【耳ふさいでて】

(29)【本田望結の《穴》を探せ!】

「手強い子役」だ。

"仕上がり方"が違う。
とっくに肩は暖まっているし、走り込みも万全だ。肩慣らしで150kmを投げ込んでくる感じ。

そして、そのことに今さら驚く気もしない感じ。

ヒット作を持つ女優で、フィギュアスケーターで、バラエティ番組の常連。どれも水準を超えている様を存分に見せつけられている感じ。K-POPグループのメンバーみたいな顔も特定のファンには好まれそうだ。テレビにとって明らかに役に立つ存在。

対極的な子役タレントである鈴木福クンを旧来型の「典型子役」とするなら、その対比で本田望結の性質が浮かび上がる。

鈴木福クンの場合、懸命に《舌足らずな口調》をキープすることで、「常に仕上がっていない感じ」を醸し出している印象がある。福クンは《子供的技能に長けた子供》であり、「拙さという芸」に長けているという点で、旧来型の《可愛いから子供》という既定路線なのですね。
福クンに求められていることは、動物好きの人が仔犬を抱きながら「可愛い~」と陶酔する時の仔犬の役割なのであって、つまり、その犬は「早く走る」とか「麻薬を嗅ぎ分ける」とか「番犬として有能」とか「変わった芸をする」という技能は一切求められておらず、ただそこに"仔犬"として在ることだけを求められる感じ。むしろ、《無能》であった方がポイントは高いとさえ言える。
「できない」ことを求める需要に《子供属性》はうってつけだから。だって、具志堅用高・蛭子能収クラスになってようやく認められ、需要を得られる才能・生理としての《天然という無能》を、福クンときたら「子供であること」の意味づけだけでスンナリと獲得してしまうのだから。子供であることをいいことに《天然》を誤読させてる感じだ。だから、福クンの提示する「できない」にはすごく安心感・安定感があって、ユーザーに心地いいわけです。福クンを見る限り、「できない」と「子供らしい」は同義語だ。
※もちろん、その「子供らしさ」を作為的にやってこなす鈴木福が真に子供らしいはずはないのですが…。

ところが、本田望結の価値はそーいう安心感・安定感とは対極にある。

本田望結の本質は《大人的な技能の子供》であり、どちらかと言えば「大人の部の序盤」みたいな立ち位置。だから、本田望結のことは《変種の大人》と見るべきかも知れない。安達祐実もこのタイプだった。(福クンは「子供の部の終盤を延長中」って感じ)

さっきから僕は鈴木福には「クン」をつけるのに本田望結は呼び捨てにしてしまうのだけれども、それだけ、本田望結には暗黙の信頼感があり、こちらの要求に応えてくれる「一端(いっぱし)以上の自立した人間性」を感じさせられてしまうのだから仕方がない。
だから、本田望結が何を成しても、もはや「健気(けなげ)」では全然ない。それは、《旧来型の子供らしさ》の放棄に等しい。「健気さを捨てたガキ」という矛盾。《子供属性》を「できない理由」に使うのではなくて、「やっていることの悪条件」として偉大さを水増しさせている感じ。つまり、《子供なのにここまでの完成度》という高みを見せることが本田望結の存在意義であるし、《完成度》の記録更新がその使命だ。言うならば、「記録更新系」の選手なのだと思う。

そうそう、本田望結は《選手》的だわ。

フィギュアスケートをやっているから、というのではなくて。「できること」を並べ立て、プレゼンテーションしている感じが。常にその質と量がモノを言ってる感じ。才色兼備・文武両道・豪華絢爛・問答無用な印象を押し付けて来る感じ。

福クンが「出来そこないだから可愛い歳の離れた末っ子(恥かきっ子)」であるならば、本田望結は「東大に入学した長女」ってところか。目に入れて可愛いがるよりも、表に出してご近所に自慢したい。親の鼻は高々。いわゆる自慢の娘だ。

また、世間も俺もそーいうことに素直に感心してしまうのだな。そんで、当人は世間のそーいう反応なんかとっくに織り込み済みで意気揚々だ。どの番組で見ても本田望結は両手を腰にあてて胸を張り、「あーっはっはっは!」と高笑いしているように見える。

うーん…。

僕は、ここまで必死で言わないように我慢していたのだけれども、本田望結の在り方は子供として生意気なわけです。なんか、ムカつくわけです。おめーなんか子供じゃねーよ!と言ってやりたい気分なわけです。

だからと言って、本田望結の落ち度を探そうとするほどに彼女が完璧であるように思えてしまうのだから気分が悪い。いや、完璧だなんて思っていなかったはずなのに、「意外と《穴》がない」という観測が逆説的に本田望結を「完璧」と錯覚させる。悔しい。ムカつく。
仕方ないから、我々は本田望結のことを「生意気」とか「ムカつく」とか情緒的に悪口を言うだけ。いい大人が少女に向かって必死に悪口言ってる構図。オトナゲ無いが、相手は《変種の大人》だから。仕方ないだろ。

チキショー、本田望結は本当に完璧だってのか?

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ねぇ、ちょっと耳ふさいでて。
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本田望結に《穴》があるとするならば、結局は「子役という属性」に尽きるでしょうな。

子役がつまづくケースと言えば「親のトラブル」と相場が決まっている。離婚トラブル、借金トラブルね。親と事務所の間で金銭トラブルが起こることも少なくない、と。子供が稼ぐ大金に親が溺れてしまうわけですね。

宮脇健(旧・康之)、杉田かおる、坂上忍、安達祐実…など、悲劇的な事例は少なくない。

だとしたら、本田望結も親に《穴》があるのではないか。親の金銭関係を洗え!(…って、本田望結を引き摺り下ろすことに何故、僕は必死…?) ⇒僕達はどこかで「子役がつまづくこと」を確信しているし、期待していると思いません?

本田家の長女を除く長男・次女・三女・四女がフィギュアスケートを習っていることは有名だ。そして、フィギュアには莫大なお金がかかることも。スケートを5歳で始めて20歳でオリンピックに出場するまでに一人の選手に1億円の自己負担が必要になるんだってよ。ところが、本田家にはフィギュアの選手が4人も!
本田望結のタレントブレーク前からフィギュア教育が続けられているわけだから、本田家は望結の稼ぎに依存していないということがわかる。お金を持ってるし、地に足がついている感じ。

本田望結に限っては親にも《穴》は無かった。完璧だ。

いや、待てよ。

《子役事業の穴》があるとしたら、それは母親なのではないか?

安達祐実の母親やビッグマミィ・美奈子の「しでかしちゃった」ケースを思い出せば、どこからでも簡単にほじくれる墓穴を掘るのは母親なのではないか。子供の人気に舞い上がって表舞台に出ちゃう母親が《穴》になって子供の足を引っ張る、と。(美奈子は"変則的な子役の母親"であると僕は思う)

本田望結の完璧な芸能活動がつまづくとするならば、それは、本田望結のお母さんがヌードになる時なのか…。

…って、いいわ、俺。遠慮しとくわ。
本田望結は地道にフィギアと女優をやっててください。
もうムカついたとか言わないから。

母親のヌードと子供には勝てねーわ…。