03月11日(火)

2014311

テーマ:日々
3年が経った。

最初の半年、毎日はとても重くて、濃密で、
数ヶ月のできごとが、何年分にも感じられた。
日々、素通りしていた些細なことも、
心にたやすく落ちてきて、いつまでも底のほうで漂ったり、
ときには、澱んだまま留まっていた。

そのあとは逆。
ものすごいスピードで過ぎていって、
省みる余裕もなく、
あっというまに、今日を迎えた。

(私の)世界が変わったあの日から、3年。


当時のツイッターや、このブログを読み返した。

どれだけの葛藤や痛みや絶望、希望を感じてきたのだろうと思った。
消化されたものも、今なお、消化されないものも、ある。
そしてそれが、今の私を作り、変化を生み出し続けている。
全部が、今の私に折り込まれている。

まだ、まだ、自分のことだけで精一杯。
そんな私だけど、あの日を忘れずに、
現実と、その現実の先の未来を見据えて
今日も生きている。


3年前の今日、亡くなった方々のご冥福をお祈りします。

被災地で今なお、復興に向けて頑張っている方々に敬意を。
福島第一原子力発電所で、作業を続けてくださっている方々に、感謝を。
そして、あの日から、生活が変わってしまった多くの避難者や
避難しなくても、日々、葛藤を続ける方々に、エールを。

あの時、刻んだ思いを、改めて。










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2012年03月19日(月)

2012.3.11

テーマ:
2012.3.11まで1ヶ月を切った頃から、
「311の予定は?」という話題が
誰からともなく出てくるようになった。


流れる時の中に、私たちは記憶という「点」を置く。
その点のひとつとして
1年後にあたる2012.3.11は
誰にとっても、特別な日だったと思う。

あらゆる境遇の、いろいろな立場の、
無数の生命の、複雑な思いが
今もなお、そこかしこに漂っている。
形を変えることはあっても、
それらが途切れることは、少なくとも
あの日を体験した私たちが生きている間は
ないのかもしれない。


かくいう私も「3.11はどこで何をしよう?」
ということを、随分前から考えていた。

大騒ぎをする気分にはなれない、
かといって、家でひとり、
いつもどおりに過ごす気も起きなかった。
また、個人的にはこの日に限っては
原発について言及するのも、どこか違うと思っていた。

祈り、振り返り、過去を
しがらみからほどかれた過去に変え、
また1歩を踏み出す。
そのための何かを私は期待していたのだと思う。


「○○に行くことにした」「私は○○へ」
「家族と家で静かに過ごすよ」
「キャンドルナイトやりたい!」


3.11が徐々に近づき、
それぞれの方向は定まり、
思いは自由に散らばっていった。

そして私は、不思議なことに
これまでほとんど縁のなかった岡山へ
行くことになった。

-------

音楽の仕事をしている友人のなおしくんは
岡山市で開催される「いち@311」のコンセプトに共感し、
サイレントパレードのDJを務めることになっていた。

「いち@311」は、
2011年11月に開催された有機生活マーケット「いち」が、
311という日に、岡山の町を有機的に繋げるスケールで
イベントを開催しようと企画されたものだった。

充実した地産地消/安心食材のマーケット、
宗派を超えて311への祈りを捧げる献花式典、
ことばを超えた調和を模索するサイレントパレード、
協賛団体によるさまざまな関連イベント。

特にサイレントパレードは、
地球の自転によって発生している音
「シューマン共鳴波」をベースにした音楽を3台のサウンドカーで流しながら
ただ、静かに歩こうという、実験的なアンビエントパレード。

静かに過ごしたい、
けれどひとりではなく、誰かと繋がっていたい…。
振り返るだけでなく、ちゃんと、未来を見据えたい。
「いち@311」は、そんな私にとって
こんなイベントがあったらと妄想していた内容に近いものだった。


6月に、避難旅から帰ってきたあとは、
日々に追われて遠出をすることもなかった。
時期的にはそろそろ保養もしたほうがいい頃だった。
なんとか仕事のやりくりをして、
私は岡山で311を過ごすことにした。


 この日、
 失われたものと、
 生まれたものへの祈り。

「いち@311」のフライヤーに書かれていた言葉だ。



点は、どこまでいっても点でしかない。
だから、私はそこに意味を見いだす。

------
岡山へは、なおしくんとふみおくんと3人で車で行くことになった。
夜中じゅう交代で運転し、早朝から開いている温泉に入って
目を覚ましてから現地入りした。

会場に入った時は、ちょうどマーケットが始まろうかというところだった。
多すぎない? というほど多い飲食店や
被災地支援に関わる団体の出店ブースなどが
敷地の中にびっしり並んで、とても賑わっている。
たくさんの再会と、出会いとが
待っていた。楽しい楽しいお買い物とごはんの時間。

お客さんを見ても、年代も客層もさまざまで
あまり傾向というものがない。
岡山の地域性なのか、それとも
都会という場所の入り込みやすさのせいなのか。
客層の限定がないというのは、
意外と運営する側にとっては難しいこと。
どうしても、個々のニーズに合わせた
より多くの配慮が必要になるからだ。
それがきちんと、しかも自然にできているところが
まずすばらしいなと思った。

-----

朝は晴れていたのに、
献花式典では、始まる前だったか直後だったかに
ポツポツと雨が降ってきた。止みそうもない雨だった。

式典の間、雨の中で静かに手を合わせていた。
お坊さんもいた。おじいちゃんもおばあちゃんも、
若い人たちも、子どもたちも、いた。

まず、東北を思い、祈った。
それから、特に福島のことを思い、祈った。
それから、子どもたちを思った。
そして、原発事故のあと、各地に散らばった仲間たちのことを思った。
311後の避難旅のことを思い出し、
悩んだ末に帰ってきた藤野での日々を思った。

祈れば祈るほど、
この1年のことがドッと思い出されて
不覚にも涙が出てきた。


-----
式典が終わった。
お花屋さんで花を1輪買って、献花する。
手を合わせ、目を瞑る前に、献花されたたくさんの花を見つめた。
今日、日本中で、どんなことがおこなわれ、
どんな思いが錯綜するのだろう。
それが、怒りや後悔を吐露することではなく、
温かな祈りであればいい、と私は願った。

式典が終わり、パレードに出ようかという時
雨がパタリと止んだ。それはもうみごとな止みようだった。
日の光まで射している。汗が滲む。
風がとても強い。

------

パレードでは、先頭から最後尾まで、写真を撮った。
当初はそんなつもりもなかったし、
どちらかというとなおしくんのDJを
最初から最後までばっちり聴いていたい気分でいたのだけど
写真を撮り出したら、一部を切り取るだけでは、
不完全な気がしてきた。

このパレードはひとりひとりがバラバラだった。
だから、このパレードは、全部でひとつだった。
点が、流れを作るのと同じこと。
パレードは大きな点ではなく、小さな点の集まりとして
ひとつの祈りを形作っているなと、私は思った。
だから、全部を写しておきたかった。

どんな人があの場所にいて、どんな思いで311にこのパレードを歩くのか。
なぜ、デモではなくサイレントパレードだったのか。
いったいどれだけの人が参加しているのか。

-----

パレードは、終始静かだった。
かといって沈痛な雰囲気でもない。
ただみんな、いつもの会話をしながら
列にそってゆっくりと歩くだけだった。
言いたいことがあるヒトは
叫ぶのではなく、プラカードに思いを書いて歩いていた。
言葉のない世界では、文字はより、重みをもって感じられた。

それから、ささやかな会話の下に
サウンドカーの音楽がそっと潜り込む。
音楽が流れると、人々はその音に自然と耳を傾け、
パレードはより一層静けさを増した。

シューマン共鳴波は1次、2次、3次と
層によってチューニングが違っていて
サウンドカーにはそれぞれのチューニングが割り振られている。
サウンドカーで鳴らされる音楽にはそれほど共通点はないのだが
それぞれのサウンドカーの音が重なる部分を歩いていると
不思議と妙な気もち良さがある。
音ではなく、響きが生んでいる気もち良さだ。

その音の響きの中で、定点で写真を撮る、
規則正しくシャッターを切る、というルーティンワーク。
ルーティンワークは優しげな瞑想だと思う。心が自然と空っぽになる。
私は、内側に向かっていた(と、あとで思った)。
歩いている人たちも同じ状態だったのではないかと思う。
ただ、歩く。シューマン共鳴波の、
細かく、調和した響きの中で
もくもくと歩いているうちに
心は自然と内側に向かっていたのではないかと思う。

内側へ向かえば向かうほど、私は祈りの中にいた。
そして、穏やかな心で1年間の自分の日々を振り返った。
走馬灯のように。
ぼんやりと眺めた走馬灯のように。

とても客観的に。

-----
神奈川県在住じゃ、悲しみ、落ち込み、絶望するのはおかしなことだろうか。
被災地ではないが、事故の影響が
まったくないわけではない地域に住む私たちの
じわじわとした心の葛藤や悲しみや、もどかしさ。

今も毎日のように、私はどうしたいんだろう、何がしたいんだろうと
思わないことはない。離ればなれになった仲間を思うたび、涙が出る。

それでも、いいことと悪いことはバランスよくやってくる。
それがわかっているから、私は楽しく、日々を過ごしていられる。
だから、今年は良い年なんだろうと何の疑いもなく、思っている。
-----

パレード全体をとおして感じた統一感、
まるでひとつの物体であるかのような共感。

個々が内側に向かった結果、
その心と心と心が結ばれた。
内面から祈りを発したとき、その祈りは
別の、同じように内面から発せられた祈りと引き寄せ合う。

そして祈りは大きくなる。
見えないものも、見えるようになる。



午後2時46分。
再び私は祈った。
当然のように、大きな祈りがそこにはあったけれども
私はパレードの、みなの無意識の祈りが集まった
あの響きの祈りが、忘れられない。


写真はこちらから↓
いち@311
いち@311 サイレントパレード定点観測













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2011年12月13日(火)

皆既月食の夜に

テーマ:日々の音楽
皆既月食の夜、
水野さんとKYOUさんのライブを見に、
藤野のレストラン「直子の台所」へ行った。

ウッドベース奏者の水野さんと即興ピアニストのKYOUさんは
「FUKUSHIMA」というチャリティCDを発売した。
青梅、国分寺、そして藤野で行なわれた発売記念ライブ。
私は運良く、国分寺と藤野の2箇所のライブを見ることができた。

KYOUさんのピアノは、
鍵盤を叩いて出る音、という印象がない。
感情や感動、そしておそらくは心象風景が
まるでピアノなんか関係ないかのように、音になって溢れてくる。
微妙な心の動きに合わせて音が揺れ動き、いつのまにか音楽を創る。
そして、聴いているうちに、心は落ち着く。
心の中は、どんな感情があっても本来は静かなのだといつも思う。

たいして水野さんは
全体を見渡すような広さで、音楽を創る。
どっしりとして、冷静で、柔らかさに満ちた音楽は
宇宙のようにすべてを包み込み、すべてを見つめている。
水野さんの音楽を聴くと、
私はこの目に見えるものが好きになる。

そんなふたりのコラボレーション。
絶対的に豊かな情景と、そこに踊る感情のコラボレーション。
とても贅沢で美しかった。
演奏されるひとつひとつの曲には
3.11後のさまざまな思いやエピソードがあった。
しかし曲自体は、ただ音楽として美しいのだった。

チャリティという時、脱原発を唱える時、
まして、それをアーティストが訴えようという時、
それは誤解を生みやすいことのように感じていた。

しかしふたりの演奏を聴いて、ただ感動しているうちに、
表現することそのものがもはや訴えなのだと
なんだかとても幸せに、腑に落ちた。
表現は表現として在ればいい。
表現としては、無意識でいいのだ、と。

表現とは、感動をうむもの。
そして感動はまた新しい何かを勝手に生んでいく。
ちょうど今日の私が、感動から小さな気づきを得たように。


ライブのあと、そんな感動を抱えたまま
仲間と焚き火をして皆既月食を見た。

欠けていく月に、自分でも驚くほど吸い込まれた。
あんまり神秘的で、いつまでもいつまでも目が離せなかった。
大好きな月に映る、あれは地球の影。私の影もあの中にある。
あれも、私だ。これも、私。
そして肉体としては、今ここにいる。

ふとkazさんを思い出して
kazさんもこっちおいでよと思った瞬間に
友だちが「kazさーん!」と叫んだ。
「さっき呼んだからもうこのへんいると思うよ」と私は笑った。
皆既月食真っ最中に、なぜか友だちがマッサージしてくれて
身体に触れてもらっているうちに
その場にはいなかった仲間の顔が
友だちをとおして次々と心に浮かんだ。

いないけど、いる。

やすらかな気もちだった。


仲間と火を囲み、笑い、空を見ている。

月が欠けていくにつれ、星が増えていく。

言葉が減り、薪のはぜる音を聴きながら、
私はどこにいるのかわからなくなる。

わからなくなった瞬間、
どこにでも行ける、と気づく。


上も下も、右も左もなかった。

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2011年12月08日(木)

20111208

テーマ:ひとりごと
こういう悲しさを
言葉にするのは難しい。
それなのに目を泳がして
言葉探し。
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