天国とは ? | 哲人クニちゃんのブログ

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色はにほへど 散りぬるを

我が世たれぞ 常ならむ

有為の奥山 今日越えて

浅き夢見じ 酔ひもせず


あさきゆめみしゑひもせす

あるウェブページに載っている記事の紹介です。

その人に必要になれば

出会うことになるので

ウェブサイト全体は

今は示さないでおきます。



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【 コラム 】 天国とは ?


もし この世に、

永遠に飽きのこない幸せ ( 究極の幸せ ) があるとしたら、

一体この世の人達はどうするでしょうか ?。

多分、殺し合ってでも奪い合おうとするでしょう。

( 現に、色褪せるこの世の物でさえ奪い合っている )

そして一旦掴んだら、

二度と手放そうとしないでしょう。

ならば彼らは、一体どうなってしまうでしょうか ?。


満足は停滞です。

向上心の無い状態です。

それでは成長が望めません。

幸いこの世の幸せは飽きるから、

私達は飽きない幸せを求めて旅を続けようとするのです。


天国にはルビーやダイヤモンドで造られた宮殿があり、

そこで白羽衣を着た天使が、ハープを奏で、

唄を歌い、踊り、楽しんでいる、といった

夢のような話をする宗教家がありますが、

それは嘘です。

たとえあったとしても、

そんな世界が天国であるはずがありません。

なぜなら形ある世界は、飽きがき、

色褪せ、陳腐化し、

いつか必ず消えてしまう無常の世界だからです。

では飽きのこない幸せ、

すなわち究極の幸せは、

何処にどのような状態であるのでしょうか ?。


それは、時空を超越した生命の世界にあるのです。

生命の世界にあるといっても、

天国という場所があるわけではありません。

天国のような喜びの意識状態があるだけです。

つまり心の底から 「 生命である ! 」 と思えた時、

永遠の安らぎの意識状態として、

永遠の喜びの意識状態として、あるのです。


その安らぎと喜びの意識状態は、

その意識状態になった者でしか分からないでしょう。


何度もいうように、私達の意識は永遠に無くなりません。

無くならないが故に、

究極の幸せの中 ( 天国 ) に入らなければならないのです。

どうかこの意味の深さを知って下さい。


********


天国、極楽 といえば

特に仏教では

ハスの花が咲いているという

イメージが思い浮かびます。


それで 例年今頃 ハスの花が咲く

家の近くの池に行ってみました。


例年は池の水面をハスの葉が

覆い尽くし、ハスの花が

あちこちに咲いています、が ・ ・ ・


今年はどういうわけかハスの葉も

花もほとんどといっていいくらい

見当たりません。


それでハスの花の写真を

載せようと思っていたのですが

撮れなかったので

ネットで探した画像を載せます。


例年はこんな感じです。( 参考の画像 )


ハスの花



何かで見たニュースで

どこかの公園の池か湖かで

今年はハスが咲いていないと

いっていましたが


日本中どこもハスが咲いていないわけではなく

ニュースで伝えられていたところと

たまたま私の家の近くの池で

花が咲いていないだけかもしれません。


八月になれば花も少しは増えるかもしれません。


それでも今年の夏は

日本の一部でハスが消滅したということです。


この世の中が現実的に変化していく時には

象徴的なものごとの変化が伴いますが


アジアで宗教的にも特別に珍重されてきた
ハスが

全体的ではなく部分的であっても

消えたというのは

なにか象徴的なものを感じます。


7月も間もなく終わりですが

地震などの自然災害や

不可解な事件も起きて

騒々しく過ぎていきそうです。


8月もこのような騒々しさは

続いていく気がします。 
( ̄ー ̄;


気を取り直して 
(*^▽^*)

緑と花の画像を載せます。 



庭のローズマリーに

薄紫の花が一輪だけ咲きました。


一輪だけで寂しいですが

元々ローズマリーは

葉っぱを利用するものなので

花はおまけのようなものです。


カメラを近づけすぎたのか

ピントがぼけてしまいました。


ローズマリーの花



菜園に植わっているサトイモが

葉が大きく茂ってきました。


サトイモ




ずっと植えっぱなしのゴーヤーが

今年の夏も黄色い花を咲かせ

実もできてきました。

花の奥の実は

今7~8センチになりました。

この画像も

後ろの水面にピントがあってしまったのか

ピンぼけです、

カメラに限らず

機械は苦手ですね。 
(^_^;)


ゴーヤー





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