アカデミア・サバイバル―「高学歴ワーキングプア」から抜け出す (中公新書ラクレ) | 誇りを失った豚は、喰われるしかない。

誇りを失った豚は、喰われるしかない。

イエスはこれを聞いて言われた。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
(マルコによる福音書2章17節)

今回この本で明らかになっているのは

 

「大学での生き残り術」

 

です。

 

ここまで裏と表を知り尽くさなければ生き残って

 

いけないのは、どこの社会も一緒だと痛感しました。

 

それでも行くか退くかは本人次第ですが…。

 

 

 

 

 

先日、小耳に挟んだのですが、僕の昔の知り合いが

 

某研究機関に就職したそうです。

 

別に、その人とは親しくもなかったので、こうして俎上に

 

あげることはなんだか少し気が引けるんですが、彼女の

 

ようなエリートが別にこんなチンピラの書く書評なんかは

 

歯牙にもかけないことを信じて、書いていきます。

 

この本は供給過多となった修士課程、博士課程を持つ

 

いわゆる「ノラ博士」たちがいかにしてアカデミアという

 

閉鎖社会の中で生き残っていくかについて書かれて

 

います。

 

これはある意味で本業の研究(?)よりも重要なことが

 

書かれているかも知れません。いつか大学で正規の

 

雇用をと目指している方々はとにもかくにも論文を

 

書いて書いて書きまくって実績さえ作っておきさえすれば

 

いつかは…。

 

という祈りのような思いがあるようですが、作者いわく、

 

それは違うと。

 

実績以上に人事をつかさどる教授たちに


「こいつと一緒にいて気持ちよくなれるか」


そう思わせることがとにかく大事だと。もっと極端に言えば

 

イエスマン=イヤシマンになれとさえといっています。

 

具体的には着ている服をほめたり、お茶汲みやコピー取り

 

などの雑事を率先して行ったり、書いた著作ほめていったりと、

 

そういうことを積み重ねていったほうがずっといいのだと。

 

そういうことをいっています。

 

アカデミックな世界のほうが一般社会よりもずっと、ウエットで、

 

感情的なものが優先するという事実を知って、僕は少なからず

 

ショックを受けました。

 

そして、学会発表が終わったときの懇親会でも自分だけ

 

さっさと帰ってしまわずに、自分のことを売り込んで覚えて

 

もらったり、教授に論文を送ってもらえるように頼んで見たりと、

 

自分を売り込んでいかなくては生きていけないんだなぁ、

 

と一抹の寂しさを感じました。

 

今、日本は修士、博士は昔と違ってそんなに重要視されて

 

いないのではとこの本を読む限りでは感じてしまいました。

 

でも、研究機関はおろか、海外の企業などでは修士、

 

博士号を持つ人間がゴマンといて、そんな人たちと競争を

 

するのにもかかわらず、日本ではこういう高学歴な人間を

 

粗末に扱っている。そういうことにも、この国はどうなるんだろう

 

という不安を感じさせてくれるものでした。

 

で、最初の話に戻りますが、彼女もそこまでいたるには

 

実績を上げる以外に何をやってきたのだろうと、この本を

 

読み終えた後に、しばらく考え込んでしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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