浪速のロッキーを<捨てた>男稀代のプロモーター・津田博明の人生 | 誇りを失った豚は、喰われるしかない。

誇りを失った豚は、喰われるしかない。

イエスはこれを聞いて言われた。
「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
(マルコによる福音書2章17節)

本書はプロモーターとして裸一貫から

一時代を築いた津田博明氏の人生を

筆者が18年の歳月を費やしたノンフィクションです。

「浪速のロッキー」

こと赤井英和氏との相克劇は重い読後感を

遺しました。





世に格闘技は数あれど、個人的にはボクシングが

見ていて最も手に汗握るものであると思っております。

しかし、本書はボクシングに対する『幻想』を

根底から覆すようなほど重いノンフィクションで

あります。

筆者は18年もの歳月をかけて本書を執筆されたの

ですが、本書の主人公である津田博明氏は既に

鬼籍に入り、一方の当事者である元プロボクサーであり、

現在は俳優、タレントとして活躍する赤井英和氏にも

殆ど当時の事を目して語らず、そういった意味では

人によっては不満が残るものなのかもしれません。

それでも、大阪は西成の下町から徒手空拳で

身を起こし、様々な職業を転々としながら

ボクシングのトレーナーとして業界へと分け入り、

現在のグリーンツダボクシングクラブを一代で

築き上げ、やり手のプロモーターとして数々の勝負を

実現させた男の奇跡は一筋縄では行かないものがあり、

人間の持つ複雑で、ドロドロした部分がにじみ

出ておりました。

赤井英和氏との出会いを別れを読んで行くと、

昔とある人に言われた

「有坂君、深く関わりあった人と人が分かれる時には

握手をしてハイ、サヨウナラ。お互いに元気でなって

言うわけには行かないんだよ。そんなきれいごとの

世界じゃない。大抵はおたがいに憎しみあって

傷つけあって、そうやって分かれていくものなんだよ。」

と言われたことを久々に思い出しました。

決定的な訣別を経た後に津田氏は体調を崩し、

闘病生活をするのですが赤井氏は彼の病室を訪ね、

そこで最後の邂逅を果たすのですが、後に

「それは、和解だったのですか?」

と当時のことを問われた時に赤井氏は

「和解。そんなものはあらへんよ」

とつぶやくような声で答えていた、と言う箇所がとても

印象に残っているのでありました。

光と闇がリングで交錯するボクシングと言うスポーツの

『闇』の部分が色濃く浮き出た本書ですが、これを

見た後でリングの上で血反吐を吐いて打ち合う

選手はもちろんのこと、セコンドを始めとする周辺の

人間を見る眼差しも一変することでしょう。

そんな一冊です。





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