北杜夫さんが亡くなられたとの報に接す。

余り読んではいないのだけれど、北杜夫の本で初めて読んだのは、『どくとるマンボウ昆虫記』 だった。

多分、それから 『どくとるマンボウ航海記』 を読み、それから後に 『どくとるマンボウ青春記』 を読んだ。

本当は 『白きたおやかな峰』 とか 『木霊』 とか、より文学作品らしいものも読みたかったが、読まぬままズルズルと年を重ねて今日に至った。

精神科医だったのに、自らが躁鬱病であると公言して、面白いエッセーを書いたりもしてたな。世界的に有名な映画俳優で bipolar (バイポゥラー) であるという人がいたりするのだが、そういうことを何かの記事で読んで bipolar という単語を覚えてしまったのだっけ。

父親が斉藤茂吉であるというのは有名だが、母親が斉藤輝子で、これまたある意味大変な人である。この2人を両親に持ったんだから、息子も大変じゃなかったろうか。

兄の斉藤茂太さんは既に亡くなっておられるということも知らなかった。お兄さんの著書は1冊読んだだけだが、回想記で、やはり長男というのは大変なものだなという印象を受けたのを覚えている。父親の愛人だった女性がどこそこに住んでるんだが、会う気はあるか、という話を持ち込まれて断ったり、妻が姑 (つまり輝子さん) のもと、大変苦労した話などを読んだような気がする。

北杜夫は東北大学の前身の学校の出身者だったので、ペン・ネームに 「杜」 という文字が入っているのだとテレビで言ってた。だけど、それだけじゃなくて、「杜夫」 にはトーマス・マンの小説に傾倒した北杜夫が、マンの小説の主人公の名前の 「トニオ・クレーゲル」 の 「トニオ」 にも引っかけているのだと、著書の中に書いていたという記憶がある。

親父の蔵書の中にも 『ヴェニスに死す』 の入った本があったという記憶があるのだが、ついに読まずじまいだった。そして親父の蔵書類は、結局オフクロがみな捨ててしまった。読まなかったけれども、少年時代、そのタイトルなどは眺めていて記憶に残っているものもいくつかある。

私などが書くのはおこがましい気がするが、追悼に代えて、自分の思い出を交えて書いてみた。





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まるで関係ないことだけれど・・・

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ブログ自体には影響ないものの、アメブロってこれだからなぁと、少しガックリきます。