仕事始めに、Sam Cooke !! | ゆるい中年の独り言~おやじサーファー日記~

仕事始めに、Sam Cooke !!

Sam Cooke

人気トップのゴスペルシンガーからポップへの
転身は、成功すればビッグビジネスだが、
失敗すれば 神を冒涜する裏切り者の烙印を押される。


挑戦し、成功を成し遂げた初めての男が彼だ。


Sam Cookeのアルバムは3枚持っている。
スタジオ録音のベスト盤と

「Sam Cooke at the Copa」
これは白人相手のディナーショーのような
おかためのライブ


そして、20代前半のmamboの愛聴版だった
最高にイカしてる
「Sam Cooke - Live At The Harlem Square Club」


ジョン・レノンもカバーしてたね!







動いてる Sam Cooke









ぼくの大好きなブラックミュージックの礎を築いてくれた

Sam Cooke

ありがとうございます。





ミシシッピ州クラークスデイル生まれ。後に家族とともにシカゴに移住。
父親は牧師であり、幼い頃から聖歌隊で歌う。
19歳のときにゴスペル・グループのソウル・スターラーズのリードボーカルとなり、
端正なルックスでゴスペル界ではアイドル的人気を博した。
1957年にソロ歌手としてR&Bに転向し、「ユー・センド・ミー」がヒット。
これをきっかけにR&B界で数々のヒットを飛ばし、
発展目覚ましかったソウル/R&B界のスターとなる。
それまでの黒人歌手のスタイルとは一線を画した洗練された音楽性が持ち味で、
白人層からの人気も高かった。

1958年にはマネージャーのJ.W.アレクサンダーとともに音楽出版社を設立。
後にはSARレコードを設立する。R&Bが流行した当時、
黒人のアーティストは曲を作っても満足な対価を得られず、
白人の会社に「搾取」されるのが通例だった中にあって、
自らの著作権を管理するのは画期的なことであった。

かようにクックは黒人の権利に対する意識が高く、
公民権運動にも積極的な関わりを持ち、マルコムXやモハメド・アリとも親交を深める。
1964年の「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」は
人種平等社会が訪れることへの期待を込めたメッセージソングであった。


1964年12月11日、ロサンゼルスのモーテルで管理人に射殺される。33歳。
その死を巡っては謎も多いといわれる。