私の酒はこの頃、ワルくなったといわれる、(以下略)
「更年期の酒」と題された田辺聖子の短いエッセイの書き出しである。
この場合の「酒」は、飲みものの「酒」のことではなくて、酒を飲む時の態度や振る舞いのことだと思われる。
たとえば日本語を学んでいる外国人だと、「私の酒」を my sake と解釈しかねないのでは、と思った。
「ワルくなった」の部分は、以前飲んでいたのよりも低い品質の酒を飲むようになった、ということだと誤解しないだろうか。
それと似ていなくもないが、
量はいけない。
という文もある。
この「いけない」は「悪いことだ」と言ってるのでないのは勿論だ。
そのエッセイの中の、こんな文にも注意が向いた:
いいたいと無意識下に思っているかもしれないが、当然、良識ある人間としていったりしない。
「良識ある人間として」は言わないが、「良識のない人間として」なら言う、と読めなくもない。
この場合の「良識ある人間として」は、「私は自分を良識ある人間として任じており、そのような者として振舞うことを自分に課しているのだから」といった意味だろう。
ことばを使うというのはむずかしいものだなぁ。
わざと誤解してみせたり、上げ足を取ったり (私もやることがある) される可能性がつきまとう。
それでも、人間であるからには、ことばを使わないわけにはいかない。
「更年期の酒」と題された田辺聖子の短いエッセイの書き出しである。
この場合の「酒」は、飲みものの「酒」のことではなくて、酒を飲む時の態度や振る舞いのことだと思われる。
たとえば日本語を学んでいる外国人だと、「私の酒」を my sake と解釈しかねないのでは、と思った。
「ワルくなった」の部分は、以前飲んでいたのよりも低い品質の酒を飲むようになった、ということだと誤解しないだろうか。
それと似ていなくもないが、
量はいけない。
という文もある。
この「いけない」は「悪いことだ」と言ってるのでないのは勿論だ。
そのエッセイの中の、こんな文にも注意が向いた:
いいたいと無意識下に思っているかもしれないが、当然、良識ある人間としていったりしない。
「良識ある人間として」は言わないが、「良識のない人間として」なら言う、と読めなくもない。
この場合の「良識ある人間として」は、「私は自分を良識ある人間として任じており、そのような者として振舞うことを自分に課しているのだから」といった意味だろう。
ことばを使うというのはむずかしいものだなぁ。
わざと誤解してみせたり、上げ足を取ったり (私もやることがある) される可能性がつきまとう。
それでも、人間であるからには、ことばを使わないわけにはいかない。