昨日は、魔法学校のあと、夕方に谷町9丁目のいくたまさんに行きました。
わたしたち大阪人は、生玉神社( いくたま じんじゃ )または 生玉( いくたま )さんと言っていますが
正式には
難波大社 生國魂神社 ( なにわだいしゃ いくくにたまじんじゃ) といいます。
社伝によれば、 神武天皇の御東征の折、難波に到着され、
現在の大阪城のあたりに 大地創生の神 生島大神、 足神大神を祀られたのが
創祀(そうし)だといわれています。
中世には 生國魂神社に隣接して 石山本願寺が建てられていて
織田信長の石山攻めの際、 生國魂社も炎上しました。
豊臣秀吉は ここに 大阪城の建設を決め 1585年 現在の地に 御遷座され
ました。
ということだそうです。
元々大阪城の場所にあったという神社は多く、大阪のあちこちに今は点在しているのですが、
そもそも大阪城のある場所が、元々何かのパワースポットだったのではないかと
わたしは思っています。
それを知ってた秀吉は、神社を移転させてそこに城を建てたんではないかな。
と思って、以前大阪城に行ってみたら、結構なパワースポットで、いろんなメッセージを頂きましたよ。
生玉さんは11日、12日と夏祭りということで、祭り準備で何か華やいでおりました。
城方向八幡宮 ( きたむき はちまんぐう )
大阪城鬼門の守護神として鎮祭されたことから 城方向( 北向き )八幡宮
といいます。
弁天さん
ここの池の横に小さい瀧も作ってあって、池の前は木陰なので、そこで休憩すると
とっても気持ちいいのです。
神社正面の鳥居には茅の輪が設置されていました。
7月は、一年の半分が過ぎて半年の罪穢れを浄化する時でもあり、
暑くて昔は疫病なども流行りやすかった事から、心身共に浄化し、
神社に健康を願っていろいろなお祭りをしていたのでしょうね。
ちょうど、夕日が鳥居の真上に来ていました。
生玉さんの事を調べていると、こんなページにも行き当たるので、
またまた色々はまってしまいそうになります。
http://kamnavi.jp/ym/osaka/ikutama.htm
わたしたち大阪人は、生玉神社( いくたま じんじゃ )または 生玉( いくたま )さんと言っていますが
正式には
難波大社 生國魂神社 ( なにわだいしゃ いくくにたまじんじゃ) といいます。
社伝によれば、 神武天皇の御東征の折、難波に到着され、
現在の大阪城のあたりに 大地創生の神 生島大神、 足神大神を祀られたのが
創祀(そうし)だといわれています。
中世には 生國魂神社に隣接して 石山本願寺が建てられていて
織田信長の石山攻めの際、 生國魂社も炎上しました。
豊臣秀吉は ここに 大阪城の建設を決め 1585年 現在の地に 御遷座され
ました。
ということだそうです。
元々大阪城の場所にあったという神社は多く、大阪のあちこちに今は点在しているのですが、
そもそも大阪城のある場所が、元々何かのパワースポットだったのではないかと
わたしは思っています。
それを知ってた秀吉は、神社を移転させてそこに城を建てたんではないかな。
と思って、以前大阪城に行ってみたら、結構なパワースポットで、いろんなメッセージを頂きましたよ。
生玉さんは11日、12日と夏祭りということで、祭り準備で何か華やいでおりました。
城方向八幡宮 ( きたむき はちまんぐう )
大阪城鬼門の守護神として鎮祭されたことから 城方向( 北向き )八幡宮
といいます。
弁天さん
ここの池の横に小さい瀧も作ってあって、池の前は木陰なので、そこで休憩すると
とっても気持ちいいのです。
神社正面の鳥居には茅の輪が設置されていました。
7月は、一年の半分が過ぎて半年の罪穢れを浄化する時でもあり、
暑くて昔は疫病なども流行りやすかった事から、心身共に浄化し、
神社に健康を願っていろいろなお祭りをしていたのでしょうね。
ちょうど、夕日が鳥居の真上に来ていました。
生玉さんの事を調べていると、こんなページにも行き当たるので、
またまた色々はまってしまいそうになります。
http://kamnavi.jp/ym/osaka/ikutama.htm