ご無沙汰しています。
みなさん、お元気ですか?
私は、最近は、被曝症状の自覚症状は、ほとんどありません。
手の皮が最近、また、むけ始めていて、これが放射能によるものか、洗剤か何かにかぶれたのか??というくらいです。
心臓の症状は、去年、ゴールデンウィーク辺りに上野に行った時には、出ましたが、横浜で生活するだけなら、出なくなりました。

でも、経過観察中のものがあって、子宮筋腫と甲状腺。

子宮筋腫は、原発事故後、急増して、5〜6個あり、痛みがでたら、手術と言われています。

甲状腺は、原発事故後、2011年の血液検査で、甲状腺炎の数値だと言われました。経過観察していて、数値は、その後、正常に。
エコー検査は、2012年に京都在住の時に初めて行い、その時は数ミリの嚢胞が1個だけで、問題ありませんと言われました。

しかし、2014年に関東に戻ってきた直後に検査すると、4個に増えていて、びっくり!腺腫様甲状腺腫ですと言われ、形状的にみて、悪性の可能性は低いと言われました。

京都にいる間に増えたわけだから、放射能ではなく、仕事がなかったり、ブラックな会社で働いたりして、かなりのストレスがあったから、それが原因かなあと思いました。

2015年には、いくつかあるうちの1個が大きくなっていたので、私は気になったのですが、お医者さんには、液体なので問題ありませんと言われました。痛みが出たら、注射器で、中の液体をぬくのだと言われました。

今年、2017年に検査すると、また、大きくなっていて、なんと3センチに!ちなみに、2015年は、1.7センチでした。
前回は、1、2年後に経過観察と言われたのが、今回は、半年後の経過観察に変わりました。
「注射器で液体ぬくのですよね?」と確認すると、注射器ではうまくとれない場合もあって、その時は切るのだそうです。ガーン( ̄◇ ̄;)

注射器で液体ぬくというので、安心していたのですが、切らないといけないとなると怖いし、また、仕事やめないといけなくなります、、

仕事なくなっても、経済的に援助してくれるパートナーがいるわけでもないし、また、貯金切り崩しの生活が、、

血液検査での癌の数値は、下がっているし、悪性ではないので、痛みがでるまでは、経過観察ということです。
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ご無沙汰しております。

私は、あれこれ、被曝対策していたら、被曝症状が出なくなり、今は、元気に過ごしています。


バレエのレッスンにも通って、運動もしていますし、派遣で働きながら、撮影の仕事も、たまにしたりしています。


関東にもどる時には、放射能に弱い体質の私が関東にもどったら、長くは、生きていけないだろう、心筋梗塞で、1年以内に死ぬかもと、死ぬ覚悟でもどってきたのですが、ほんと、人生どうなるか、わからないものですね。

もちろん、今、自覚症状がなくても、いつどうなるかは、わからないわけですが、、

どうしても、心臓に症状が出ると、気になるし、いつ死ぬかもしれないという恐怖がずっとあって、生活を楽しめないでいたのですが、症状がでなくなって、気にしなくてよくなったのは、うれしいことです。

もちろん、被曝症状出なくても、被曝対策は、しっかりしますけどね。


食物気をつけたり、サプリメントいろいろとったり、横浜より汚染の高い東京方面には、あまり行かないようにしたり、連休の時は、できるだけ西日本に保養に行ったり、外ではマスク、そして、外を出歩くのは、必要最小限にしたり、あれこれ対策しても、昨年の春くらいは、微熱が続いたり、身体がしんどい状態が続いていました。


これ以上、どうすればいいのだろうと悩んでいたのですが、私は、以前、気導術の気の教室に通っていて、気を使うことができるので、毎晩、寝る前に、30分くらい身体中に手で気を入れて、身体をケアしてから寝ることを始めてみました。


すると、そのころから、身体が元気になったのです。

今は、心臓にも症状が出ないし、手荒れもないです。


気功の先生で、被曝症状出ている人を気功で治療している方がいらっしゃいましたが、やはり、気は、放射能に効果があるのだなあと実感しました。


その気功の先生は、慢性疲労症候群(ぶらぶら病)の患者さんを治療したことがあるとおっしゃっていましたし、気導術の先生も、慢性疲労症候群の患者さんを治療したことがあるとおっしゃっていました。

今の西洋医学の技術では、被曝症状は治すことはできませんが、東洋医学では、被曝症状のどのくらいまでかはわかりませんが、いくらかは、治せるのではないかと思っています。

気導術は、脳にも、効果を出すことができるので、脳障害も少しは治せるのではないかと期待しています。


「気」といっても、全然、知識がない方には、ちんぷんかんぷんだと思います。

身近なものでは、ヨガが「気」が関係しています。

空手や合気道は、強くなるために、「気」を使います。

鍼灸では、「経絡」という気の通り道が出てきます。


気功には、内気功といって、自分の気のエネルギーを高めて、身体を健康にする方法と外気功といって、気を使って、人を治療する方法があります。


癌の名医の帯津先生が呼吸法や内気功を使って、癌治療に取り組まれているのは、有名です。

朝晩の気功や呼吸法を欠かさず行って、末期の癌患者の方で、自然治癒力が増して、健康になる方も多いそうです。


内気功は、だれでも、簡単にできますが、外気功の場合、修行が必要でなかなか、気を使って人を治療できるようには、なれません。


しかし、気導術の場合、伝授という方法で、気導穴を開放してもらうので、すぐに人を治療できるようになりますし、多くの気のエネルギーを取り込めるようになります。

また、気功の場合、自分の気を使いますので、人を治療する場合、自分の気のエネルギーが減るので、あまり治療しすぎると、病気になったり、早死にしたりする危険性があります。

しかし、気導術の場合、自分はパイプ役になって、外界の気をいれるだけなので、そういった危険性がありません。


気がどういうものか知りたい方は、気導術の無料体験説明会に行けば、無料で体験できますし、自分が悩んでいる症状が気導術で治る可能性があるかどうかも、相談できると思います。


自分で身体を元気にしたい場合は、気導術の自己エネルギー注入法が、気導術学会のホームページで紹介してある「気の秘密」という本に書いてあります。


気導術学会のホームページ

http://kidojutu.com/


気導術以外にも、気功の本もいろいろ出版されていますし、お金をかけたくなければ、本を買って、自分で取り組む方法もあります。


私は、本格的に習ったのは、気導術だけで、気功(内気功)は、ネットや本に書いてあるのを見てちょっとやってみたり、スポーツクラブなどで、数回、習っただけのかじった程度なので、詳しくはありませんが、気功も、流派や種類がいろいろあるようです。

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「ニューヨーク医大教授の手の刺激 健康・長寿術」 大村恵昭

治療院で紹介されたこの手のツボの本、即効性があって、びっくり!
中指の目のツボのところを押していたら、その場で目の焦点が合ってきました。

関東にもどってから、放射能の影響か、どんどん視力が下がっていたのですが、こんなに簡単なことで、回復して、超うれしいです!

夜、寝ていても、必ず途中で目が覚めていたのが、最近、朝までぐっすり眠れるなあと思ったら、目のツボのところは、不眠のツボでもありました。

肩や首のコリも楽になるし、、
手だといつでもどこでも、気軽に出来るので便利です。

お医者さんが15年かけて、統計をとったもので、東洋医学のツボとは違うところもあったそうです。

モニター調査結果では、85%の人が何かしら効果があったとのこと。

手もみや手のひらこすりをすると、
テロメアの増加、血液循環、リンパ液の流れがよくなる、長寿遺伝子のサーチュイン1や若返りホルモンのDHEAや神経伝達物質のアセチルコリンが増加するそうです。

この本には、難病の人でよくなった例も書いてあります。

簡単にできることなので、体調不良に困っている人は、試してみる価値はあるかなあと思います。


iPhoneからの投稿
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先日、津波の夢を見ました。

私が今、住んでいる場所は、海に近いので、津波の被害を受けてもおかしくはないのですが、、


夢では、山の上で、「え?!こんな高いところまで来るの?!」とびっくりしていました。



それで、ふと、2012年1月1日の愛媛新聞の伊方の大津波の記事を思い出しました。当時は、さすがに、こんなに高くまでは、こないだろうと思っていましたが、山の中腹までくる大津波も、ありうるのかもしれないと、気になり始めました。

(新聞の写真はうまく撮れなかったので、きれぎれになっています、、)
















県内・先人のメッセージ


地名 伊方  舟 山中腹まで?


 伊方町中心部から少し内陸側に入った河内地区には、津波で浸水した境界を指すとみられる「一浪(波)」「二浪」「三浪」という地名が残る。
 郷土史に詳しい岡村豊さん(81)=同町湊浦=や地区住民によると、近年では地元でも知る人は少なく明確でないが、一浪と二浪の境界は現在の河内児童遊園付近。三浪は佐田岬半島を走る国道197号より北側の山間部が当てはまるらしい。一、二、三と徐々に標高が上がっており、地震の津波が第1波より2波、3波の方が大きくなる傾向と合致する。
 一浪と二浪の境界とされる辺りは、低いところで海抜15メートル程度。東日本大震災では津波が海抜約40メートルまでさかのぼったケースもあり、不自然ではない。
 しかし三浪の「最高点」は桁外れで、標高397mの堂堂山の中腹付近。周辺には「船頭ケ岳(崖)」という大きく岩肌が突き出た場所があり、大津波で流されてきた小舟を船頭が松の木につないだとの言い伝えが残る。ただし、いつの時代の話なのか「浪」の地名と同様に明らかでない。
 一方、国道197号に近い河内公民館そばに立つ石灯籠には「当浦安全 嘉永七寅四月吉日」と刻まれている。嘉永7(1854)年は安政元年でもある。この年の12月(旧暦では11月)、東海・東南海地震や南海地震が同時期に起きるなど、災異が続き改元された。
 東京大地震研究所の都司嘉宣准教授は、高知県での地盤沈降・上昇調査結果を基に、887年、1361年、1707年の三つの南海地震が、東海・東南海地震と同時に起きた3連動型巨大地震だった可能性を指摘する。
 岡村さんは約30年前に地域の高齢者から、石灯籠は船頭ケ岳から移されたと聞いた。灯籠はこれらの地震を住民が振り返り、安全を祈ったものだったのだろうか。
 河内地区のかんきつ農家久保常治さん(59)は三浪や船頭ケ岳周辺に園地を持ち、津波に関する言い伝えを親から聞いたこともあるという。「今回の大震災で、あり得ないことでもないのかと思うようになった」とミカンを摘む手を止め、船頭ケ岳の方面を見上げた。
(森田康裕)