まだエホバの証人で消耗してるの?w 

海老名で暮らせない一般信者の皆さん、諦めたほうがいいですよ。ベテルに住む上層部の生活援助のためにあなたたちは活動してるんですから。彼らこそが既に地上の楽園で生活してる人たちです。どんなに頑張っても彼らのような生活は無理です、諦めたほうがいいよw

このブログは更新しません。   お付き合いくださった皆様ありがとうございました。

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以前から薄々と感じてはいたのですが、ここはちゃんと記事にしておくべきかなと思いますので書いてみます。

そもそもの話なんですが、「オフ会」って何だと思います?

ネット上の掲示板やブログやSNSやオンラインゲームやチャットルームなどを利用してると自然と仲間が出来ますよね。ネット上だけの付き合いもいいけど、一度みんなで会ってお話しませんか?って流れになるわけです。ネット上はオンライン。それに対し、実際に会うのはネットではないのでオフライン。オフラインのミーティングなので「オフ会」、となるわけです。

大げさなことでも力の入った催事でもなく、会いたい人同士が集まる、それだけの話です。そこに大層な理想だとか理念だと言ったはものはありません。(政治的なオフ会ならあるかもしれませんが)

なので、オフ会に参加することで自己啓発的なものが得られるだろうとか、そこに行けば素敵な知り合いがいっぱい増えて、すごくいいことづくめなんだろうなあとか思ってると100%裏切られます。あくまでブログ上での付き合いの延長線上にあるものですから。


一時期はオフ会マニアを自称し、この10年、JW系の様々なオフ会に参加してきましたので、いろんなオフ会をこれまで見てきました。少人数から50人以上の大規模なもの、深刻にJW問題についてや参加者の社会復帰の難しさを語るオフから、エホバのエの字も出て来ないほどで終わった後に「あれ?そういやJW系のオフ会だったんだよなあ」と思えるほど笑いっぱなしのオフ会、参加者の結婚祝いを兼ねたオフ会もあれば、葬儀後の悲しくてしんみりとしたオフ会もありました。

そこに目的があるとしたら「会いたい人がいるから」それだけのような気がします。


元JW系のオフ会は当たり前ですが、参加者のほとんどが元JWという共通点を持ってるだけなので、自分とまったく同じ立場や経歴や考えの人はまずいないと思った方がいいです。そうなるための要素が多すぎますから。
・JWを辞めるに至った経緯。
・現在の家族関係。
・バプを受けたかどうか。
・自然消滅or排斥or断絶という違い(立場的には現役だけど辞めるためにどうして良いか思案中の人もいました)
・離れてからの年数。
・JW時代にやってたいわゆる特権(長老・しもべ・開拓者といったやつね)
・現在の職業。
・学歴や職歴
・1世or2世3世?
・神権家族か片親が信者か?
・JWという宗教に対するスタンス

ざっと思いつくだけでもこんなにあるんです。多種多様な人たちが集まりますから、実際に会ってみて話してみると「へぇーこんな人だったんだ」と分かることもありますし「なんだか嫌な人だなあ」と思うこともあると思います。

ネット上だと文字しか見えませんので、大抵の場合はその人物がカッコよく見えるんです。だって、自分の良い部分しか書いてない場合が多いですし、自分の嫌な面は隠しますし、そのことに自分では気づいてない場合すらあります。逆に、えっ?と思えるほど自虐的なことや品のないことを言ってる人ほど、実際に会ってみると常識人だったりします。僕に関して言えば、だいたいの人が会った後にこう言ってくれます「実際に会ってる時はあまりしゃべらないタイプなんですね。ネットだとあんなに明るくて多弁な印象なのに」と(^^;;;

何がいいたいんだって? 「ネット上だけではその人の本当の姿は分からない」ということ、です。

以前、こんな記事も書いてますので、併せてお読みください。
「注意喚起情報」


話は元に戻るんですが。

そんなわけで、オフ会なんてものは大層なものではございません。ただの飲み会だったりすることも多々あります。真剣にJW問題について討論したいというオフ会だったら会議室を借りてやったりするみたいですけど、そういうのは年に1回あるかないかのことだと思います。

なので、オフ会について真面目な話し合いの場になってるんだとかそういうことはあまりないですし、今後の元JW界はどうあるべきか、なんて話はまず出て来ないと思っていただいて結構です。集まった人たちで力を結集して何かを今後やっていこう!なんてのも無いですね。自分のことを聞いてほしいとか同じような経験をしたから共感できるとか、そういったことの方が多いと思います。


集まりたい人たちが集まりたい場所で会って話をするのがオフ会なのだ、と前述しましたように、一本化された元JWのオフ会というのがあるわけではないです。あくまで、それぞれで集まってやるだけのことなんです。過去には同じ日付で別々の人が東京と大阪と言った具合に元JWのオフ会があったこともありましたし、3か所の時もあった気がします。都合のよい日を選んだら、たまたま重なっただけなのですが、どこに行くかは参加者の自由なわけです。それぞれのオフ会の幹事さん同士が連絡を取り合って、などということもなかったです。

前回記事の事柄にリンクしてしまうのですが、極端な話、東京で2か所別々の人が同じ日の同じ時間にオフ会を開催なんてことも僕としてはアリだと思います。基本に戻りますが「会いたい人が会いたい時に会う」それだけのことですから。仮に、僕が主宰したオフがあって、別の人が故意か悪意かは分かりませんけど、同じ日にぶつけてきたとしても、です。僕よりも別の人のオフ会の方が楽しそうだなと思う人はそっちへ行くでしょうし、僕に会いたいと思う人は僕の主宰するオフ会に来るでしょう。参加予定者が全員別の人のところへ流れたら、それは僕の魅力が足りなかったんだと素直に思います。別に勝ち負けでオフ会やるわけじゃないですから。連絡を取り合って一本化しましょとか、片方が日時をずらすべきなんて論外です。やりたいようにやればいいんですよ。

和を乱すとか、みんな元JWなんだから一緒に仲良く、とかそういう発想から離れてほしいです。元JWという共通点があるだけなんです。元JWだから一致しているべき、という考えもあるのかもしれませんけど、僕としてはそれは絶対に無いですね。ここは重要なので完全否定しておきます。

今回、他の方のブログのコメント欄を見てて、上記のように思う方が意外なほどに多いのだと心底ビックリしました。僕のJWを離れてからの年数の長さやオフ会参加の回数が多いゆえに見えてしまうことなのかもしれませんが・・・。


オフ会幹事についても書いておきましょう。

いろんなケースがありますが、主催者(呼びかけ人?)が幹事をすることもあれば、人数が多いので主催者・幹事は別ということもあると思います。大規模オフでは会計係・誘導係までいることもありました。幹事さんの役目は一般社会の幹事さんと同じで、場所のセッティングや参加者への連絡、当日の会計の取りまとめ、などを行う人のことです。主催者も幹事も経験済みですが、主催者だから偉いとか幹事だから偉いとか、そういうことは一切ありません。その役割を果たしてるだけですし、オフ会をやるために必要だから存在するだけなんです。殊更に持ち上げる必要はないです。

一定人数を超えると主催者と幹事の両方をこなすのは難しくなります。人数が増えるとどうしても当日のドタキャンが入ったり、逆に開始直前にどうしても参加したいという人が増えたりと人数の増減に対応しなきゃならないですし、集合場所に集合時間どうりにこれなかったりする人が出てくると、迎えに出たりと、なにかと忙しいわけです。自分が楽しみでオフ会を呼びかけたのに、終わってみたら自分はあまり参加出来てなかった、楽しめなかったでは悲し過ぎますよ。そんなわけで、主催者と幹事のダブルチームだと物事がスムーズに行きますし、みんなが楽しめるオフ会になることが多いです。なので、オフ終了後には主催者と幹事さんには「お疲れ様」と声をかけてあげてくださいね。


参加する時にどういうメールを出すと良いかとか注意事項とかはこちらの記事 が参考になるかと思います。



長々と書きました。

多少分かりづらい面もあったかもしれません。分かんないことがあったらコメントくださいませ(^-^)
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東京あたりは桜が咲いてるそうですが、こちらはまだまだあと2週間くらいはかかりそうです、今日なんて雪交じりの寒~~~い天気でしたよ。道路の気温表示は0℃とか書いてあるし、まだまだ春は遠いなあという感じがしてますが、皆様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか?


僕の方はとにかく仕事が忙しくて1年で忙しさがピークな時期ですので、今日も午前中は仕事をして昼からは家族サービスをし、帰宅してから洗濯物を干して食器を洗って一息ついてるところでございます。忙しくもありますが、でも、こういう充実した時間にふと家族の有難みですとか喜びを感じることが出来てるのは良いことなのだろうなあと思ってます。

JWの活動を完全停止して14年、ネットを始めてJW系を覗くようになってほぼ10年が経ちます。辞めた直後やネットを始めたころにはこんな生活が待ってるなんて思いもしませんでしたねぇ。こんなんだったら早く辞めれば良かったと心から思います。

ちょうど10年前に今の嫁さんとネット上で出会って、そして今があるわけですが、嫁さんと時々話すんです。10年前と今じゃネット環境も元JWの世界もだいぶ変わったよねぇ、って。

以前も書いたことがありますが、10年前はネット上にいる元JWもすごく少なくて、自分から情報を発信するにはHPを作ったり、HPに付随して掲示板を着けることで他の人と交流するのが主流でしたが、今は簡単に誰でもブログを開設できますから、一人ひとりがHPを持ってるようなものですし、ネット人口もケータイも含めかなり増えましたから、そういう意味ではすごく環境がよくなったなあと思います。

家族がいまだに現役で、情報収集のツールとしてJW系のところはだいたい見ているわけです(逆に言うと家族からJW現役が一人も居なくなった時には見なくなると思います、爆)。 
この10年間ずっとJW関係のところを見てますが、元JWの人ってだいたいこういう経過を辿る人が多い気がします。すごく大まかなんですが。

0)JW系に触れていろんな事実を知るようになって驚きと仲間がいることを嬉しく思う
   ↓
1)ブログ or HPを作る(作らない人もいるけど)。他の人のところにも発言をいっぱいする。
   ↓
2)オフ会に参加する(もしくは自分が主催したりする)
   ↓
3)徐々にJW問題が自分の中で整理されJWのことを考える時間が少なくなる
   ↓
4)私生活が充実してくるので、JW系から徐々に離れていく
   ↓
5)JW系をほとんど見なくなる
   ↓
6)数年後、JW現役の家族と何かがあったりしたためや、懐かしい思いでまたちょっと覗くようになる
   ↓
7)私生活の充実でJW系を見なくなる


僕みたいなのは例外で、だいたいこういう経過をたどる人が多いです。むしろそういう方が健全で当たり前なのだと思います。0~4の段階の時間は早い人だと半年無かったりします。長い人でも2年くらいでしょうか? オフ会があるよと呼びかけると懐かしくて来てくれますが、オフが終わればネットで発言することもないし、また充実した生活に戻るわけです。

JW問題の大部分は家族問題だったり、自分の生き方の模索だったりしますので、それらが解決すれば当然ですが、JW関係に関わる必要はないわけですよ。過去を振り返る作業は必要なことですが、それにいつまでも固執する必要なんてありませんし、解決したら現実の問題と向き合う事が必要になりますし、その方が楽しい時間なわけです。仕事だったり、恋だったり、趣味だったり、それらに向き合った方が絶対に良いわけです。

過去に、自分の経験したことをいかして、現在JW問題で悩んでいる人やこれからの悩むであろう人のために役立ちたいと行動を始めようとした人がたくさんいました。が、それらの理想を語る人に限って理想で終わってることが多かったです。唯一、それを今も継続してやっているのは僕がJW系のネットを始める以前からやっている「陽のあたる場所」の掲示板を開設しているohyaさんくらいなものでしょうか。彼はJW2世問題に一番長く関わってきた人と言っても良いでしょうし、実際、身銭を切ってJW2世のためにホットラインを開設したりしてます。とても僕には真似出来ません。その彼からお会いした時にこういう言葉を聞いたことがあります。「元JWのために役立ちたいと思う気持ちがあるのなら、右手ではなく左手でやれ!」と。要は自分の持てる能力や時間の全てを費やすのではなく、まずは自分のこと、そして自分の家庭のことをやって、その上で余裕があるならそういう活動をすべきだ、じゃなきゃ意味が無い。ということなのだと思います。(今もHPに掲示板をつけて、そこを管理してる人達も偉いなあと思います。)

僕が細々ながらもこうやって自分のブログを残して、たまに記事を書いているのは僕の左手がそれくらいの余力しかないからです(苦笑) 

基本的に元JWの人って優しいんですよ。だから、自分のような苦しみを味わうことなく解決できるのなら、いろんな人の役に立ちたいと言う気持ちの人がとても多いです。でも、それはohyaさんが言うように左手でやるべきことであって、全力を尽くすと自分自身が疲れ切ってしまって自分が描いた理想とは程遠い結果に終わることになります。僕としては、皆さんにブログで自分の経験を語ってもらったり、気持ちを語ってもらうことがあればそれで十分なんじゃないかなと思います。多くの人がJWの問題点を自分の言葉で、自分の経験で語れば、それだけ多くの人の目に触れることになりますし、そこで自分の気持ちの整理ができたら、そこから先は自分の生活の充実のために全力を注ぐのがベストなんじゃないでしょうか。元JWにとってJWとは基本的に過去の問題のはずですから。


たまーに、思い出したように僕のブログを探してもらってコメントやメールで「今はこんな仕事(趣味)をがんばってやってます」「結婚して子供が生まれました」「大学に入りなおして去年就職しました」などなどと近況報告してもらうことがあるのが長くブログをやってる自分としては一番うれしいです。みんな頑張ってるんだなあと僕も本当の意味で「励まされます」から(^-^)
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もう何年も触れることもないです。多分これから先もそうでしょう。

これまでも何度となくブログ記事にしてきましたが、僕は聖書はただの本であって、その記述を基に信仰を持つなんてことは自分自身にはあり得ないことだと思ってます。(他の人がどう思うかは知りませんし、信仰を持つ人がいてもそれを批判することはありません。)

ここから聖書のことをボロクソに書きますんで、そういうのを目にしたくない人は回れ右!でお願いします。














聖書にそんなに良いことが書いてあるとどうしても思えないんですよ。

まず、最初の人間とされてるアダムさん。この人は完全な人間。完全ってことは完璧な人間ですよ。それなのに、サタンが誘惑したらイチコロ。正直、弱過ぎです。完全な人間が神に忠実であることが出来なかったのですから、物語としてはそこで終わりですよ。だって、完全な人間がダメだったのに不完全な人間が神に信仰を持ち続けるなんて出来るわけがないです。

出エジプト以降のイスラエルの民なんて目の前で何度も奇跡を見てるんですよ。なのに、ちょっと腹が減ったり指導者が目の前からいなかったりしただけで、これまで救ってくれた神のことなんて忘れて別の異教の神のもとへ走ってしまう。この恩知らずが!と吐き捨てたくなります。

ソロモン王なんて人もいましたね。すべての権力、恐ろしいほどの富を持ち、綺麗な奥さん数百人。そんな状況なのに「すべては虚しい」とか言ってんじゃねーよ、ってツッコミたくなるのは僕だけじゃないはず。お前、一回貧乏人の暮らしをやってみてから言えよ、って言いたくなります。神にそれだけ良い待遇を与えられてたのに挙句の果ては、異教の神のもとへ走ると言うこれまた恩知らず! (ちなみにこの人が書いたエロ詩はソロモンの歌という題名で聖書の1冊に入ってます。どんだけエロ好きやねんw 聖書から1冊なくしていいと言われたら、これを選ぶキリスト教徒は多いはずw)


基本的に出エジプトからイスラエル建国までの辺りって、土地を奪うための人殺しの話ばっかリですよね。女も子供も異教徒だからという理由で皆殺しですよ。やられた方はたまったもんじゃないです。ユダヤ目線では神の勝利!なのでしょうけど、奪略された側からすれば侵略の歴史なわけで。神の命令となれば何をやっても許されるってのは傲慢な考えだと思います。(現代でも、欧米人の異文化に対する傲慢とも思える態度はこのあたりから来てるのでしょうね)

他にも女にだらしない男どもの話とか、醜い権力争いの話だとか、旧約聖書はとにかくダメダメな話のオンパレードです。このあたりの話を実写化したらR15指定は間違いないですよ。子供の教育には絶対に不適です。見るものに気をつけましょうと言いますが、まずは聖書から見直した方がいいです。


では、新約聖書は良い本かと言われると、これまた微妙なわけで。あくまで個人的な考えですけど、「まぁ、読み物として許されるのは4福音書だけだよねー」ですw

イエスという人物の伝記としての4福音書という位置づけなら、まあいいんじゃないですか?旧約みたいに殺しだとか女にだらしないだとか不道徳な話はほとんどない訳ですし。

パウロが書いたと言われるいろんな手紙が聖書には含まれるわけですが、はっきり言って、JWのおかしな教えってパウロが書いた部分にほぼ集中してますよね? パウロの書いた部分をなくすとJWの教義が成り立たないと言っても過言ではないと思います。啓示の書(ヨハネの黙示録)なんてどう見てもヨハネの空想の産物としか思えません。

4福音書ならいいんじゃね?と書きましたが、僕が指摘するまでもなく、4つの並行記述にはけっこうな矛盾点が多いですよね。イエスの死後、何十年も経ってからそれぞれの筆者が書いたと言われてますから、それも無理はないと思います。人間の記憶って時が経てば経つほど曖昧になるし、都合の悪いことは忘れ、良いことだけを覚えてるものですから。 カリスマ性があって死んだ人って、年々その存在が美化されていくものですが、イエスの場合はそれが極端だったのでしょうね。

福音書にはイエスの言葉がいろいろ書いてありますが、正直言って分かりにくいと思いません? 無学な弟子たちと分かってるのに禅問答のような言葉をよくもまあ次から次へと(笑) その辺りが彼のカリスマ性を引きたててたのかもしれませんけど、現代にいたるまで意味不明な部分も多いし、とかく例え話が多すぎて分かりづらい。その分かりづらさは、例え話を根拠に教義を作れたりするくらい分かりづらいです。完全な人間の言葉にしては、配慮が足りないというか・・・。頭の良い人ほど、無学な人に分かりやすく教えてくれるものですよねぇ。

福音書と言えば12使徒! ペテロさんなんて最悪ですよね。目の前で何度もイエスの奇跡を見てるのに、自分が捕まりそうになったら「私はイエスの弟子なんかじゃない、別人だ!」と2度も否定してちゃうんですから(予言の成就のためにうんぬんの話はおいといて)。目の前でイエスの言動を見た人すらダメだったのですから、2000年も経っちゃってる現代の人がイエスの歩みに忠実でありたいなんて難しいというか無理があるんじゃないの?と客観的に思います。


聖書が世界中の人に与えてきた影響は歴史として認めてますし、理解できますが、どこをどう読んでもこれを読んで神に信仰を持て!なんてのは僕には無理です。無理なもんは無理です。聖書に信仰をもつくらいなら、日本書紀とか古事記とか読んで神道の道に行く方が日本人としては性に合ってるかも。


長々と書きましたが、僕にとって聖書はただの本です。そして子供には読ませたくない本です。それ以外の意味を持たせることに困難を覚えますので、死ぬまできっと無宗教だろうなあと思います。
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