私の前回の記事について、下記のようなコメントを、凡そ10個ほど頂きました。
今後も同じ事のないように、はっきりご返答申し上げたい事があります。
04月29日 07:28
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いくら自分のブログだからって 他の選手を悪く言うのはやめませんか?
非常に不愉快だし あなただって大好きな鈴木選手の悪口を書かれたら嫌でしょう?
それとも他の選手の悪口を書かなければ鈴木選手の素晴らしさは語れないのですか?」
「謝って下さい」と言うタイトルの、コメントでした。
HNは、消しておきました。
大体、こういう内容です。
お一人を取り上げて申し訳ないですが、他のコメントも、一つを除いては、殆ど同じ内容なので、載せても意味がないので、悪しからずにご了承下さい。
と、申し上げますが、私がコメント削除した事を、いい方に受け取って頂きたい。
(尚、私のブログに鈴木選手への、あからさまな、悪口を綴ったコメントが一つ寄せられましたが、嫌な事は全然ないですよ。他の主力選手のファンの方ですが、悪口言うなんて、ただの鈴木選手の勝利へのやっかみなんですから。
返ってやっかまれる程、今期のあっこちゃんは実力を開花させたので、他の選手贔屓の人には面白くないでしょう。
間違いなく技術者でもない、芸術家でもない、彼女の才能を理解出来ない人間の言う事なんて、ほんとおバカなコメントだから、逆に面白いです。笑えました。
鈴木選手の結果をねたむ、他選手のファンは、裏を返せばその実力と結果に嫉妬しているのを、よく感じる事が出来ました。
これは、実力あるあっこちゃんが、取り上げられない不満とは、全く別口の不満ですから。
幼い、幼い。
勝利を得たからこそのやっかみなので、返って鈴木選手のファンとして、満足感を持ってそのコメントを読めました。ファンとしては、もっと嫉妬の悪口を受けたい程です)
この記事でのアクセス数、1250程でした。
その中での、10個足らずのコメントですが、コメント頂いた方のご意見を、相手にしなかった理由を述べさせて頂きます。
今後も同じ事が起きるでしょうが、その時には、コメント下さった方に、この日の記事を読んで下さい、と、お答え致します。
コメントの内容の全てが、「他の選手と比べなくては、鈴木選手の良さが語れないのですか。」
と言うものでした。
その通りです。
正に、比較の大切さを、コメント下さった方々に、お伝えしたいと思います。
私にこういうコメントを下さった方々、あなた達は、技術職の人間でしょうか?
或いは、芸術を愛し、少なくとも自分も、その表現者の一人でありますか?
私は、手に二つの技術を持っています。
うち、一つの技術を、生涯の仕事として、日々、切磋琢磨しながら、その技術を磨いています。
技術と言うものは、自分より上手い人、下手な人との比較なしには、成長しません。
技術を比較し、人の技術をしっかり検証しないと、自分の技術の長所と、短所は分かりません。
言い換えれば、他人の技術との比較なしに、自分の技術のレベルは分からないと、言う事です。
それを「悪口」と受け取り、批判を加えて来るのは、余りに短絡的で、分別のない人間のする行動です。
なので、掲載する必要はないと判断し、削除させて頂きました。
技術職の人間でないと、分からない事でしょうが、自分の能力を高める意味で、他の同じ職人さんとの、腕を比べ、良い所は盗む。
悪い部分は、自分にも戒めにする。
これが、技術職の中で、最も重要な事です。
私達技術職の世界は、非常に厳しいです。
技術と言うものは、簡単に教えてもらえません。
タダでも教えてもらえません。
技術者になりたかったら、「見習い」から始めます。
文字通り、「見て、習う」です。
教えてくれるのを、口を開けて待っていても、誰も教えてくれません。
代わりに、しっかりと、熟練した技術者の技を見て、それを盗んで自分のものにしろ、と言われます。
技術に誇りを持っている人は、教えてくれません。
代わりに、「盗む」事ならどんどんさせます。
職人は、自分の技を盗むほど、喰らい付いて来る、真剣な人間しか、その技を求めている人間だとは認めません。
そして、職人が、最も目をかけるのが、弟子の中で一番、自分の技術を見て学び、それを自分のものして行く人間です。
私は、一つはその技術者の目から、他の選手と鈴木選手の、スケーティングの良さ、悪さを見ています。
その比較検証は、自分でフィギュアの魅力を、深く知り、理解する能力を発達させます。
他の選手と、鈴木選手の比較を行いましたが、私は悪口は、一つも書いておりません。
あくまでも、比較をした上での、率直な意見です。
私がした比較を、別に公言しなくても良いではないかと、言われる方もいるでしょうが、それも、技術者としての立場から言えば、間違っています。
技術者には、自ら、競争相手の力の比較をするのと同じくらい、第三者の目から、比較されて、自分の技を良くも悪くも、評価される事が重要です。
私自身、常に同じ技術者と、自分の技術を、比較してくれる、お客様の意見を求めています。
あそこの腕は、こうで、あそこはあんな感じ。
そして、貴女の腕はこんな感じ。
最も勉強になります。
技術者にとって比較と言う事は、勤勉を意味する事であり、他人をこき降ろす事ではありません。
また、第三者として、技術者の腕を見比べ、感想を言う事は、技術者が技を磨く上での、最高の協力を行う事です。
鏡がなければ、自分の全身を見る事が出来ないのと同じ。
その、見えない部分を見せてくれるのが、他の技術者と、技を、わざわざ比較して吟味し、意見をくれる人間です。
技術者側からしてみれば、そういう第三者の声は、お金を払っても欲しいものです。
私自身、お客様から、よその地方で、同じ職の、素晴らしい腕を持つ人がいた、と、聞くと、その腕の実力の程を知りたくて、いつか赴こうと、心にしっかり留めておきます。
逆に、とても悪い技術者を見た場合の、お客様の不満は、そのまま、自分に対しても、技術に手を抜いたら、同じ事を言われる側になる、と、言う意味で、身を正して下さる言葉です。
自分自身が、技術者としてそうですから、鈴木選手にも、いい意味で客観的な評価がプラスになれば、と思い、前回の記事で、他の選手との、比較検証を行ってみました。
勿論、ご本人のお目に届くかどうかは、神のみぞ知る、です。
まさか鈴木選手のブログで、他の選手との比較検証の報告は出来ませんから、自分のブログで致しました。
他人と比較を受け、自分の技を見詰め直し、或いは自身を持つ。
こういう精神が、技術者には必要なのです。
技術職にない方は、鈴木選手のジャンプが決まった、ミスがなかった、得点が高かった、感動した、そういう部分で鈴木選手の演技を楽しみ、喝采を送るものだと推測致します。
ただ、技術者であり、仮にも絵を描く事が趣味であった私は、鈴木選手の演技を評価する時、他の全ての選手の演技も真剣に見て、その上で、鈴木選手のここが良かった、他の選手も、ここは良いけど、ここは悪い、それを参考にしてもらえる様に、真剣に比較を行いますし、また、今度は芸術家としての視点から、あそこはこうすると、もっと美しくなる、
そういう感想を送りたいのです。
私は、上記のコメントを頂いた方より、鈴木選手と共通する分野の仕事や特技を持っているのです。
どうか、技術を評価する上で、比較は悪口ではないと言う事、技術に於いて、比較とは勤勉を意味する事だと、ご理解頂きたいと、存じます。
一つ、きつい事を言わせて頂くと、高橋選手のファンの方から、
高橋選手は、とても苦労して頑張っているのだから、そんな事を言わないで下さい。
謝罪して下さいと言うコメントがありました。
とんでもない甘さです。
この方は学生さんなのでしょうか?
選手がリンクの上に立って、自分の演技をする時に、家庭が大変だったから、その分他の選手より苦労をしていますので、それを考慮して、得点を上げて下さい、と、言うと思いますか?
これこそ、高橋選手への冒涜です。
リンクに立ったら、全て平等。
では、浅田選手は、ご実家が裕福だから、スケートを勉強する上で、恵まれた環境にあるのだから、その分減点すべきだ、と言う意見が、逆に出たら審査員に考慮されるんですか?
己の生い立ちを武器にして、技術や表現力の不足を補おうとする、またはそう第三者が嘆願するのは、最低の行為です。
私はかつて、とても応援しているボクサーがいました。
彼は施設で育った人で、遂に世界戦のリングにまで上がりました。
チャンピオンになったら、まだ施設にいる、弟と妹を引き取りたいと、語った事があります。
その世界戦で、惜しくも彼は敗退しました。
ハッピーエンドじゃないけれど、私情を言えば、彼の苦労、努力、そして弟妹への思いを汲んで、神様でも何でも、勝たせてくれなかったのだろうか、と、言いたい所でした。
しかし、プロの世界、勝負の世界では、負けは負けです。
もしも、ファンが、そんな事を言って、審査員に彼の勝利にして下さい、なんて言ったら、逆に彼の誇りを汚す事になります。
選手が命懸けで戦ったんです。
負けは負け。
それでも拍手を送るのが、ファンの姿勢ではないでしょうか。
私は高橋選手と、安藤選手は、ナルシスト傾向が強く、結果、観客として(技術者と、芸術家の目を持って)、一体になれない、感動を受けない。
そう評価しました。
それは例えば、先に挙げたボクサーの、パンチやガードや、フットワークについて、客観的な意見を出したと同じ事で、あくまで演技の上の評価です。
そういう技術的な部分で悪い評価が他人の目から見て出た場合、その技術について、自分ならこう思う、と言う返答ならいざ知らず、家庭が大変だったから技術的に悪い所を指摘するなとは、何事ですか。
各主力選手を比較してみて、感想や、意見としては、
高橋選手は、技術は素晴らしいが、ナルシスト的傾向がある為、表現力での、魅力に欠けると思います。
表現力自体は、あります。
ただ、その表現力に、「魅力」を感じないのです。
これはあくまで、絵を描く人間として感じる事です。
小塚選手は、やはり技術は凄く高い。
芸術家としては、小塚選手に惹かれます。
ただ、表現がまだつたない。
フリーの演技で、「風の谷のナウシカ」の音楽を入れましたが、あの曲調は、正にスケートの速度とぴったりなのだから、もっとナウシカの世界に入り込み、腐海で暮らす虫の心、それを愛するナウシカの心、そして、最も観客を引き込める、ナウシカの乗り物、「メーべ」に乗って、空を自在に飛び舞う姿を、表現し切れなかったのが、とても残念な所です。
でも、ここで挫けなければ、必ず伸びる選手だと思います。
安藤選手は、高橋選手と同じ、ナルシスト的傾向は、大きなマイナスです。
彼女も、技術はあるし、表現力もある。
せめて、一つでも改善するなら、お勧めするのが、体に肉をもっとつける事。
余りに細すぎて、女性らしい身体のラインがない為、せっかく美しい演技をしても、貧相な体では魅力が半減してしまいます。
浅田選手は、とにかく表現力が全くないので、そこは改善の見込みが薄い。
表現力は、芸術的センスが必要です。
残念ながら、浅田選手には、生まれつきそれがないと思います。
ただ、手足が長く、体が柔らかいので、そこを最大限に活かし、彼女の得意な技術面で、ぶつかって行くしかない。
浅田選手のエキシビジョンの「ジュピター」は、全てに於いて、失敗だと思います。
あの曲は、余りに人を惹き付けるので、あの曲で踊ろうとするなら、ゆっくりとしたスケートでは、完全に音楽に負けます。
あの音楽で演技するなら、曲と演技との戦いを観客に見せなければ意味がない。
ジュピターに負けない演技は、取り憑かれたような、激しい全身の力を込めて滑る、ダイナミックな演技です。
息もつかせぬ動きの激しさ、表現の激しさ、曲を完全に聴き込んで、我を忘れて踊り狂うくらいの、迫力がなければ、完全に曲に置いて行かれ、曲の感動に演技が負けてしまいます
私が感じる限り、そういう本物の「ジュピター」を踊る力量を持つのは、鈴木選手だけです。
鈴木選手は、表現力で言えば、あの、キム・ヨナ選手の上を行っています。
バンクーバーオリンピックの、二人のストレートラインステップシークエンスを見比べれば、一目瞭然です。
この様に、私はそれぞれの選手を比較し、評価しますが、悪口なのではない。
むしろ、何でも許して評価してくれる、甘いファンの中に身を置くよりも、厳しい目を持つファンの言葉に耳を傾け、自分の欠点を知り、そこを克服して行くのが、技術を高めて行く上で、最も大切な事です。
これらの評価は、各選手に読んで頂けたら、むしろ今後のお役に立てるのでは、と、思っております。
鈴木選手の良い所は・・・
私よりも、社交ダンスのA級ライセンスと、異例ですが、競技選手でジャッジの資格も持っている、私の義理の姉(何か、絶対血が繋がってるよね、みたいなマジ姉妹やってますが・・・)の感想の方が、値があると思うので、まず、紹介します(本人は、ネットはユーチューブをたまに見るくらいなので・・・)。
以下、お姉談
「あっこちゃんは、一番あるのは、芯。踊りながらでも、絶対狂わない芯がある。芯があるので、踊りが非常に力強い。勿論目力。ジャッジは、そういう所をしっかり見ている。
それと、表情を曲に合わせてきちんと表わせている。
ジャンプした後の、着氷の美しさ。着氷した時、着いていない側の足が、しっかりと伸びている。
ジャンプしてる最中、着氷前に、すでに、着氷した時の姿勢の準備が始まっている。
真央ちゃんは、よーく見ると分かるんだけど、着氷してから、腕を広げる、と言うのが丸見えになってしまっている。
社交ダンスも同じ。今やってるステップを、踏んでる最中に、次のステップの準備が出来ていないと、ダメ。
それは、フィギュアに於いても言える事。
後は、ジャンプで着氷した時、腕とか、体はとてもよく動いているんだけど、着氷した後の、振り付けに対する、エッジの使い方と、演技に繋げる方向に、エッジがついて来ていない事が、時々見られる。
上半身の使い方がとても上手い選手なので、着氷した時のエッジさばきが、上半身の動きのしなやかさに対してやや不足している。
そこが一つの課題かな。
まだまだ伸びる選手なので、楽しみ。
私としては、あっこちゃんみたいな、スケートの概念を覆すような、芸術的なスケーティングを出来る選手が増える事を望んでいる。
あっこちゃんは、自分のカラーを持っている選手なので、それが強み。
逆を言えば、ただ技術だけ追い駆けていたスケート界の、風向きと異なる演技をして、評価を得始めている訳だから、彼女の演技に対しては、賛否両論、真っ二つに分かれるはず。
でも、批判があろうと、取り上げられなかろうと、自分はこのスケーティングで行く、って極めて行けば、結果は自ずとついてくるんだよ。
過密スケジュールだとは思うけど、バレエやジャズダンス、ブレイクダンス、社交ダンス、等色んなジャンルのダンスをそれぞれかじってみると、その踊りならではの、身体の動かし方、表現方法を学べるから、それを活かせば無敵になるね。あの子は、想像力が凄く豊かな選手だから。」
だ、そうです^^
家のお姉は、元々体操の選手で、その後社交ダンスに転向しました。
スポーツ万能で、水泳からスケートまで、何でもこなします(私は子供の頃に、クラシックバレエのみ。喘息があったので辞めてしまったけど)。
彼女のイチオシ!は、やっぱりあっこちゃんです。
で、お姉の感想を耳で聞いて、掲載しました。
彼女は、シード選手で、「ブラックプール」と言う、社交ダンス界のオリンピックとも言える大会の、出場資格保持者です。
尚且つジャッジの免許もある。
でも、だから家のお姉は凄いのよ!
と、そういう感覚は全くありません。
お姉の生徒さんや、お姉をフロアでしか見れない人からしたら、彼女はスターなんでしょうが、家族にとって、それも特に絆が深い私にとっては、泣くわ、怒るわ、いじけるわ、おいしいもの見てヨダレ垂らすわ、B級映画好きって言う、酷い映画趣味のある、普通の人間です(何でもB級映画は、気楽に観れるので楽なそうな)。
妹の私からしたら、彼女をスターって言うんなら、落ち込んでしょっちゅう泣くのを一緒に引き受けてくれって感じです。
親戚の中では、やっぱり彼女を自慢の種にしてる、勘違い身内もいたけど、家族としては私は、姉をスターとして誇るより、姉がただの人間に戻れる場所を作って待っていたい(色んな事で落ち込んでる時、フロアに蹴り飛ばすのも妹の仕事だけど)。
ただ、彼女は才能あって、努力して一流のコーチャーについて、そこまで行った人なので、しかもあっこちゃんファンですから、彼女の意見は有益かな、と思って掲載しただけです。
ルンバウォーク、コーチャーから、股にタ0ポンはさんでるつもりで歩け、とか、手は肩甲骨から動かせ、足はみぞおちから生えてるものだ、動く時は、血管を意識しろ、までしごかれた。
そういう指導を受けて、挫折せずにあっこちゃんと同じレベルまで上り詰めた(まだ上行けっ。練習詰めっ。お姉の死に水は私が取る。登れる所まで、行ってこーい。)人の、あっこちゃんへの感想です。
お姉とあっこちゃんは、表現力と想像力に於いて、とても近いタイプの選手です。
後は、私から見たあっこちゃんの感想再び。
今度はちょっと感動一辺倒の感想ではないので悪しからずに。
私の感想をもう少し付け加えると、あっこちゃんは、スピンの際に単調な技になる事が多いかな。
あっこちゃんは、ゆっくり目のスピンはとても綺麗なんだけど、早いスピンの時に、安藤選手の様な、腕の全体も生かした様な表現を取り込むともっと素晴らしいと思います。
ただ、安藤選手は、折角スピンで腕も美しく使えているのに(浅田選手もだけど)、余りに腕が細くて貧相だから、そこがやはり魅力に欠けてしまいます。
「ハンガリアン・ラプソティー」での、腕を直角にしたスピンは、とてもシャープで良かったので、身体の柔軟さが、不足する部分を、スピンの際に、上半身(特に腕)を、使う事で、もっと印象的なスピンが完成すると思います。
あっこちゃんは、浅田選手、安藤選手に比べて、身体の柔軟性が不足しているけど、そこは表現力で完全にカバー出来る事だから。
それと、ジャンプが決まった後は、やった!となると、飛びきった後の次の演技が始まらず、ただ滑ってしまう瞬間が、どの選手も見えるので、それは観客として、見ていてどうも、演技の流れを切ってしまうのを感じます。
ジャンプの助走の際、集中して踏み切りまでのタイミングを取るまでの間、演技がストップするのは仕方ないので、ジャンプ後の動きですよね。
でも、基本はやはり演技中と言うのは、絶対に表現を止めてはいけないし、技と技の間の時間を、一瞬でも無駄にしてはいけない。
「ブラックスワン」で、フリーに挑んだ、アメリカのワグナー選手は、ここを充実させる事が出来なかった。
黒鳥を演じる以上、上半身は常に、黒鳥の動きを演じていなければ、観客に自分を「黒鳥」だと信じさせる事が出来ない。
観ていて、彼女が技と技の間で、黒鳥の動きを腕全体で使って表現したのは、たったの二回程度。
フィギュアは、芸術競技だから、何であんな失敗の演技構成したかが、謎・・・。
黒鳥を演じるなら、演技中は一瞬でも人間に戻ってはダメ。
あの演技構成で、「白鳥の湖」の曲を使うとは、昔バレエをかじった者の目から見たら
滑ってる一瞬、一瞬が選手に与えられた時間なんです。
それを、あれほど、黒鳥になれる時間を入れれば入れれたのに、あの時間を無駄にするとは。
仮にも芸術競技なら、技術点より、演技構成点で高得点を叩き出して欲しい。
画家なら、技術だけに走った典型が、ラッセン。
上手だけど、絵の本質はそうじゃない。
私は、一番好きな画家が誰かは決められないけど、子供の時から一番好きな絵は、モネの「印象・日の出」
印象派と言う流れを作り出した、最初の作品です。
朝もやの海の上、浮かんだ太陽と、波間にこぼれる、朝陽の雫。
絵の技術で言うなら、ラッセンの方が上になるのか、とは、思えないけど、兎に角絵を描く意味を、絵を描く人間達に示してくれる。
脱線したけど、あっこちゃんは、二回転ジャンプの時は、とても余裕を持って着氷するので、お姉が絶賛する様に、着氷後の動きがとても綺麗なので、三回転の後も、同じ着氷の美しさを見せれる様に、まだ磨きこんで伸びて欲しい。
また、三回転×二回転×二回転のジャンプをすると、殆どの選手が、最後は完全にスピードが失速して、体や動きが止まってしまうから、その時、せめて、上半身だけでも着氷後の演技を続けていれば、もっと観ていて感動を受けますよね。
例えば、三回目のジャンプを決めた後、失速するのを逆に武器にして、ジャンプ着後に魅せる姿勢で、ピシッ、と、美しいポジション取って、最後に止まって決めてしまうとか。
それを、あっこちゃんは、フリーの「こうもり」で、見事生かしましたね。
他の選手が出来ていない所を、自力で先に、開拓してしまう事。
技術を上げる上での、大事なポイントがそこです。
まだ、誰も見つけていない、技術を伸ばせるポイントを見つけ、そこを自分の武器にしてしまう事。
とにかく、あっこちゃんの実力、表現力は、最もスケートで大事な、「滑る」と言う基本演技だけで見せる、ジャンプもスピンもない、「ストレートラインステップシークエンス」で表れています。
ここが魅力ある滑りを出来ない選手は、技術の方だけって事になってしまう。
お姉曰く
「だって、芸術競技の{芸}とは、お笑いとかの、芸能の{芸}ではなくて、芸術の{芸}よ?
そこにしっかり実力ある選手が、一流であるのが当然じゃない。
技術だけ見たい、或いは技術だけで評価したいなら、男子の機械体操が一番だよ。あれは完全に、技術と力の競技だから。」
です。
さて、比較の重要性、これで理解してくれれば、大変有り難く思います。
ますます、表現力に磨きをかけて、自分の不足部分を長所で完全に補えるよう、来シーズンも、頑張って下さいね、あっこちゃん
私は、あっこちゃんのスケーティングの、デッサンを三枚程描いている最中なので、途中経過で、これから完成までブログに掲載して行きます。
あっ、年齢は、まだまだ充分いけるよ、あっこちゃん!
ノープロブレム
追伸・これまであっこちゃんのプログラムの中では、「ウェストサイド・ストーリー」が一番好きだった・・し、今も最高に好きなんだけど、国別選手権の、「ラベンダーの咲く庭」を見て、も・も・も・もー・・・こっち???ってなってしまうくらい、素晴らしいプログロム。
また、表情がとても良かった。
表情は、曲を「演じる」上での命です。
どんなに素晴らしい演技をしても、表情が込められていなかったら、台無しになってしまう。
あの演技は、何度見ても溜息でます。
ただ、スピンは、最初のゆっくりめのスピンは素晴らしかったけど、最後のスピンは、もっと腕を使って動きを見せた方が、芸術的には、よくなります
まだまだ、才能を引き出せます。
頑張って