香山リカ
香山リカの「こころの復興」で大切なこと
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AKB48のブームは持続するのになぜ被災地支援は持続しないのか
原発の陰に隠れて忘れられつつある被災地支援、長期にわたって支援を持続するのは難しいのか。東日本大震災から100日が過ぎました。瓦礫の山がいまだ残る被災地からこんな声が聞こえてきます。
「ボランティアに来てくれる人が減り、瓦礫や汚泥を撤去できずに困っています」
「自衛隊の人たちがどんどん去り、これからどうなってしまうのでしょうか」
「報道関係者が少なくなり、被災地の現状が伝わっているかどうか不安です」
被災した方々は、自分たちの存在が忘れ去られているのではないかと、不安や寂しさを痛切に訴えています。直接の被災を免れた私たちは、原発の行方や放射能の問題、菅総理の辞任問題などの政局に目を奪われています。もちろん、それはそれでたいへんな問題です。首都圏にも「ホットスポット」の存在が確認されるなど、人々の関心が集まるのは当然のことと言えるでしょう。しかし、あれほど盛り上がっていた支援一辺倒だった雰囲気は、どこか収縮しつつあるように思えます。震災直後から立ち上がった復興支援の「お祭り」の時期はもう終わりました。とはいえ、復興にはこれから何年もの長い年月がかかります。これから持続的に支援をしていかなければ、被災地の復興は遅々として進まないのが現実なのです。支援やボランティアなどを、一時のブームではなく、長期にわたって持続させるのは難しいことなのでしょうか。支援を持続させる社会を作るために、私たちはいったい何をすればいいのでしょうか。
次々と放たれる仕掛けで人気を保つAKB48、一方で持続的な「うねり」が生まれないボランティアの世界。つい最近、AKB48の総選挙がありました。3回目となった今回は、あらゆるメディアが途中経過から詳細に報じ、投票結果はたいへんな注目を集めました。総選挙直後に明らかになった新しいCMでも、16歳の「新メンバー」が話題を集めました。総選挙で上位を占めたAKB48の中核メンバーを従えて、堂々とセンターポジションを奪ったことがマスコミを賑わしました。さまざまな憶測が意図的に喧伝され、結局そのアイドルはCGで製作した架空の存在だったというオチまでついています。AKB48の人気は、2005年のプロジェクト発足以来ずっと持続しています。もちろん、在籍するタレントの魅力によるところも大きいと思いますが、ビジネスとしての仕掛けがとてもうまく出来ていることが大きな要因であることは疑いがありません。一方で、支援や善意の和などの「運動」は、事が起こった直後こそ一気に関心を集めますが、長期にわたって持続したものはほとんどありません。少し前に盛り上がった「タイガーマスク」運動も、全国に広がりましたが、震災に吹き飛ばされてしまった感は否めず、一つのブームだったと言えなくもありません。次々に新しいものが登場しては一瞬だけ輝きを放つ。そして、あっという間に収束を迎える。個人の自発的な善意や優しさに頼った活動は、社会的になかなか継続しないのが現状です。こうした運動を持続させるのは難しいのでしょうか。
切実に困っている人は自分に向けられる優しさに涙する、その動機が商業主義であってもまったく気にしない。少し前、江原啓之さんの「オーラの泉」というテレビ番組が流行りました。ちょうどそのころ、私はある市民運動の団体の集会に呼ばれ、講演でこんな話をしました。
「みなさんはいま、正しいことをしていると思っているでしょうが、世の中の人たちは何に興味を持っているかご存じですか?『オーラの泉』という番組で江原啓之さんがオーラや守護霊が見えると言って、人生のアドバイスを送っているのですよ」
会場の人たちは、ドッと笑います。しかし、その番組を見たことがある人はほとんどいません。オーラ、守護霊といったものへの胡散臭さから、ばかにしていたのでしょう。ちょうどその頃、「オーラの泉」についてある機関紙から取材を受けました。その機関紙は、社会的に弱い立場の人たちを支援する団体が発行するものです。記者の方は誠実な人で、江原さんの日本武道館での講演会を取材し、衝撃を受けたというのです。会場にいたのは、流行に敏感な若い女性ではなく、病気などで切実に生活に困っている人たちだったそうです。江原さんは会場の何人かをステージに上げ、霊視をしてから優しい言葉をかけてあげたといいます。その言葉に涙を流す人たちを見て、記者は「本来私たちが救うべき人がここにいる」と思ったそうです。なぜ江原さんにできて、自分の団体にはできないのか。記者は思い悩み、私のところに取材に来たのです。いつも思うのですが、こうした市民運動に関わっている人たちは、商業主義やエンターテインメントの匂いに対して嫌悪感を顕わにします。しかし、多くの人たちが見たがっているのは、商業主義化されたエンターテインメントなのです。そう言うと市民運動家は「そんな人たちに媚びてまでわかってもらおうとは思わない」と切り捨ててしまう傾向があります。媚びたくないという気概はわかりますが、そのために自分たちの主張が葬られても構わないのでしょうか。
善意や優しさだけに依存するには限界がある。ボランティアに行きたくなる「仕掛け」を用意するべきでは。最近「ボランティア観光ツアー」といった形の支援が始まっています。ボランティア活動をしてから温泉に入り、観光や買物をして帰るというツアーです。仕掛けを作り、スポンサーから資金を集めないと、支援を持続させるのは難しいということに気づき始めたのかもしれません。しかし、そのツアーを「金儲けだ」「不謹慎だ」と批判する人もいないわけではありません。しかし、優しさや思いやりだけに依存して支援を持続させるのは困難です。誰しも自分のことで精一杯ですし、継続的に赤の他人を助けるような行為をできる人はそうそういないものです。そうした時代に起こった震災で、直後こそ自分のお金やボランティア精神を供出できても、日常的に続けられないのも仕方のないことです。だとすると、復興支援を持続するために、本来の趣旨から多少ズレたり金儲けの匂いがしたりする仕掛けを入れても、反社会的な行為でない限り構わないのではないでしょうか。
たとえば、ボランティアに行った人だけをAKB48のシークレットライブに招待する。ボランティアに行けば合コンに参加できる。単なる金銭的な見返りは被災地に行く動機にならないので、現地に行かないと手に入らないものを用意するのです。そうすれば、ボランティアの志望者が増えるような気がします。こうした企業が販促活動で行うようなプロモーションの仕掛けをボランティア増加に利用してもいいと思います。純粋な気持ちからボランティア活動をする人は素晴らしいです。そうした人が増えることを願ってやみません。しかし、それらのボランティアだけで活動が行き届かなければ、言葉は悪いですが「よこしまな」動機で参加するボランティアを集めてもいいのではないでしょうか。企業も、お金を払って自社のロゴ入りのTシャツをボランティアの方に来てもらうことなどしてもいいのではないでしょうか。それを売名行為と批判するより、それによって瓦礫の山が一日でも早くなくなるほうがよいと思うのです。被災地の人も、純粋な気持ちで来ているのか、別の動機で来ているのか、そんなことに気を回すような時期は過ぎたと思います。目の前にうず高く積み上がった瓦礫の撤去を手伝ってくれさえすれば、それでいいと思われているのではないでしょうか。よこしまな動機から参加した支援活動でも、被災地の惨状を目の当たりにすれば、自分の心を揺さぶられる人も多くいるはずです。100人のうち10人動かなかったとしても、90人の貴重なボランティアが確保できるのならば、あながち不謹慎とは言えないと思います。多くの人は思いはあっても、日常生活の制約から、簡単に被災地に行けるわけではありません。そのなかで持続的な支援を確保するには、善意や優しさだけに頼りきるだけでなく、ボランティアに行きたくなる仕組みを構築する必要があると思います。
・・・香山リカ、気になる存在です。冴えのある言葉・文章にハッとさせられます。