こんにちは。

 

やまもとみずき です。

 

 

 

学生のころ学んだ内容で、

 

今回の夫の不祥事を受容するまでのプロセスと

 

重なるなぁと思っていたものがあったので、紹介します。

 

 

キューブラー・ロスの『死の受容のプロセス』です。(Wikipediaより引用)

 

説明の下は、 私自身が、当時の私の状態を 俯瞰していた内容になるので、

 

ある程度、個人的な見解になります。

 

 

 

私は、不倫は心のさつじんだと思っているので

 

死というものと不倫を知ることを、

 

仮に同じものとして捉え、客観視するようにしていました。

 

 

 

第1段階 「否認」

患者は大きな衝撃を受け、自分が死ぬということはないはずだと否認する段階。

「仮にそうだとしても、特効薬が発明されて自分は助かるのではないか」といった

部分的否認の形をとる場合もある。

 

まさか自分の夫が不倫なんてするとは思っていなかったので

まず、『そんな馬鹿な?うちの夫に限って?』

と思っていた頃。

もちろん、、疑わしいとも思っていたので、

『そうかとも思っていたけれども、まさか!』

という気持ちもあった。

 

 

 

第2段階 「怒り」

なぜ自分がこんな目に遭うのか、死ななければならないのかという怒りを

周囲に向ける段階。

 

私は何ひとつ悪いことなんてせずに、頑張ってきたのに、

どうして自分に、こんなことが降りかかってくるのか?

夫に対しても、『どうしてこんなことをしたのか?』と責めて

それに加え、こんなことを簡単にできるように育てた

夫の親に対しても、怒りと憎悪が向けられていた。

 

 

 

第3段階 「取引」

延命への取引である。

「悪いところはすべて改めるので何とか命だけは助けてほしい」

あるいは「もう数ヶ月生かしてくれればどんなことでもする」などと

死なずにすむように取引を試みる。神(絶対的なもの)にすがろうとする状態。

 

自分に非があったとしたら、それは何なのか?

それを直すから、元の夫に戻してほしい。

元の家庭に戻してほしい。

または、こんな夫と出会ってしまわなければ(結婚しなければ)

こんな目に遭わなかっただろうから、結婚前に戻してほしい。

 

 

 

第4段階 「抑うつ」

取引が無駄と認識し、運命に対し無力さを感じ、失望し、

ひどい抑うつに襲われなにもできなくなる段階。

すべてに絶望を感じ、間歇的に「部分的悲嘆」のプロセスへと移行する。

 

何をやっても、関係性はよくならない。食事も摂れない。

廃人のように寝続け、時間だけが過ぎていき、何も手につかない状態。

もうこれ以上、何をやっても無駄なんじゃないか?

壊れたものは、もうどうしようもないんじゃないか?

自分には価値なんてないんだ と自己否定していた。

 

 

 

第5段階 「受容」

部分的悲嘆のプロセスと並行し、死を受容する最終段階へ入っていく。

最終的に自分が死に行くことを受け入れるが、

同時に一縷の希望も捨てきれない場合もある。

受容段階の後半には、突然すべてを悟った解脱の境地が現れる。

希望ともきっぱりと別れを告げ、安らかに死を受け入れる。

 

夫の不倫は現実のものであり、目の前にいる夫が

どんな人になっていようと、今の夫。

いろいろやってみて、ダメならダメで仕方ない。

他人と過去は変えられないから、悲しいけれど、

夫が過去に不倫をした人間だという事実は変えられない。

それなら、そういう人と今後一緒にいるのか、別れるのか?

自分と向き合って、決めていかないとならない。

結局は相手基準で考えるのではなく、自分軸で考えることが大切。

 

 

 

全てがこれに当てはまるとは言い難いのですが、

 

時々これを思い出して、自分が今どこにいるのか?

 

混乱の中、外から自分の立ち位置を見ることができたので

 

もし、興味があるようでしたら、ご自身の今の立ち位置、

 

当てはめて、外から俯瞰してみてください。

 

少し、何か考え方が、変わるかもしれません。