【耳ふさいでて】

(28)【宮沢りえへのおせっかい】

宮沢りえの情報は"飛び飛び"に届く。

っつか、"飛び飛び"であるような気がしている。
実際には情報、多いんスけどね。

2014年は特に多い。
美輪明宏の半生を題材にした舞台『MIWA』(作・演出:野田秀樹)の演技に対して第39回菊田一夫演劇賞・演劇賞を受賞したのは今年のことだし、りえママが亡くなったのも2か月前だし。そして今回は、映画『紙の月』で「第27回東京国際映画祭」観客賞と最優秀女優賞を受賞。映画の公開に先駆けて宮沢りえがメディアに露出中だ。

ところが、立て続けに飛び込んできた今年の情報でさえも、僕には"飛び飛び"であるように思えてしまうのだ。だって、情報と情報の狭間で、宮沢りえはいつも長く休養しているイメージがあるから。アメリカの自宅で。休養と再活動を交互に繰り返しているみたいな印象。僕の勝手な思い込みで。そのせいか、宮沢りえの方が高倉健よりも「不在感」が強いように思えてしまう。どう考えても、高倉健よりも宮沢りえの方が情報も露出も多いのに。

だから、新しい話題でメディアに登場する宮沢りえを見るたびに、僕にはそれが「活動再開」「復帰」であるように思えてしまう。
そして、こんな言葉を心の中でつぶやく。

「お久しぶり。元気にしてた?」
「ちゃんと食べているの?」
「悩んでない? 大丈夫?」

そーいう"おせっかい系の質問3連発"が僕から宮沢りえへの挨拶だ。いつも。

そう、僕は親戚の「おせっかいなオバサン」みたいだ。親戚のオバサンが出会い頭に心配系の質問ばかりぶつけてくるのと同じだ。「痩せたんじゃない?」とか。そして、そのオバサンの指摘がトンチンカンな感じも似ている。だって、オバサンは「僕の小学生時代」と今の僕を比較してモノを言ってるんだもの。トンチンカンだよな。何故か、オバサンは小学校から後の僕を見ていない。っつか、記憶していない。15年前の法事や10年前のイトコの結婚式で会った時のことはまるで無かったことのように小学生時代のことばかりが引き合いに出される。「あの頃、頭がよくてね、教師になればいいと思ってたの!」とかアラフィフのオッサン(←俺)に言うなって。僕、教師にならなかったし。今は頭が悪いみたいな言いぶりに軽く傷つくし。

宮沢りえに関して僕が比較対象にしているのも2つの時代に限定される。それも、大昔の時代だ。常にその2つの時代と比較して心配して、おせっかいしている感じ。

まずは、「ぶっとび~」だった時代。
ドラマ・紅白歌合戦出場・『みなさんのおかげです』・ふんどしルック・『Santa Fe』(ヘアヌード)・婚約発表・婚約解消とサプライズ満載の時代。あり得ないほど輝いていた。僕達はりえちゃんだけ見つめていればそれで事足りた。宮沢りえが駆け抜けた時代。1987年から1992年まで。ほぼほぼバブル景気と一致してる。それが、いきなりの《絶頂期》。
宮沢りえの場合、《絶頂期》の印象が強過ぎる。だから、宮沢りえが「あの頃にしでかしたこと」を思いだせば、それと連鎖して、当時の僕の周辺の出来事が思い出せるくらいだ。
『Santa Fe』をアイツんちで見たはずだから、あの頃はアイツがパートナーで、つまり、あのプロジェクトの仕事をしていたってことで、あ~、仕事帰りにカラオケに行ったな。アイツはバブルガム・ブラザーズの『WON'T BE LONG』を歌った。ってことはCHAGE and ASKAの『SAY YES』もその時代だわ。ってことは、僕の当時のカノジョは…。と、僕の人生の年表上で《基準点》として機能するぐらいに宮沢りえの《絶頂期》の印象は強い(同様に、親戚のオバサンにとっての僕は《小学校時代》の印象が強いのだろう…)。の名残りで、僕は未だに「りえちゃん」と"ちゃん付け"で呼んでしまう癖が抜けない。(オバサンは今でも僕を"ちゃん付け"で呼ぶ…)

で、その直後、宮沢りえは自殺未遂、激ヤセ、不倫、バッシング…と負のサプライズを続け、芸能活動を休止。このことで《りえちゃんの絶頂期》が終わった、との印象を世間も僕も強く抱いたわけです。逆説的に《絶頂期》は輝きを増して記憶を塗り替えたし、そこからは何もかもが不幸に転じ、停滞した印象を残した。

この《転換期》以来、宮沢りえはいつも痩せているし思い悩んでいるような気がしている。そして、アメリカで休養し、芸能活動を休んでいるイメージ。「沈んだまま」というイメージ。僕はこの《転換期》のイメージをテンプレート化して、「りえちゃんは痩せていないか」「不幸になっていないか」「休養しているのか」と心配の種にしている、ってわけですね。

そんなことないのにね。
だって、《事件後の宮沢りえ》は、五郎さん(田中邦衛)と露天風呂で混浴したAV女優とか、数々の映画賞受賞とか、結婚・出産・離婚とか、天海祐希の代役の出来栄えが素晴らしいとか、どれも話題になったのに。

「10年前のイトコの結婚式」を忘れている親戚のオバサンのように、僕も《絶頂期》と直後の《転換期》で記憶(っつか、深い関心)を停止してしまい、以降の出来事に無頓着でいるだけのこと。そして、《絶頂期》《転換期》と《今の宮沢りえ》をダイレクトに結び付けて評価してしまう。例えるならば、ゴジラ映画が第一作目とは個別に繋がっているけれども、それ以外の作品間にはほとんど連携が無いというアレに似ている。だから、印象が"飛び飛び"になってしまう。トンチンカンだ。

そんなわけだから、僕はどこかで宮沢りえの《絶頂期のアレコレ》が「宮沢りえの代表作」であると認識している節がある。美少女と、サプライズ(ふんどしルックや婚約)と、しょっぱい楽曲と、ヘアヌードが「宮沢りえの代表作」である、と。
どう考えても、《絶頂期》よりもそれ以降の方が女優としてレベルの高い仕事をしているのにね…。

そーいう変な思い込みで
《今の宮沢りえ》を過小評価してる人、多くね?

《絶頂期》に比べ、《今の宮沢りえ》の何が不足だと言うのだ!?

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ねぇ、ちょっと耳ふさいでて。
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今回のメディア露出で僕は気づいた。

僕は、宮沢りえが(飛び飛びに)出て来るたびに「たったひとつのこと」を気にかけていたのだった。(アナタも同じじゃないですか?)

【ホッペに肉は有るか・無いか】

それだけ。

今回はホッペに肉が無かった。「すわ、激ヤセか!」と僕の心配の虫が暴れ始め、こうして"おせっかいなこと"を書いているわけだ。

今にして、『Santa Fe』の魅力は"肉"だったのだな、と思う。太っているという意味ではなくて、肉が肌を押し上げる感じとか肌の張った感じとか。若い女の裸の魅力はつまりは"肉"に集約されるのだと思う。

一方、過去の激ヤセ事件を僕達は《絶頂期》との対比によって、このような文脈で把握していたはずだ。
【宮沢りえは『Santa Fe』の"肉"を失くした=宮沢りえは《絶頂期》の幸福感を喪失した】
そーいう思い込みがある。

だからこそ、"肉"が宮沢りえの幸福のバロメーターだと思い込んでいた。そして、宮沢りえの場合、"肉の喪失感"(=激ヤセ)と《不幸》が一致したことを経験的に知っているからこそ、そのことを必要以上に警戒し心配する習慣を身につけてしまった。

…と、言葉にしてみると、よ~くわかるけど、この理屈はトンチンカンだぞ。
40歳の宮沢りえと
『Santa Fe』(10代のりえちゃん)を直接比較しても何の意味もねーわ。40歳の宮沢りえには『Santa Fe』の"肉"なんか、もう必要ないし。どちらかと言えば、40歳の宮沢りえの魅力は"骨"だし。
もういい加減に、僕達は宮沢りえを《絶頂期》から解放すべきだし、僕達も《宮沢りえの絶頂期》から解放されるべきなのだと思う。

それにしても、《世間的な不幸》とはむしろ「肉がつくこと」であるわけでして、そのことを思うと、宮沢りえの『平凡を許されなかった人生』(←本日11月7日オンエアのNHK『あさイチ』でも同様の発言あり)の数奇な運命に同情を禁じ得ないわけであるのだが…。

僕にとっては《僕の
ホッペやお腹の"肉"》が不幸の種だわ。
平凡で申し訳ないが。それが現実だわ。

「あの頃は痩せていたのよ!」

オ、オバサン、また小学生時代の話ですか…。とほほ。