昔からある。

お母さんと一緒の歌。

 

https://www.dailymotion.com/video/x7s3p1h

 

それの歌詞に、、、

 

喧嘩したって

泣きべそかいたって

明日になったら

忘れるさ、また遊ぼうー。って

フレーズあって

 

娘が晩御飯時に、思い出したように

歌って、歌詞を再確認しながら、

 

この歌、、

ただの頭の悪い子じゃーん。と、

何も考えずに子供の頃歌ってたー

と言ってて

 

忘れる、、というフレーズで、

そう言ってたけれど、、

 

そこは、、

頭悪いんじゃなくて、、

根深く、恨まない、さっぱりした

子供の感性を表現してるんだけども。

 

子供を産んでないから、、

まだ未婚娘には、

わからない感覚なのかなぁ。と思いました。

 

 

ーー

この前、エ◯バさんが私の家に来て

イエスの死の記念式、

イエスの死を思い起こす集まりがあるから、

時間があればきて下さいと、

パンフレットを置いて行きました。

 

こっちでも、イエス様ではなく

イエスと、呼び捨て。

 

復活、死に対する勝利の集まりが先にあって

次の週がイエスの死を思い起こす集まり。と

書いてありました。

 

イエス様の死の方を重要視して

後にしてるみたいですが、。

死からの復活、、死への勝利の方が、大事です。

 

死からの復活は、

死の君サタンへの勝利だから。

 

十字架という神様から

見捨てられたような状態下でも

神様を求め続け信じ、ご自身を十字架ㇸ

追い込んだ者達へ、、とりなしてゆるされた

イエス様の完全愛。

 

人として産まれ、十字架上で、

肉体的な苦痛が激しいのに

神様を恨まなかったイエス様。

 

アベルがカインに撲殺されたとき

神様を恨んで、

神様、なんで救ってくれなかったのか、と

神様へ恨みを持ったから、土の中、

地上に縛られた。

 

イエス様は、十字架上で

神様を恨み憎んだアベルの逆、

神様への不満で離反したサタンの逆、、

赦す愛、、神様への完全信頼とで

悪魔を退け勝利された。

 

罪と死の象徴の悪魔に勝利したから

その勝利の徴としてイエス様は復活なさった。

 

 

私は、イエス様が一時でも、

亡くなったことを祝う?

気持ちにはなれません。

 

出来れば、亡くなることなどなく

普通に、婚約者のマグダラのマリアと結婚し

御子を得て欲しかったですから。

 

そうであれば、人間の原罪からの解放は

もっと劇的に進んでいたでしょう。

 

 

今年の復活祭

イースターは3月31日(日)ですね。

 

イエス様の御降誕と復活は、

キリスト教の2大イベントです。

 

私は、個人的に、イエス様のお誕生日は

3月19か20日辺り、その前後だと思っています。

 

それで3月19日より1日早く記事アップ♥

 

文中、修正と追記あり、イエス様の誕生日って?

https://magtaranomaria.blog.fc2.com/blog-entry-5599.html

 

12月末に、羊飼いは外で羊を飼いません。

羊も羊飼いも凍えて死んじゃいます。

 

ルカ2章8節

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。

 

3月末であれば、火起こしして夜通し起きて

羊の番を出来ます。

 

夜通し起きて、、暗い罪の世(夜)の中で、

寝ないで、火を起こし起きていた羊飼いは、、、

 

天使のお告げを聞き、

幼子イエス様のお姿を、自分の目で見れました。

 

彼らが眠りこけていたら、、狼が来て

羊を食べられて、、賠償せねばならなかった。

 

当時、最低の身分で、イスラエルの民の

人頭に入れてもらえず、

蔑まれていた彼ら、、、。

 

でも彼らは与えられてた

職務を怠けず、忠実に果たしていた。

彼らは良い羊飼い。

 

天使は、人々から最低の身分として

扱われていた彼らに真っ先に遣わされた。

 

ルカ2章11 節

今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。

 

あなたがたのために、、。

 

救いは救いを必要とする人にこそ

真っ先に与えられる。

この世の身分は、無関係。

 

イエス様の御降誕、、

お誕生と御復活を憶えて、

父なる神様を褒め讃えましょう。

 

 

イエス様の死、、十字架は本来、

確定事項ではなかった。

 

イスラエルの民が、

いくらイエス様が奇跡を起こし

彼らに見せてもイエス様を認めず

不従順を貫き通したせいで起きた。

 

彼らが、自分らの持つ

利権を手放すのがいやで、、

イエス様をメシアと知りながら

従わず、排斥し続けた。

 

「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

 

彼らは、神様に仕えるべき身でありながら

富に仕えた。

富を得れる立場を執着し愛して、

神様を軽んじ、神様の御子イエス様を

敵視して憎んだ。

 

富を持たなかった羊飼いは、

メシア、イエス様の御降誕と天使のお告げを

喜び、信じ受けいれた。

 

富多きものは、

救いから遠い人が多いのかもしれない。

 

裕福であれば、、、苦しみも薄く

救いを切望しない。

 

人生で多くの苦労があれば、

生きるために神様を切望し、、、

肉体の死後にも続く

永遠の安息を得ることを望む。

 

 

この世で、苦労が多くても、

 

肉体の死後、

父なる神様を、感じ取れる場所に

居られるのならば、、、

 

肉体の死後、、永遠の世界で、

最大最高の希望と夢と慰めがあると思えば、、

笑顔で生きていけるの。

 

この世は、どんなに長く生きても120まで、

死後の世界は、永遠の世界、、

お父さんを、感じ取れる場所に居れるなら、

それで幸せ。

 

あの、、深い地の底から、、ちょうど

空を見上げるようにして、、

神様から果てしなく遠く離れた自分がいた、

過去に感じた精神世界での

地獄世界のリアル体験に比べたら天国。

 

もし神様が地獄においでなら、

地獄に居るのすらも、私には天国。

 

神様のお側に居れるのなら、、

どこへなりと付いて行きます。

どこまでも。

そこが地獄の底でも構わないわ。

 

神様の臨在があれば、

地獄の底でも天国に変わる。

 

マグダラのマリア