【耳ふさいでて】

(10)【竹田恒泰のラストピース】

一種のパズルだと思ってほしい。

断片化されたピースをボードに当てはめるように配置していくことで、最後に「何かの全貌」が完成する。ジグソーパズルのような。

ただし、ピースの選択に自由はない。僕が手渡したピースから配置していってください。

最初のピースは「皇族」と「華原朋美」。次に「愛国思想」と「畑山亜梨紗・元AKB」。

アンバランスですね。
縦軸で「皇族」と「愛国思想」は結びつくものの、横軸との関連性があまりにも希薄。「華原朋美」と「畑山亜梨紗・元AKB」の縦軸も関連があるようで無いし。
ボード上の色彩が統一されていない上に、互いに殺し合っている感じ。紫の隣に赤とピンクを配色すると、すっごく下品に反発し合うという感じ。

ゲームの進行としては早過ぎると思いながらも、ここで主役のピースを投入することにする。ジグソーパズルで、ミッキーマウスの顔部分を先に置いてしまうような先走りだとは重々に自覚。

現在アンバランス中のボードの中央部に竹田恒泰氏の顔を置いてみる。ただし、この時点では、そのプロフィールには触れず、ビジュアルにだけ注目。
ボード上の5つのピースの関連を想像すると、それなりの物語が
ボンヤリと浮かぶ。

この時点で、「竹田恒泰氏の顔」は印象としてこんな風に見える。
■皇室を敬い、そのことを勉強している人であるらしい。マジメな印象。
■ともちゃんファンか畑山推しのサラリーマンかもしれない。
■ともちゃんに憧れて「この道」に入ったお笑い芸人であるかも。(畑山とは共演が多い等)

そこそこ微笑ましい状況ではある。
例えば、「薄給だから3日に一度はカップ麺」なんてイメージも浮かび、ほら、それは微笑ましい好青年ではないか。なんか"いい話"っぽいと言うか。好きな芸能人(ともちゃんや畑山)のことを話す時には赤面してしまうような純情でシャイなイメージが僕には浮かぶ。

…と幻想を語っていても仕方がないので、この辺から竹田恒泰氏の現実のプロフィールをピースとして配置していくことにする。

「3日に一度はカップ麺」ではないぞ、この方は。

皇室を敬ってはいるけど、彼自身が旧皇族だ。
薄給でもあり得ず、二重の意味でカップ麺はあり得ん。

では次に、「薄給でない根拠」のピースを配置していきますよ。

『元・慶応大学講師』という肩書き。
お、ボード上の色彩が変わり、物語も変わった。

ともちゃんと畑山は彼が憧れているアイドルではないようだ。かと言って「教え子」とも考えにくいから「彼を尊敬している女性」ぐらいの関係か。いや、ここはズバリ「交際相手」と見るべきか。

更に「作家」の肩書ピースを置くと、「交際相手」の線はますます濃厚だ。モテるんだろうな、と。姜尚中みたいに女性ファンがつくんだろうな、と。姜尚中と竹田氏は思想的には逆ベクトルだが、「思想作家がモテそう」という下衆な羨望の中では同族だ。

旧皇族で元・慶應大学講師、作家の肩書きはボード上で強烈に主張するが、ここまでならば、竹田氏の外見の「素朴感」も手伝い、それをフェミニンな印象と受け取ることができないではない。(あの外見にはそのようなアドバンテージがあると僕は思うな)
ストーリーとしては、例えば、穏やかな皇族口調で愛国精神を説く竹田氏の眼を見つめながらニコニコと頷いてみせるともちゃん。やがて、どこかの取材でともちゃんの口から「美しい日本」なんか語られてみ。軽く美談だ。朝日新聞がコテンパン状態の今なら、国民の理解を得やすそうだぞ。そうなれば、竹田氏とともちゃんの関係も「さわやか」だ。ともちゃんの理解ってのがいいなあ。

さて、次に置くピースは、と…。

(Wikipediaを参照中)

■生年月日は非公開。
理由は「氏名と共に知られると呪いを掛けられるから」
■慶應義塾高等学校時代にディベートのインターハイで準優勝。
■環境問題・憲法学・孝明天皇などについて研究。ただし「学術研究」ではない。
■慶應義塾大学大学院での非常勤講師職は契約更改はされず14年度限りで退職。竹田氏を講師に招いた人物は苦言。
■主宰する「竹田研究会」(憲法・国史・日本神話などを教えている)には33000人以上が会員登録している。
■2012年より週に一度のニコ生配信(竹田恒泰チャンネル)。
■オリンピックの日本選手へ宛てて、「メダルを噛むな」「国歌が流れる際には直立不動で歌え」とつぶやく。

各ピースのベクトルがバラバラなので、置くたびにボード上のバランスが大きく変わっていく。必然的に全体のトーンが変わり、個々のピースの意味合いさえもグルグルと変容していく。

なんか、風向き変わってきたなぁ。
っつか、フラフラしてきた。
最初の純情でシャイなイメージは完全に変容した感じ。

ボード上の空気が危うくなってきた。

そうなると、ボード上で大きな意味を成し、鍵となるピースが「華原朋美」と「畑山亜梨紗・元AKB」の2ピースであるように思える。いや、扱い方次第では爆弾である可能性も。
その扱いによって、竹田恒泰氏の印象が「善」にも「悪」に転ぶ。

そして、「華原朋美」「畑山亜梨紗・元AKB」の2ピースの色合いを決定するのが《最後の1ピース》だ。

《ラストピース》は何であるのか…。

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ねぇ、ちょっと耳ふさいでて。
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日本人は喜怒哀楽などの感情が顔に現れないって言うわけでしょ。アルカイックスマイルだっつって。その分、能面などは無表情なのに、身体全体とのバランスをつくる角度だったり微妙な揺れなどで感情を表わすわけでしょ。

今、僕達が作っているパズルも、最後の1ピースでその感情や性格付けが確定すると思うんです。最後のピースは言うならば「目」で、これが笑っているなら、絵全体が明るいトーンになるし、怒っていたり悲しんでいたなら、そのようにトーンを確定する。
まさに「画竜点睛」。そして、日本的。

竹田恒泰氏のパズルの《最後の1ピース》は、一般大衆からの「感情票」だった。「好ましいか否か」というジャッジだった。

ここまで出揃ったピースを元に一般大衆は判断を下すわけなのだけれども、我々が強く意識したのは意外にも「愛国思想」ではなかったし、「慶應大学講師を巡るアレコレ」だとか「過激な発言」でもなかった。
「客観的に見て好ましいか否か」というのは実に単純なことだった。竹田案件に関しては、早い話が「交際期間が長い=好ましい」「交際期間が短い=好ましくない」という二元論的線引きでしかなかった。ただそれだけの感情的な評価によって「一個の人間の善し悪し」が測られてしまうことは理不尽だが、要因としては現に絶大だ。(我々はそうやって何人もの芸能人達を葬ってきたわけで…)
その点、ともちゃんの件など、彼女の「過去の恋愛歴」を思えば《無限の美談》に持ち込めたチャンス案件だったろう。3年間も持ちこたえたならば竹田氏の好感度も青天井だったろう。感情票は「好ましい」で埋められたはずだ。(例え、3年後に破局したとしても、だ…)

四ヶ月で破局はまずかったな。
そんで、畑山は七ヶ月。

竹田氏と華原・畑山サイドからは食い違う言い分が噴出し、どちらにも非があるようで後味の悪い芸能ゴシップとなった。売名や話題づくりだったとか、交際の事実は無いとか、当事者以外には判断しようもないことなのだけれども、アイドルを相手にしたことで、世間の下世話な感情を荒立ててしまった。

でもね、その感情は「愛国思想」であるよりも、彼の外見的印象に集中しただけで彼は無傷であるようにも見える。

「あの顔とアイドルは不釣合いだろ」

結局、我々が言いたかったのはそれだけだった気がする。一般大衆が投じた「感情票」の実態なんてそんなもんだ。
このパズルは完成してみれば、各ピースが大仰だった割には全容として下衆だった。しかも、「最も枝葉的なピース」によって美談が取り消されてしまった感じ。がっかり。でも、世間の下衆な感情ってそんなものだから。(そこんところを旧皇族に知っていただきたい)

あ、いけね。忘れてた。
そもそも、交際相手のピースが二つあった時点で、この話は美談ではあり得なかったのか…。迂闊にも見落とした。

僕を油断させたのは…

やっぱ、竹田氏の顔だよな。
一見、好青年で微笑ましいんだもん。純情でマジメでシャイに見えるんだもん。

僕なら、あの顔を活かしてプロデュースするけどなぁ。アドバンテージあるもんなぁ。