神業の演技、あっこちゃん!! | sylvania・・time

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人生に優しい時間が欲しくて、ちょっぴりシルバニアを集めてみました。

愛らしい小物達に、癒されに来て頂けると嬉しいです。

また、フィギュアスケーター鈴木明子選手の大ファンで、冬季は鈴木選手の記事も掲載します。

いやー・・・・(はふ~~)、美しい鈴木明子選手の、今期シーズン。

とうとう終わってしまいました~~。


元々ちゃきちゃきの江戸っ子なので、一年に一度の祭りに、命を賭ける人間のDNAを持ってる様な気がしますがショック!、そんな感じ??年に一度の、命を賭けた祭りが終わったぞ、と。


本当に、こんな感動をくれるあっこちゃん。

ひたすら感謝、感謝です。


同じ時代にいてくれて良かった~。

二十年後とかに、「こんな選手がいたんですよ。」と特集で観たら、


「その時代にいて、その瞬間感動を味わいたかった~~!!」


と、絶対思うはず。


さて、何から書こうかな。

エキシビジョン?




エキシビジョンと、今シーズンから行こう。


エキシビジョンの、「ラベンダーの咲く庭で」を観て、今期本当に、振り返って見ると、つくづく感じたと言うか、今更に思った事がある。


まず、今回のエキシビジョンは素晴らしかった。


正に風に揺れる、ラベンダーの花。


ああ、水を潤沢に含んだ大地の上で、陽の光を全身で浴びながら、北海道独特の、夏の清涼な風に身を任すラベンダーって、こんなに美しいんだろうな、って思いました。


あっこちゃんの動作の一つ一つ、氷の上を自在に滑る姿態の一瞬、一瞬が、言葉を失うほど、美しかった。


あれは本当に、神業だった。

神聖な、選ばれた、神の前で踊りを踊る事を許された舞姫が、その役を果たし切ったみたい。


解説が、実況が、あんなにうるさくて邪魔!

何で今話すの、音楽と舞者の間に割って入るの。

完全に、観客がその世界に惹き込まれている時に!!プンプンパンチ!


ブチ切れたわ・・・・。


私は無理。

あんな舞いを見ていて、言葉なんか出ない。

ジャンプが決まった時さえ、拍手よりも溜息が、それさえ空気を壊す事をためらいながら、吸い込む様に、こぼれるだけ。


あの場内で、彼女の演技を実際に観ていたら、最後の最後まで、拍手さえ出来なかっただろう。

身動き一つ、出来なかったに違いない。


音楽と、舞者の間に一切入れない空気があった。

感動の極地。


あんな空気を、踊りを、滑れる人間がいたなんて・・・。


ライブなんかでも、聴き入る所で声を出す、間の悪いファンとかいるんだけど、後、映画館で、つまんない失敗作ならともかくも、素晴らしい映画なのに、自分の家で見てる感覚で、平気でお喋りする観客とか。


本当にエキシビジョンは、

「お願い、静かに見せて!集中させて!!」って、周囲の、演技途中の拍手を止めたくなるくらいだった。


で、それを、社交ダンスの、A級持ってるプロダンサーとお話ししたら、

そうなの!!って。

何が「そうなの」かと言うと、


以下、プロダンサー談。


「私とか踊っていても、ここで曲調ががらりと変わるから、じっくり見てて欲しい所とかあるの!例えばね、途中から{オペラ座の怪人}を、組み込んだダンスの中で、さー、気迫を込めて、踊るわよ、見ててー!!って時に、掛け声思いっきり掛ける(社交ダンスは、試合の時とか、自分の応援する選手の名前を連呼&絶叫して、審査員に見てもらったりしますが、これは社交ダンスの、エキシビジョンの時の場合の話)ファンとかいると、


今黙っててー!!

集中して見ててー!!


・・・って、叫びたくなるもん。」


って。


そうでしょ!!??


観てる観客が、完全に惹き込まれている時って、やっぱり選手もそう!!??って聞いたら、


もちろん。


って。



と、言うか、今シーズン振り返ってみてつくづく、あっこちゃんって凄い選手に上り詰めたと言うか。


観客を黙らせるほどのスケートって、もう、その技術と精神の真髄を極めたよね。


実を言うと、これは、ファンの方には申し訳ないんだけど、高橋大輔選手や、安藤選手って、ナルシストの空気が強すぎて、私は苦手なのです。


感動出来ない。


男子なら、日本なら小塚選手の方が、感動的なスケートを滑る。

今シーズンは、緊張なのか、自信を失っているのか、体がガチガチになってしまっているけれど、あの子は立ってるだけで美しいから、凄い。


後は、フランスのジュベール選手も、結構感動もの。


高橋選手や、安藤選手の様なナルシストは、滑っている時、自分だけしか好きじゃないのがよく分かる。

今、こんな綺麗に滑れている自分が好き。

こんなにジャンプを決めてる自分って最高。


そういう感情がモロに伝わって来てしまう。

それを感じてしまうと、もう興ざめしてしまう。


一人だけ、自分に夢中になってて、感動を、観客と共有しようとしてくれない。

特に安藤選手かな。


だから、あんなに綺麗なスケートなのに、心がスケーターと、一つになれない。

感情や、感覚を共有出来ない。


あっこちゃんのエキシビジョンを見て、改めて、世界選手権とかの演技を見直してみた。


凄い。


ショートもフリーも、完全に観客と一体になってる。


ハンガリアン・ラプソティー。

解説や実況の声を全て心で遮断して、彼女の演技のみに集中すると、

音楽の曲調が重厚な時は、しっかりと心を込めて、自我を捨てて、表現者に徹している。


そうやって観ると、もうジャンプが決まっても、拍手とかじゃない。

やっぱり、その瞬間さえ夢中になって見入ってしまう。


そして、彼女の得意なステップの瞬間、それまで完全に曲に入っていた彼女の表情がガラリと変わり、

一気に観客の緊張を解いて、一緒にスケートの演技を楽しませてくれる。


今度はこっちがその瞬間に、見入っていた魔法から解放されて、我に返り、自然と手拍子を誘われてしまう・・・。


緊張は完全に抜け、彼女と一緒に、最高に楽しい思いで、また一体になって興奮する。


そして、曲調がまた、重厚になると、すっと彼女は曲に戻り、息も止まる程の情熱を込めて滑り出す・・・。


たった一人で、自在に観客の殆どを、その場の空気の全てを支配する。

その迫力、美しさ、神懸かり的な、情熱を持って。


フリーのこうもりもそう。


彼女の存在感の凄さ。

私の中では、黙って観ているのが、暗黙の了解になってしまった。


だって誰が、まるで神事の中の、クライマックスである神舞の最中、歓声を上げれるだろうか。


しん、とした厳粛で、高潮した心地の中で、舞子の踊りに魅入るだろう。


音楽と彼女の間に、とても割ってなど入れない。

さあ、一緒に楽しみましょう!って言う時は、彼女の方から誘ってくれるからすぐに分かる。



本当に、凄いスケーターになった。

素質を満開させたんだろう。


彼女はフィギュアスケーターとして、例えばいきなり突飛な名前を出すけど、F1レーサーの、セナみたいな領域に達したんだろう。


セナは言ってたけど、音速で走ってる時、神が見えるんだと。

セナは天才だった。

技術で到達出来る世界の、先まで行っていた。


浅田選手は、技術は凄いと思う。

安藤選手みたいな、ナルシストでもない。

でも、やはり感動しない。

ファンは大勢いるって言うのに、私は彼女の滑りには、全く感動しないんだ。


だったら、荒川選手の方がずっといい。

でも、あっこちゃんとは、私の目では、段違いだけど。


さっきの、プロダンサーが言うには、


「真央ちゃんは、ジャンプやスピンは確かにうまいんだけど、手を動かす時、手から伸ばしているの。

手を動かしたかったら、肩甲骨から動かさないと、魅力ある演技にならない。私は先生から、足は、股関節から生えてるって思うなって言われた。手なら肩甲骨の様に、足は、{みぞおち}から動かすつもりで踊るものなんだと。


あっこちゃんは、例えば手なら、肩甲骨からちゃんと動いているのよ。だから、動きの一つ一つが、様になるし、しなやかなの。」


確かに、そんな感じだし、何より浅田選手には、音楽の息吹を感じるセンスがない。

技術は凄いけど、表現者としての、才能がないんだなと思う。


芸術競技の場合、本当はそっちの方が、致命的なんだと思うけれど、採点制度になると、そういう才能よりも、得点の高い技を決めた選手勝ち。ってなってるから、浅田選手に有利な競技になってる。


しかし、言われて浅田選手の動きを見ていると、確かに、手から動いてる!って言うのがよく分かった。

流石はプロダンサー。


スケートを始めて、誰もが上達しようと努力をして、技術を磨き、技をマスターして、切磋琢磨し、次には、きっと、一番を、少なくとも上位を、目指そうと必死に頑張るのだろう。


あっこちゃんは、その中で、スケートをしていて、それよりも素晴らしいものがある事に気が付いたんだと思う。



それは、自分の演技で、何百、テレビを通してなら、何千万もの人間と、一体になれる喜び。

感動を、分かち合える喜び。

その境地に、スケートを続ける中で、到達したんだなって。


でも、あっこちゃんの様なスケーターは、万民が理解出来る訳じゃない。

多分多くの人は、ジャンプの回転数を中心に、「上手な選手」と言う基準で見て、選ぶのだと思う。


あっこちゃんは、そういう大多数の、スケートファンの理解出来るタイプの選手じゃない。

だから、マスコミでも不当極まりないくらい、扱いが低い。


天才って言うのは、中々普通の人には理解されない。


「論語」で孔子も言っている。


「普通以上の人間ならば、一流の人物の価値が理解出来る。

普通以下の人間には、それは全く分からない。」 と。


芸術競技を真に理解する際には、自分にも、芸術的センスがある程度備わっていないと、基準を、技術のみでしか判断出来ないんだと思う。


ラッセンの絵は、完成された天才画家の様に一見、見えるが、実際には、技術のみで、絵に必要な、魂が宿る隙間がないし、その感覚がない。

正に芸術の真髄、「生命」を題材に描いているのに、残念な所だ。


絵を描く人間なら、分かるけれど、絵を全く描けない人には、それはきっと分からないだろう。

絵に、魂を吹き込むと言う事や、そのレベルの作品の凄さ。


絵は、やはり芸術そのもの、「競技」ではないので、採点と言う明確なものがないだけに、返って本当の天才が歴史上唸る程いて、その数は、芸術競技の選手の中から出て来る天才の数の、比ではないだろう。


何しろ、そうした芸術的天才を、採点なしに認められるので、才能が開花させやすい環境がずっとあるから。


これからも、ファンは、マスコミに不快な思いをするだろうな。

もう、覚悟しましょう。


キレたら、一緒に吐き出そうべーっだ!


来期のあっこちゃんが、楽しみだね音譜


って言うか、是非、ソチ五輪に行って欲しいな。


最後に、あっこちゃんに、孔子の言葉から、これを選んで贈ります。

孔子の言葉は、もっといいもの沢山あるんだけど、滑り終わったあっこちゃんには、この言葉が一番の褒め言葉に思える。



「子曰く


理性で知る事は、感情で好む事の深さに及ばない。


感情で好む事は、全身を打ち込んで楽しむ事の深さに及ばない。」



あっこちゃん、お疲れ様でした!!


現役続行、あっこちゃんから、最高のファンへのプレゼントです!!