- 21世紀のベルリンに、あの男が帰ってきた―。
- 本書は現代に突如として甦った「総統」こと、
- アドルフ・ヒトラーがなんと、「お笑い芸人」として
- 大ブレイクを果たすというブラックユーモア
- たっぷりの小説の上巻です。
- 「よくこんな本がドイツで出版出来たなぁ…。」
- 僕は本書を大笑いのうちに読み終えながらふと
- そんなことを考えておりました。第二次世界大戦後の
- ドイツではアドルフ・ヒトラー。及び第三帝国の行った
- ことを「清算」するために多大な努力を現在でも行い、
- ヒトラーの存在そのものがドイツでは「最大のタブー」
- ともいわれていると聞いたことがあります。
- しかし本書ではそのタブーに真っ向から挑戦し、
- 彼の存在を通して世の中の事象を笑い飛ばすことで、
- また新たな「提案」を行うという野心的な試みを行った
- 作品ともいえます。
- 本書は本国と一で出版されるや250万部を売り上げ、4
- 2言語に翻訳された(ヘブライ語にも翻訳されて
- イスラエルでも出版されていると聞いた時にはさすがに
- 度肝を抜いた)ベストセラーである『帰ってきたヒトラー』の
- 文庫化した上巻が本書です。
- 物語の舞台は2010年のドイツは首都のベルリン。
- そこで不意に目を覚ましたのはかの「総統」として君臨
- していたあドルフ。ヒトラーでした。彼は1945年4月30日に
- 総統地下壕で自殺する直前の状態からその寸前の
- 記憶を失った状態で目を覚ましたのです。おそらく
- その地は自殺を果たし、彼の遺体が焼かれた場所
- だったのでしょう。
- ヒトラーは現代のベルリンの街をさまよい歩き、ふと
- 立ち寄ったキオスクで手に取った新聞から、今自分が
- 立っているのは戦時下ではなく、21世紀を迎えた2011年
- であることを知り、卒倒してしまうのです。
- ヒトラーは自身が倒れたキオスクの主人に介抱され
- 目を覚まし、件の主人は彼のことを「本物」とはおもわず
- (誰だってそうかもしれないが)、その風貌を見て
「ヒトラーそっくりの役者かお笑い芸人」
と思い込み、主人の行為もあってしばらくの間、
- そのキオスクで住み込みで働くこととなるのです。
- そんな彼を「運命」が放っておくはずはなく、キオスクの
- なじみの客であるテレビ番組制作会社のゼンゼンブリンクと
- ザヴァツキのスカウトを受けプロダクション会社を実質的に
- 取り仕切るベリーニ女史にも見初められ、無事採用され、
- 表舞台へと復帰する「お膳立て」が整えられていくのです。
- 全編がヒトラーの独白体で展開される文体はまさに
- 「ヒトラー節」全開で、それに若干の後ろめたさは
- ありつつも、いたるところで読みながら大爆笑し、
- そこでふと我に返って
「あぁ、僕の中にも「ヒトラー」はいる…!」
とハタと気づき、心底背筋がぞっとしたものでした。
- ここから現代によみがえったヒトラーの快進撃は
- かつて行った「電撃戦」もかくやであり、アドルフ・ヒトラーの
- 「モノマネ芸人」としてトーク番組に出演し、その演説で
- 観客の心をわしづかみにすると、すぐさまヒトラーは彼が
- 「総統」として権力をほしいままにしていた時には
- 存在していなかった「パソコン」(その原型はナチスが開発
- していた)や「インターネッツ」を専属秘書のヴェラ・クレマイヤー嬢
- から教えてもらい、それらを駆使して「ウィキペディア」をあさり、
- 急速に現代へと適応化していくのです。
- そうこうするうちに「演説」の動画はYoutubeで再生回数
- 70万回を突破し、「狂気のユーチューブ・ヒトラー」として
- 彼の存在は急速に世の中へと広まっていくのでした。
- 僕は個人的に「ナチズム」や「ホロコースト」の研究を
- 「ライフワーク」の一つとして位置付けているのですが、
- ここに描かれているヒトラーはかくも人間的であり、
- そして魅力にあふれており、すべての行き着く先が「あれ」
- であると頭で走っているものの、読み終えた後には
「ハイル・ヒトラー!!」
や
「ジーク! ハイル!!」
と叫びそうになるのを必死で抑えている自分が
- いたのでした。つまり、それぐらい「危険」な
- 内容であるということです。
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