黎明の刻、始動する | 小景異情

小景異情

ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの よしや うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて 遠きみやこに帰らばや 遠きみやこに帰らばや

 AM4:00 

 

 黎明の刻、駆け出す。


 

小景異情-黎明


 約1時間、おそらく10キロくらいであろうか、走ってきた。


 日中ひっきりなしに車が行き交う賑やかな道は眠ったように静かで、乾いた音を響かせる新聞配達のバイクが時々通るのみだ。代行車やタクシーも数台見掛けたが、飲み疲れて帰る酔客が乗っているのだろう。


 早朝に現れる親近感とは一体何なのだろうか。


 何人かウォーカー(散歩をする人)とすれ違ったが、皆と挨拶を交わす。人間の繋がりが希薄になっていると言われる現代社会、沢山の人々が行き交う日中では到底醸成されない親近感である。私もその現代社会の典型的人間の例に漏れず、日中すれ違う人に挨拶などしない。もしもむやみに、誰かれ構わず挨拶をしていたらヘンな人と思われてしまう。


 考えるに、誰もいない早朝に歩いている人、あるいは走っている人はそう怪しい人間ではないという先入観があるのではないだろうか。もしかしたら空き巣を働くために早朝歩いている人間もいるかもしれないが、そういう人物は動きが怪しいだろう。


 そして、朝の清々しさ、気分がいい、テンションも上がっている、「おはようございます!」と声を出したくなる。


 コンビニで野菜ジュースを買い、釣銭を受け取る。


 走り出す。


 チャリンチャリンと小銭がうるさい。


 神社に寄り、小銭を投げ入れる。


 「賽銭箱に 100円玉投げたら つり銭出てくる 人生がいいと」


 と、まさに長渕剛氏の「RUN」である。


 ランララランランラン


 冷たい牛乳もうまい。