エホバの証人のチラシをもらった 上編 | 大東キリストチャペル 伝道者のつぶやき

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クリスチャンのつぶやきブログです。2013年から集会所を寝屋川市から大東市にうつし、それに伴って名称も寝屋川キリスト福音館から大東キリストチャペルに変更しました。

今日の話は少しヘビーなので読みとばしていただいても構わない。
先週 エホバの証人の人が熱心に駅前でビラを配っていた。
この京阪地区で、大規模な伝道集会を行うようだ。
エホバの証人は自称「真のクリスチャン」と呼んで、他のキリスト教を偽物と呼んでいる。
また、エホバの証人以外の他の全てのキリスト教はカトリックもプロテスタントもこのエホバの証人を異端・カルトだと呼んでいる。彼らは輸血の問題とかで時々問題になって、裁判になったりしている集団だし、エホバの証人は強烈に他のキリスト教を批判する一方で、他のキリスト教の書物は読んではいけないと組織の上層部から禁止されている。
このブログでは、極力、どちらが正しいとか間違っているとかは言いたくないけれども、読者は上述の客観的事実から判断して頂きたいと思う。

自分もこのエホバの人たちと何度も話して、できれば洗脳から解放してあげたいとも思うが、なかなか一朝一夕に解けるようなものではない。それどころか、この宗教集団にはまった人たちは本当にかわいそうで、彼らの苦しみは脱会してからも続くからだ。特に神権家族と呼ばれるも家庭の子どもたちだ。一般のクリスチャンなら「クリスチャンホーム」というやつだ。要は両親ともこの宗教にハマった人の間に生まれた子どもたちなのだが、

この宗教は家族の絆もなによりも入信の有無をはかる。この宗教団体に入信しきれなかったもの、ついてけないと感じたものは、実質的に家族の縁を切られてしまうのだ。

浮いた存在。村上春樹は小説1Q84の中でこのエホバの証人を取り扱っていて、彼の言葉を借りれば「透明な存在」になってしまっているのだ。

小さいころから洗脳されてきたから…。学校でも部活でも「世の人」と一線を引いて着た。でもその一方でも自分も入信しきれず、親とも一緒になりきれない。また彼らは洗脳の過程で子どもに体罰を加えたりすることもあるので心に傷を負っている。

(予断になるが、自分も小さい頃教会でうるさくしていると、親から会堂の外に連れ出されて、静かにしなさいと、大目玉をくらったものだ。でもこれは、その宣教師の指導に依るのが大きい。半世紀以上前に海を越えて日本にやってきたのだ。北米や英国の牧歌的な教育のなごりで、21世紀の今ではさすがに存在しない。「教鞭」ということばがあらわすように百年くらい昔の学校の先生は鞭をホントにもっていたし、つい数十年前まで、教育的指導と言って日本の学校でもちょっとした体罰はあった。これらは文化的背景によって消えたりするのだが、エホバの証人の場合は世界標準で上層部である統治体が決めるから未だに体罰をするように組織内で指導されるのだ。)

彼らは組織に従順になれば受け入れられる。そうでなければ、鞭打たれる。自分を一個人として愛されているのか、それとも、「信仰」というファクターだけで峻別されていてひとりのパーソナリティーをもった個人として見られていないように感じる、私がお会いした人たちの中ではみなさん総じてセルフイメージが非常に低かった。

で、なんでこんなことをブログにのせたかというと、パウロも伝道した時、いきなり、多神教の人間に伝道したのではなく、神を恐れる人々と呼ばれる人に伝道した。同じ一神教のユダヤ教やユダヤ教シンパに宣教したのだ。

私もそれにならって、エホバの証人や元エホバの証人の方に話してみたが

⇒続く