キリストの教会(チャーチオブクライスト)やキリスト集会(プリマス・ブレザレン)は自分たちの群れのことを紹介する時に、『私たちは人間が作った一切の信条や教理や教派主義によらず、ただ聖書だけに従っています。』という人が多い。もし、このブログを読む人の中でそれらの教会に集い、前述の主張をする人がいるなら、その心意気は大切だし、尊重はするけれども、そのような恥ずかしい見当違いの主張は言うのは辞めてほしいと思う。
実は、この『人間が作った一切の…以下略』ということば自体が、聖書から直接教えられて教会が言い始めたことではなくて、人間の反骨精神や国家間の闘争や、歴史の文脈の中で生み出されてきた言葉なのである。
昨日のニュース「イギリスの君主がアイルランドを100年ぶりに訪問した」というニュースと「キリストの教会」や「キリスト集会」が主張する『人間が作った一切の…以下略』は、一見何の関係もないように見えるが実は大いに関係している。キリストの教会というムーブメントの祖はアレクサンダー・キャンベルという人だが彼はアイルランド出身である。そして日本で「キリスト集会」と呼ばれるプリマス・ブレザレンのムーブメントの中心メンバーであったJ・N・ダービーという人もアイルランド人だった…。
そしてアイルランドの歴史をさかのぼれば、英国による苛烈極まりない植民地支配があった。今もアイルランド人の血には、反英国、反英王室、反英国教会という思想が息づいている。そのような土壌の中で、キャンベルは最もその色合いの強い長老派の教会から渡米したし、ダービーもその反動で英国教会から離反する形でブレザレンというムーブメントを形成した。
彼らが主張した『人間が作った一切の…以下略』はそのような風土の中で生まれてきたんだ。彼らの思考回路はその歴史を学ばねばわからないことだし、その影響を決して軽視すべきではないのだ。考えてほしい。アイルランドは独立して何十年もたっている。100年ぶりに隣の国の女王が友好親善のために来ただけなのに、爆弾は仕掛けられるわ、暴動は起きるは厳戒態勢敷かれるはの大騒ぎだ。21世紀の今でさえアイルランドと英国の間に乗り越えられないわだかまりがあるのに、その植民地支配の真っ盛りであった18世紀、19世紀の当事者がいくら『人間が作った一切の…以下略』といったところで、その影響をうけていない訳がないのである。
明日に続く