仕事と育児ときどき毒吐きのちファッション。◎MAMARURU

2009年9月生まれの娘を育てるやさぐれアラフォーママの、ファッションネタ、身銭をきったオススメアイテム、腹黒な毒吐き、さらに日常のアレコレや妄想や宣伝です☆

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明日で娘が7歳の誕生日をむかえます。
毎年毎年同じコト書いていて恐縮ですが、今年は25日が日曜日ってことで、いつもは毒吐きの土曜日なんですけども、本日は娘の誕生話をアップさせていただきます。
ご興味のない方はスルーしてくださいね~。

日頃はアレ買っただのコレほしいだのと、己の物欲のコトしか書いていないダメダメかあちゃんのワタクシが、自分への戒めを込めて毎年娘を出産したときのコトを忘備録として書き残しております。
今年もどうか、おつきあいくださいませ。
って、最後は毎年新しい抱負といいますか、気持ちを新たにするために書き足しておりますが。



7年前の今頃、陣痛で苦しんでいたワタクシ。(明け方より陣痛が始まり、午後9時ごろ出産。)
実は24日が出産予定日だったので、親からは「まだなの?!」とせっつかれ、妊婦友達からも「どーよ?!」と探りを入れられ。

24日の早朝から来たと思った陣痛は前駆だったことが判明して、病院からあっさり帰され(まあ診察時間外だったですし)、25日の早朝からまた痛み始めたものの、また前駆かも、と思って診察開始時間ギリギリまで我慢して、やっぱり痛いから病院いったらビンゴで、よくここまでガマンしたねと助産師に褒められ。

「アンタが昨日、前駆かどうかちゃんと見極めてから来いっつったじゃねーか!!!」

と痛みと混乱で逆ギレ気味になるワタクシ。

そしてまったく頼りにならん夫は、分娩控え室(陣痛を耐えるための拷問部屋ともいう)で、「まだみたいだから、ちょっとこれから一瞬だけ会社行ってきていい?!」
とかワケわからんこといって出て行っちゃうし。

「まだかどうかがなぜオマエにわかる?!マジで一瞬で帰ってくるんだろうな?!」

とここでまた逆ギレするワタクシ。

和痛分娩なるものを希望してみたはいいものの、まったく効かず、むしろ陣痛が遠のいて促進剤を投与されるハメに。

「和痛分娩代3万円返せよ!!!」

とまたしても逆ギレするワタクシ。

陣痛中、夫が役にたったのは、お茶買ってきてくれたことくらいでしょうか。
ソレ以外は存在すら頭にないくらい痛かったです。

やっとこさっとこ陣痛開始から18時間かかって、あともう一回のイキミで出なかったら帝王切開だから、と医者に脅されて、イキミにイキんで、ぬぉぉぉぉ~~~!!!という雄叫びとともに娘誕生。
夫はその瞬間、怖くて壁のほうを向いて突っ立ってたそうです。マジで使えねぇ。。。

会陰切開の縫合中、
「キツめに縫ってください、って頼む人、いますか?!」
と思わず医者に聞いてしまったら、
「たまにいるよ~。キツくしたいの?無理だけど」
と軽くかわされました。
なんか勘違いされたみたいで、ちょっと恥ずかしかったです(じゃあ聞くなよってハナシですが)。
その間、夫は軽食を買いに院内コンビニに行っていたので、聞かれなくてよかった・・・。

正直あまりにも虚脱していて、カンガルーケア、10秒くらいで返してしまいましたよ・・・娘よ、ごめん。
だってチカラ入らなくて、落としそうだったんですもの~。

夫が買ってきたサンドイッチとおにぎりを分娩台の上でむさぼり食うワタクシ。
絵ヅラ的になかなか壮絶です。

そして産んだ次の日、病室に夫が差し入れてきたのは、忘れもしない「ポテトチップス ダブルコンソメ味」と「ジャンボエクレア」でした。

「いきなり乳腺炎にするつもりか!!!」

と、産み終わってもキレていた記憶しかありません。
出産時の夫の使えなさと言ったらびっくりするくらいです。
どこの旦那もいっしょなんでしょうけど。

とはいうものの、それもこれも今ではいい思い出。
陣痛や出産時のメリメリいう自分の骨盤の痛みや、会陰縫合の抜糸の痛みや、なんやかんやいう痛みの全ては遠い記憶となり、今では思いだせないくらいです。
だからオンナは何人も子供を産めるんでしょうね。

人生でほとんどがんばった記憶がないワタクシが(それもどーよ)、唯一がんばった、と言えるのが出産なんじゃないでしょうか。
まぁたかだか一人産んだくらいでエバレるようなもんでもないんですけど。

今となっては、会陰切開の跡と痔は、ワタクシの勲章です。



・・・というのが、忘備録。

ナニを隠そう(いや隠していませんが)ワタクシは27歳で結婚しました(当時としてはフツー)。
結婚当初、夫は子供はいらない、と言っておりまして。
ワタクシは結婚とともに勤めていた会社を辞め、ちょうど実家の祖母の認知症が悪化して実母一人ではどうにもならなくなったので、祖母が始めた稼業と祖母の介護を手伝うために実家に通う日々をおくることになり、子供のことなど考えられない毎日でした。

やっと祖母を看取って、稼業もなんとか軌道に戻ったと思ったら、今度は実母がウツ病発症しまして。
これまた仕事と介護で子供のことなど考える余裕もなく、ストレス発散で夜は飲み会三昧、という日々を送っていたのが三十代前半~半ばくらい。
はっと気づいたら35歳になっていました。

そのときに初めて「このまま子供がいない人生でいいんだろうか?」と自問自答しました。
遅いっすね(苦笑)。
悶々と考え続けたあげく、出た答えは「やっぱり子供がほしい」。
ええ、マジで遅いっすね。

そこで夫に正直な気持ちを話してみたら、案外あっさり「いつかそう言うと思ってた」と言われ、子作りに協力してくれることになりまして、いざ婦人科検診を受けてみましたら、子宮筋腫があるから妊娠は難しい、と。
手術で取り除くことになりました。
手術自体は簡単だったんですが、取り除いたのはいいものの、なかなか妊娠しません。
まぁ「この日が排卵日だから夜露死苦!」と妻から言われても、ただでさえ不規則な勤務形態の夫がキチンと毎月協力してくれるかというと、答えは「否」。。。
ワタクシが夫でも、そりゃ無理っす。。。

毎月生理がきては落ち込み、毎朝基礎体温をつけるのにも疲れ、行為そのものにも虚しさが漂うようになり、でも夫は本格的な不妊治療してまではしたくないと言うし、もういいか、と諦めかけたそのとき。
基礎体温をつけるのもやめて、排卵日もわからないまま、あまりがんばらなかったところ、なんとぽこっと妊娠したのでした。
結婚10年目、37歳のときでした。
そうして38歳の9月25日に出産。

それまで自分のことしか考えていない自己チューのカタマリのようなワタクシが、人の親になるなんて想像もつきませんでしたねぇ。。。
(まぁ今でも自己チューなのは変わりませんけども)

生まれたばかりの娘を連れて退院し、初めて我が家に帰ったとき、娘がずっと泣き止まなくて、ワタクシも泣けてきて、二人してわんわん大泣きして、思わず仕事中の夫に電話しましたっけ。。。(遠い目)

産後一ヶ月は、明けても暮れても頻回授乳で、今が夜なのか朝なのかもわからないような毎日で。
食事もロクに取れなくて、シモは痛くて、チチも痛くて、満身創痍状態で。

今思うと、産後ウツ状態でしたねぇ。
夫は毎晩帰宅が遅くて、実母もウツ病で、まったくアテになりませんでしたしね~。
産後三ヶ月間くらいの記憶ないっすよ、マジで。
それだけツラかったんだなぁ、ワタクシ。。。(さらに遠い目)
無駄にトシくってから人の親になったのに、こんなテイタラクです。

保育園問題が勃発してからは、こんなことしてられん!と奮起して保活するようになって、ママ友もできて、なんとか乗り切りましたけども。
恐るべし、ホルモンバランス。

今でも、育児ってなんの修行?!苦行?!罰ゲーム?!と己の忍耐を試されるような場面も多々あります。
コレが母になったというコトなのかどうか、母という自覚ってなんなのか、今でも1ミクロンもわかりません。
毎日五里霧中でいっぱいいっぱいです。

これからもっとメンタル面での苦労も待ち受けているでしょうし、難しいといわれるお年頃をむかえる娘をどう扱っていいのかわからなくこともあるでしょうし、学業のアレとか、友人関係のコレとか、オトコ関係のソレなんかも出てくるのでしょう。

それでも、娘の安らかな寝顔を見るたびに、愛しさで胸がいっぱいになります。
思わず頬ずりをせずにはいられません。
娘のためならば身を挺して、その命を救うためならば喜んで自分の命を投げ出すことでしょう。

ダメダメな自己チューかあちゃんだけど、アナタがいるから、また明日もがんばれる。
ワタクシのところに生まれてきてくれて本当に本当に本当に、ありがとう。
アナタの母親になるということ以上に幸せなことはありません。
心からアナタを愛しています。


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