JK:姉妹もこれまで大勢の方を教える時に「愛の書籍」を使ったはずですが、助言を乞い求める態度について、P46,47は説明していましす。
P48.49には、指導の任にあたっている人たちにはしたがうというバプテスマを受ける前後の方たちが学ぶ基本的な知識を再び学びなおされると良いと思いますよ。姉妹は長老の助言に反論する手紙を書いていますね。
K:書いていません。私は、助言の背後にある原則を教えてほしいとお伝えしました。見当違いだと思います。
JK:敬意をこめて聴きなさい。
K:はい。ごめんなさい。
JK:その助言が自分に当てはまらないとか、助言した人が事の全体をつかんでいないと感じられるかもしれません。考えもしないで、助言を軽く受け流すこともあり得ます。しかし誰もが不完全なので、その件に関する自分の理解が調整を有すと言う音がないか。助言を受ける、」なんだかのもっともな理由があったかもしれない。そうであれば、それに注意を集中すべき。神の言葉は勧めている。戒めをとらえよ。それを離してですねはならない。それはあなたの命だからだ。この助言が姉妹にもっともよい。
K:手紙を読んでそう思われたのですか?
JK:すべてからです。 自分が受け入れられる助言であれば受け入れるが、得心できない場合には受け入れないのは、決して模範的で従順とは言えない。
資格が無くなったのは、奴隷級が与えておられるこの指針を理解していないからです。模範的というレベルはないです。十分に協力し、霊の実を反映させ、理解できない時でもエホバとイエスをするという従順さがない。
K:残念ですね!
JK:本当にそう思うのですか。
K:兄弟は私のすべてを知っているわけではありませんから。
JK:では支部はどうか?
K:つまり、神がそうおっしゃっているので、私には資格が無いと言うことですね。
JK:聖書の基準に達していないということです。
K:資格が無いとされることに反抗しているのではありません。
JK:それはわかります。
K:資格が得られないなら、私はこのままでも良いと兄弟たちに言っています。
JK:資格云々ではなく、このままでいるのが難しい。
K:このままというのは、資格を取り戻すために、皆さんに納得していただかなくても良いと思っているということです。開拓奉仕に戻りたくて、長老と話しているのではありません。
JK:認識を強化してもらうための話し合いです。
K:つまり、どんな時にも支部の決定に従わなければ」ならないと言うことですね。わたしは従っていないのですね。
JK:間違いなく、そのようにみなされています。姉妹は、心から信頼していないし、なぜかわからないと再三言っている。
K:では、なぜ質問きちんと答えてくれないのですか。わからないから信頼できないのです。
JK:ここにはどう書いてあるか、従順とはわからなければ従わないと言うのは、聖書的には従順ではないのですよ。
K:そうすか。
私は長老の背後にはエホバがいらっしゃるので、長老は原則に反しないと思っています。ゆえに、原則を教えてもらえると従いやすいと言っているのです。
JK:そのことは肝要かもしれないが、わからなくても従うことが肝要。
K:原則がわからなくても従うのですか。それは危険だと思います。
JK:それは姉妹の考えだ。
K:私の人生ですから、私にはエホバのお考えであることを確信する必要があるります。疑っているのではなく、敬意をこめて心から従うために兄弟たちのお考えは理解できなくても、背後の原則がわかるゆえに従おうと思いたい。
JK:それを言うことが出来ない要素が非常に多い。事情を考慮し、数多くの原則を考えて決定を下すので、説明する必要もないし、そうしない方が姉妹にとって良い。そのことが85年の資料、迫害に備えて、わからなくても従うよう自分を訓練するように勧められている。
K:資料には、牧羊に関して原則があり、出版物があり、というように言われています。
JK:それは基本的なことだが、長老の判断を詮索すべきでは無い。
K:私がしたことはすべて詮索なのですか。