こんばんは
色と奈良が好きな真美愛です。
数年前にお聴きした
薬師寺 大谷僧侶の有難いお話
テーマは【出会いをよくするすすめ】
僧侶は縁について30年以上も
お勉強をされています。
縁を語らすと誰にも負けないと
言われるくらいでした
(縁をお経からも学ばれたそうです)
「縁」と一言で言うけれど
人と人との係わり 人は個であっても
永い永い年月をかけて
(ご先祖があっての一人)
今 この世に生まれて
そして出会う人たち
僧侶が30年以上学び続ける
深さが解る気がします
お話は70分位でしたが
その中より 今の私に響いたこお言葉
「人間は生きている限り 迷いと悩みが同居する」
「しあわせ」と言う言葉は
仏教にはないらしい。
しあわせの骨格がある
それは 身心安楽シンジンアンラク
(読みがしんしんとなるのは心身)
身:体をさし 見えるもの
すなわち五感のこと
(実際感じる事ができること)
心:見えない 精神を指す
そして楽チンと言う言葉は楽身
(らくしん)がなまって
楽チンになった
すなわち 体が楽と言う時にだけ使う
心の楽は安心という
どんな時に安心か?
それは自分のこころのものさし
(心理学で学んだ受容ラインと同じでした)
人間は誰しも生きていくのに
価値観のものさし を一本与えられる
ただ 歩いてきた人生により
価値観のものさしのメモリ幅が
一人 ひとり違っている
そう 解っているのに
とらわれ こだわり 自分を追い込む
比較:他人や自分の過去
深みにはめるのも自分
抜け出せなくしたのも自分
なんのために
心理学を学んだの?
できていない
自己嫌悪・・・
前向きになればなるほど
悲しくなるときもあり
辛くなるときもある
「普通でいい」と思った頃
普通でいれることがしあわせと感じたとき
そんなことをも
忘れる
忘れるということを
与えられたことに有難いと思った
時期もあった
(複雑)
以前
人が迷うのは悩むのは
今を一生懸命生きていないからと
そんな言葉を耳にした時
自分に問い掛けていった
でも、僧侶のお話に
「しあわせですかって
聴いて
はいと答えてる人でも
ココロの奥底には 悩みや迷いがある。
みんな死ぬまで悩みと迷いは同居する」
って お言葉に気持ちが楽になれた気がしました
このようなお話をされて 縁の話に入っていかれました。
縁のお話は
またの機会に私のココロと照らしあわせて書きたいと思います
大谷僧侶 有難いお話を有難うございました
大谷僧侶です(惹きつけられるお話の仕方 難しいお言葉は一切使われず
本当に解りやすいお話でした)
↓↓↓
感謝を込めて・・・・・・
最後までお読みくださって
有難うございました
感謝を込めて…
自分らしく
自分軸で
自分を信じて