現役信者さんと心許せる仲になれない理由。 | まいけるのおうち

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なんとか続けてます。

特定の人を指して書くわけじゃないです、そして何かがあったからというわけでもありません。あくまで僕の中での持論というかスタンスみたいなものです。

ネット上やリアルでも現役信者さんと付き合いがあるわけですが、心許せるほど親しくなれないのはなんでかな?って話です。僕の方はご存知の方は分かると思いますけど、けっこう誰とでもみんな仲良くってタイプなんですよ。JW関係に限らず社会生活でもそうなのですが。

親しくなるためにはある程度は自分の心の内を話す必要が出てくるというかそれが当然だと思うのですが、離れた元信者に理解を示してくれる現役信者さんであってもどうしても越えられない壁と言うか一線がありますよね。

それが彼らの信仰なのだから仕方ないと言えばそれまでなんですけども、こちら側が譲歩しなければ友人として付き合えないというのは寂しいものがあります。

無理もないんです。彼らは「早くハルマゲドンが来て自分たちが救われればいいのに!」と思ってるんです。それが目の前にいて親しく話をしている友人の死を意味するにも関わらず、です。「こいつら早く死なないかな。」と心の奥底では思ってるわけです。もちろん彼らは考えにも及ばないのかもしれません。

そういう一線がある以上、ある程度は付き合えてもそれ以上は無理ってことなんですよね。


現役さんと話をしてると「信仰」って何だろう?ってほんと思いますね。僕らがJWの嫌な面だとか組織が人間的に運営されていることを指摘するとすぐに「いや、大事なのは神との個人的な関係なのだから」と耳にタコが出来るほど聞かされてるんですけども、本当に信仰があるんだったら批判的な意見を聞かされても全く動じることは無いと思うんですよ。それなのに、そういう話になりそうになると必ず「それ以上は聞きたくない」と言われたり、聞いてても心の中でシャットアウトしてるのか表情が能面みたいになっちゃうんですよね。人間としての対話が出来なくなることは信仰と呼ぶのなら、それはちょっと違うんじゃないの?と無神論の自分ですら思ってしまいます。


あと、これは愚痴というか僕の勝手な言い分なんですが。

JWであるがゆえに出来ない事がある場合に「クリスチャンとしてそれは出来ない」とか言うのは止めてほしいんですよね。エホバの証人=一般的な意味でのクリスチャン、ではありませんから。一般的な意味でのクリスチャンはキリストを神とし三位一体を信じる人のことですから、そういう要素が全くない以上は自分たちのことはエホバの証人(JW)と一貫して言ってもらいたいです。キリスト教会の肩を持つわけじゃないけど、JW以外の教会の人からしてみれば迷惑な話だと思いますよ。勝手に言葉の定義を変えられちゃってるわけですから。


信教の自由だとか思想の自由だとかはもちろんJW信者にもあると思います。だけど、それを声高に叫ぶのであれば自分たちの信仰を持たない人たちの信教や思想の自由を尊重しなきゃならんのじゃないですかね? 自分は尊重してもらいたい、でも相手のことは知らん、では通りませんです。JWを辞めた人に対しても同じように考えていただきたいです。あなた方がJWでいる自由があるのと同様に、僕らにも辞める自由があるわけです。それは対等な関係であって、「離れた人だからあの人は~~」と一瞬でも考えることがあれば、それは相手を尊重出来てないということになります。繰り返しになりますが、自分たちの立場を尊重してほしいのであれば、辞めた人達の立場も尊重すべきです。


別にとりたてて変わったことを言ってるつもりはないんです。ごくごく当たり前のことを書いてるだけです。もし、この記事を見て憤慨してしまったり「分かってないなこいつ」とか思ってしまった現役信者さんがいらっしゃるとしたら、その時点であなたの信仰も信条も外部の人間からは尊重されないものと思った方がいいです。


JW信者の信仰にケチつけてるわけじゃないですからね、そこは間違えないでくださいね(^^)