働くお母さんのこども | 手探りの毎日

手探りの毎日

9歳の長男Gと6歳の次男Kの2児の母、モコモコモコが
子育てとは…、仕事とは…、夫婦とは…、女とは…、
について、回想する、(自称)エッセーです。

私の母は小学校の先生を約40年勤めました。
というわけで、子供の頃ではかなりのレアだった共働きの家庭で、私は育ちました。

幼稚園が終わると、同じ団地の3階のおばさまYさんちで待ちます。
Yさんは手作りのおやつを用意してくれたり、
私が大切にしていたねずみのぬいぐるみのスカートを
作ってくれたりしました。

今、思い出してもとても優しくしていただいたなぁと思います。
でも、私は幼稚園から帰っても、うちだけ母がいないという
さみしさと悲しみが大きすぎて、
でも誰にも言えずに、じっと耐えていて
Yさんと朗らかにすごす余裕がまったくなかったのです。

またその頃、母の希望でエレクトーン教室に通っていたのですが、
一緒にレッスンを受ける約20名中、私以外は全員、お母さんとの参加です。

先生がボタンの切り替えの指示をだすと、となりに座ってるお母さんたちがテキパキ自分の娘のエレクトーンのスイッチを切り替えます。
英語で書かれた無数のボタンを前にして、5歳の私はなす術がありません。
周りをキョロキョロしながら、適当に押していました。
毎回、ひとりだけ違う音色で弾くことが悲しくて、
先生がそっと訂正してくれると、一層みじめで、たまらなかったことを覚えています。

小学校の入学式もそう。
母も別の小学校で1年生の担任になり、入学式が私と重なりました。
入学式の集合写真は、私の保護者だけ父です。
(ただ、猛烈サラリーマンの父が会社を休んでまで
 入学式に来てくれたことには、とても感謝しています)

小学校にあがり、団地から引っ越すころ
おじいちゃんとおばあちゃんがうちに来て
一緒に暮らすようになりました。
母が父の両親と同居する決意をしたのは
子供たちをカギっ子にしたくなかったからだそうです。

お友達の家に遊びに行くと
手作りのチーズケーキと紅茶をお母さんが運んでくれます。

お母さんの手編みのセーター、お母さん手作りのクッキー、
お母さん手作りのワンピース、お母さん手作りの土曜日のお昼ごはん、
こうしたものが私の憧れでした。

朝は晴れていたのに、下校時に急に雨が降り出したときなどは
学校は傘を持って迎えに来てくれるお母さんでいっぱいでした。
(当時は天気予報はあまりあてになりませんでした)
いつも一緒に帰ってた友達は

「あ、お母さん!」

とうれしそうに、私に「またね!」とバイバイします。

私はひとりでびしょぬれになりながら、
走って帰ったものでした。
私は母に

「晴れのち雨はすかんっ!」

と言ったそうです。

私が3年生に進級する前後、母は弟を出産するために産休に入りました。
ある、晴れのち雨の日、学校から帰ろうと下駄箱にいったら
お腹の大きな母が傘を2本持って、笑ってこっちを見ていました。

「お母さんっ!迎えに来てくれたん?」

私は喜びであふれそうでした。

「今日はお母さんと帰るけん!ごめんね」

と友達にいった私はおそらく相当自慢げだったと思います。

私のさみしさを母は知っていたこと、
そのさみしさを埋めてあげたいと思ってくれてたことが分かり、
とても満たされた気分でした。

ただ、働く母が嫌いだったかというと、それはまったく逆でした。
先生としてイキイキしている母は相当、私の自慢だったのです。
だから、さみしいとか、家にいて欲しいと、余計に言えなかったのかもしれません。

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私の息子たちも共働き家庭の子供です。
保護者会出席などで、会社を早退して私が家にいると子供たちは

「なんか、学校から帰って、おかあがいるとうれしいっ!」

とベタベタしてくるのでした。
そして、私はチクチク心が痛むのでした。