世の中には、ありそうでなさそうなものがある。
それは、印象がよくなるハンコの押し方である。
この現象はなぜなのだろう? 考えてみる価値はある。
ハンコは「真っすぐきれいに」押せばいいから、「真っすぐきれいに」の中に印象部分が入ってしまっていて、完結しているのかもしれない。
とするならば、ちょっと踏み込んで「真っすぐきれいに」を分析しなければいけないことになる。
「真っすぐ」は、真っすぐ以外に表現のしようがないが、「きれいに」は具体的にどのようなことを言うのだろうか?
印が「かすれていない」「にじんでいない」「ずれていない」「印の枠が欠けていない」という答えが出てくると思う。
問題は、どうしたら、傾きがなく、かすれてもいず、にじんでもいず、ずれてもなく、枠が欠けていないハンコを押せるかである。
ここも、ハンコの押し方を技術論で説明すれば、簡単に答えが出てしまうが、技術論は技術論としておさえておく必要がある。
一つには朱肉の付け方の問題がある。
(参考記事 「ハンコがかすれない朱肉の付け方と捺印マット」
https://ameblo.jp/mamoru-gijutsu/entry-12299154557.html )
ハンコの持ち方の問題もある。
(参考記事 「手の腹で押せば、ハンコはきれいに押せる」
https://ameblo.jp/mamoru-gijutsu/entry-12299185352.html )
この二つをおさえれば、ハンコは間違いなく「真っすぐきれいに」押せるが、問題はここからである。
このように朱肉の付け方やハンコの持ち方に気をつけるということは、どういうことなのだろうか?
「ハンコを身構えて押している」ということにならないだろうか。
そして、「ハンコを身構えて押している」ことを、別の表現で言うと、どういうことになるだろうか。
それは、「丁寧に押している」とも表現できるし、「やっつけ仕事で押してはいない」とも表現できるのではないだろうか。
このことを、ハンコを見る側から言えば、「丁寧に押されている」「やっつけ仕事で押されてはいない」ということになるが、それは印象領域の話である。
そんなことを考えると、ハンコを見る側が一番望んでいるものは「ハンコを身構えて押しているか」ということではないだろうか。
それは、よくよく考えればハンコを押すという本来の意味である。
そう、身構えて押されたハンコかどうかが、印象を決定づけ、信頼を左右しているのだ。
印象アップに踏み切れない人が、ある日突然注目を浴びるハンコの押し方
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