トニー・ムラタの'意外と知らない ハワイ食事情' 第一回 ロコモコの起源 | ロコモコ日和

トニー・ムラタの'意外と知らない ハワイ食事情' 第一回 ロコモコの起源

今やハワイを代表するローカルフードとなったロコモコ。
ハワイと言えばコレを想像する人も多いのでは?


しかし面白いことに、現地ハワイではこのロコモコを”Japanese Food”と言う人も 居る。

そのルーツを辿るとハワイ島のヒロへと繋がる。
多くの日系人が暮らすその街で、1949年にリチャードとナンシーのイノウエ夫妻(日経2世)がリンカーン・グリルと言う小さなレストランを開業していた。

リンカーン・グリルには地元の血気盛んな日系人アメフトチーム・リンカーンレッカーの高校生も多く出入りしていた。

1951年のある日、いつものように訪れた高校生の数人の中の一人が「ナンシー、俺はお腹ペコペコなんだ。今日は財布に¢35しかないけど何か食べさせてくれないか」と頼んだ。

お人好しなイノウエ夫妻は、ご飯の上にバーガーパティと目玉焼きを乗せ、自慢のグレービーソースをたっぷりかけた。
それを食べた少年は「これはうまい!! すごいよナンシー!! 」と感動し、イノウエ夫妻に感謝して帰った。

後日少年達がリンカーン・グリルに訪れ「ナンシー、あの料理に名前を付けたよ。'Locomoco'がいいと思うんだ!」と提案した。
語源は諸説あるが、少年のあだ名”Loco”(クレイジーの意)だったことから'Loco~'としようとなり色々案を出したが、語呂が最もよかった”Locomoco”と名付けた。
他には'Locodoco''Locosoco'などが有ったと言われている。

'Locomoco'は若者に支持され、ヒロのいたる所でメニューに加わっていった。

メニューに入れた代表的なレストランは、同じく日経2世のミヤギ夫妻が開業したカフェ100。
リンカーン・レッカーと対立するアメフトチームのワイケアパイレーツの高校生が噂を聞きつけ、ミヤギ夫妻に頼んでメニューに取り入れてもらったと言われている。

その後イノウエ夫妻はリンカーン・グリルを閉め、穏やかなリタイヤ生活を送っている。

リンカーン・グリルの無くなったあと、1984年に「ロコモコ発祥の店」として、カフェ100が正式に認められてるが、当時を知る元リンカーン・レッカーのメンバー達が抗議を申し立てたりと問題もあったようだ。

'Locomoco'はハワイ島からハワイ諸島全土にも広がり、1987年にイノウエ夫妻がラスベガス、カリフォルニアを旅行で訪れた際に食堂のメニューで'Locomoco'の名前を見て、我が子の成長を見るように嬉しかったと語っている。

昨今の日本においてはデミソースやテリヤキソース等をかけるスタイルが一般的となり、名前先行の弊害でで全く違う味付けとなって定着しているが、64年経った今でもハワイでは「日系食(japanese Food)のロコモコ」が当時のままの味で親しまれている。

私共TONY'Sグループはイノウエ夫妻の、ハワイで守られてる味の'Locomoco'に誠実であり続けます。