マグマリのブログ


なぜイエス様は72人の弟子たちを町々にお遣わしになられたのか?


ルカによる福音書
10:1 その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。

ここの72人をなぜ、イエス様がお遣わしになられたのか、、。

イエス様の雛型の一人は、、旧約聖書中のモーセです。モーセはイスラエルの指導者であり、祭儀を執り行う者、祭司であり、神様の言葉を預かる預言者であった人、、。指導者は王の立場でもあるので、最もイエス様の雛型の中でイエス様に近い人。


民数記

11:16 主はモーセに言われた。「イスラエルの長老たちのうちから、あなたが、民の長老およびその役人として認めうる者を七十人集め、臨在の幕屋に連れて来てあなたの傍らに立たせなさい。
11:17 わたしはそこに降って、あなたと語ろう。そして、あなたに授けてある霊の一部を取って、彼らに授ける。そうすれば、彼らは民の重荷をあなたと共に負うことができるようになり、あなたひとりで負うことはなくなる。

あなたに授けてある霊の一部を取って、彼らに授ける、との聖句でモーセは神さまから多くの霊を預けられていたということが分かります。

そしてその霊の数は一部であっても70以上は有ったという事。神さまによって授けられるということは何らかの使命を持った霊たち、、、。

使命有る者は神様が使命を全う出来るように多くの助け手としての霊を授ける。この霊は神の息である命の霊とか、罪を清める聖霊ではなく、肉体をなくしたイスラエル人の中で、生きていた時、同じような使命があった霊たち。


私を例に挙げたら、私がマグダラのマリアと名乗っているのは、マグダラのマリアと同じような使命を持つから、そう名乗りなさいと命じられて居ます。

感情とか、、想いとかがマグダラのマリアと同じ想いだから、、、、。


72人を任命し、イエス様が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。

というのは民数記11:16 で、モーセの時、民の長老およびその役人として認めうる者70人に使命をたくした事の再現をイエス様がなさって、72人の弟子たちに父さまが霊を分けて与 えられたように、霊を降し、モーセの時のカナンへ行く使命の代わりに、町々へ行き廻るという使命を与えられたこと、、、


モーセの時と人数が2名違うのは、、モーセとアロンの分がイエス様の時にプラスされているから。


イエス様のときは、既にアロン(エリヤ)であるバプテスマのヨハネがいなかった。

また、モーセの立場であるイエス様が御自身で行くおつもりだったのを弟子を派遣して任せたので、、バプテスマのヨハネの分とイエス様の分の2人分がモーセの時の使命をたくした70人に加えられ72人とした。

モーセの時の70人+アロンとモーセによる72人は、、カナンに行くという神様からの使命があった、、でも結局、それらの人々は、怖じけて、不信仰だったため誰一人、カナンに入ることなく荒野で死んでしまった。


それは72の数字が神様のものから失われたことになった。それでイエス様のとき、イエス様は72人に民の長老およびその役人のように指導的立場としての使 命と汚れた霊に対する権能をお与えになって、町々に派遣し、モーセの時の失われた72の数字を神様側に取り戻そうとされた。


ルカによる福音書

10:17 七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」

結果、、遣わされた全員72人が無事にイエス様の元に帰ってきた事で、、神様側に72の数字を取り戻すことに成功したこととなり、イエス様のときの72の数の元となった数、70の数も、神様のものに取り戻された。


モーセの時にアロンとモーセと使命を託された70人がカナン、神様の祝福の地に入ることが出来なくて使命を達成できなかったけれども、イエス様に、霊と権威を与えられた弟子たちが使命を全うすることで、モーセの時に使命を持っていた霊も使命をなし遂げた事となる。


使徒言行録  

19:13 ところが、各地を巡り歩くユダヤ人の祈祷師たちの中にも、悪霊どもに取りつかれている人々に向かい、試みに、主イエスの名を唱えて、「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」と言う者があった。
19:15 悪霊は彼らに言い返した。「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ。」

イエス様から、霊と権威を与えられていなかったら、悪霊は屈服したりしません。


マタイによる福音書

10:1 イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。

マルコによる福音書 

16:17 信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。

イエス様の名前だけを、ただ唱えても力はないのです。イエス様を信じて、魂の力が籠った言葉を出さないとね、、。だから、嘘つくと力が出ない、想っても居ないことを言っても力が出ない、。


信仰の力は、愛することと、信じることと、信頼することで与えられる。


マグダラのマリア