帰ってきたヒトラー 上 (河出文庫 ウ 7-1) | 誇りを失った豚は、喰われるしかない。

誇りを失った豚は、喰われるしかない。

イエスはこれを聞いて言われた。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
(マルコによる福音書2章17節)

21世紀のベルリンに、あの男が帰ってきた―。

本書は現代に突如として甦った「総統」こと、

アドルフ・ヒトラーがなんと、「お笑い芸人」として

大ブレイクを果たすというブラックユーモア

たっぷりの小説の上巻です。






「よくこんな本がドイツで出版出来たなぁ…。」

僕は本書を大笑いのうちに読み終えながらふと

そんなことを考えておりました。第二次世界大戦後の

ドイツではアドルフ・ヒトラー。及び第三帝国の行った

ことを「清算」するために多大な努力を現在でも行い、

ヒトラーの存在そのものがドイツでは「最大のタブー」

ともいわれていると聞いたことがあります。

しかし本書ではそのタブーに真っ向から挑戦し、

彼の存在を通して世の中の事象を笑い飛ばすことで、

また新たな「提案」を行うという野心的な試みを行った

作品ともいえます。

本書は本国と一で出版されるや250万部を売り上げ、4

2言語に翻訳された(ヘブライ語にも翻訳されて

イスラエルでも出版されていると聞いた時にはさすがに

度肝を抜いた)ベストセラーである『帰ってきたヒトラー』の

文庫化した上巻が本書です。

物語の舞台は2010年のドイツは首都のベルリン。

そこで不意に目を覚ましたのはかの「総統」として君臨

していたあドルフ。ヒトラーでした。彼は1945年4月30日に

総統地下壕で自殺する直前の状態からその寸前の

記憶を失った状態で目を覚ましたのです。おそらく

その地は自殺を果たし、彼の遺体が焼かれた場所

だったのでしょう。

ヒトラーは現代のベルリンの街をさまよい歩き、ふと

立ち寄ったキオスクで手に取った新聞から、今自分が

立っているのは戦時下ではなく、21世紀を迎えた2011年

であることを知り、卒倒してしまうのです。

ヒトラーは自身が倒れたキオスクの主人に介抱され

目を覚まし、件の主人は彼のことを「本物」とはおもわず

(誰だってそうかもしれないが)、その風貌を見て

「ヒトラーそっくりの役者かお笑い芸人」

と思い込み、主人の行為もあってしばらくの間、

そのキオスクで住み込みで働くこととなるのです。

そんな彼を「運命」が放っておくはずはなく、キオスクの

なじみの客であるテレビ番組制作会社のゼンゼンブリンクと

ザヴァツキのスカウトを受けプロダクション会社を実質的に

取り仕切るベリーニ女史にも見初められ、無事採用され、

表舞台へと復帰する「お膳立て」が整えられていくのです。

全編がヒトラーの独白体で展開される文体はまさに

「ヒトラー節」全開で、それに若干の後ろめたさは

ありつつも、いたるところで読みながら大爆笑し、

そこでふと我に返って

「あぁ、僕の中にも「ヒトラー」はいる…!」

とハタと気づき、心底背筋がぞっとしたものでした。

ここから現代によみがえったヒトラーの快進撃は

かつて行った「電撃戦」もかくやであり、アドルフ・ヒトラーの

「モノマネ芸人」としてトーク番組に出演し、その演説で

観客の心をわしづかみにすると、すぐさまヒトラーは彼が

「総統」として権力をほしいままにしていた時には

存在していなかった「パソコン」(その原型はナチスが開発

していた)や「インターネッツ」を専属秘書のヴェラ・クレマイヤー嬢

から教えてもらい、それらを駆使して「ウィキペディア」をあさり、

急速に現代へと適応化していくのです。

そうこうするうちに「演説」の動画はYoutubeで再生回数

70万回を突破し、「狂気のユーチューブ・ヒトラー」として

彼の存在は急速に世の中へと広まっていくのでした。

僕は個人的に「ナチズム」や「ホロコースト」の研究を

「ライフワーク」の一つとして位置付けているのですが、

ここに描かれているヒトラーはかくも人間的であり、

そして魅力にあふれており、すべての行き着く先が「あれ」

であると頭で走っているものの、読み終えた後には

「ハイル・ヒトラー!!」


「ジーク! ハイル!!」

と叫びそうになるのを必死で抑えている自分が

いたのでした。つまり、それぐらい「危険」な

内容であるということです。 





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