昨夜放送された、
ナイナイアンサーのギャル曽根さんのセッション。
私は親に捨てられてしまったの?という
怒りと悲しみ。
それにどう向き合っていくのか。
昔の自分と重なる部分もあり、
自分の中にも反応がありました。
ギャル曽根さんのお母様の
「捨てられたんじゃないよ。他に大切なものがあっただけ。」
まず、このことばが心に響きました。
私の今までの理論は(べきは)
親にとって自分の子どもより大切なものなどあってはいけない。
ゆえに
✖家族より他に大切なものがあった=子どもを捨てたわけじゃない。
○家族より他に大切なものがあった=子どもを捨てた。
でも、
ギャル曽根さんのお母さんから語られたことは
今まで私が✖をつけていた考えを○にし、
○をつけてくれていた考えを✖にしてくれました。
私は、
親に子ども以上に大切なものがあることを認めたくなかった。
だって子どもは親によって産み出されたんだから、
親は常に『親<子ども』
という価値観で生きるべき。
ずっとこう思っていました。
ただ、事実としては、
家族より大切なものがあっただけなのかもしれないと
子どもを捨てたわけじゃないんだって
そうなのかもしれないって
昨日、改めて思いました。
中年生の頃
当時、父と別居中で
私と2人暮らしだった母は、
ある日、
置手紙一つで、
私をおいて、
実家である熊本に帰って行きました。
その選択しかなかった母の辛さや苦しみも
今は理解できるようになりました。
そうしなかったら、
母は生きていけなかった、
ギリギリの選択だったんだと。
でも、中学生の私は、
そんな母が許せませんでした。
だって、親は子どもが1番大切じゃなきゃいけないのに。
大好きなお母さんには
私以上に大切なものがあるなんて、
受け入れられませんでした。
森口さんが番組中におっしゃっていた、
「お父さんはタブーじゃないけど、
そうしないと生きていけない時期がある。」
これが突き刺さります。
私は、
大好きだった母に捨てられた。
わたしは生まれてこなければよかった子ども。
この思いに
真正面から向き合うのが怖くて、
私は母親を悪にして、
自分を善にして、
憎んで、
許さないで、
可哀想な
悲劇のヒロインになって、
負の力をエネルギーにして
生きていました。
でも、
そうやって
憎んでも、許さなくても
結局私は母に抱きしめられたかった。
ギャル曽根さんのお母さんが言った、
「あなたが子どもでよかった」
そのことばに心が震えました。
私はずっと
自分の親に
「自分の存在を認めてもらいたい。」
そう思って生きているんです、
きっと今も。
昨日の番組から、
私の宿題ができました。
(実はこれ、アドバンスメンバーから「やってみっ!」て言われていて、
先送りにしていたこと・・・)
両親に
「私が産まれてきて良かった?」
と聞いてみること。
答えは何となく想像できる気もします。
でも、
それでも、
あえて直接聞いて、
親から答えをもらうことが、
私に必要なことのように感じています。
あ~聞きたくない(-。-;)
まぁでもさ、
昨日の番組から勇気もらったし、
いっちょやってみますか~(///∇//)
あ~まだまだわたし、
こんなところで、
ウヨウヨしてますが、何か?(^▽^;)
レッツバンジー♪