展示会で彼女の書を見て感激した日のことを思い出します・・・

勝手に「くにたち小町」№44は書家・アーティスト 宙子(みちこ)さんです~





書歴30年
都内、および国立市で展示
オーダー書・ご出産祝・命名書出張教室
「こどもの笑う書教室」主宰
まちかど新教室「あれん字」講師
他、WS開催等・・ずっと活動してらっしゃいます。

2009年よりフリーの書家として活動。
奥に佇む神聖なもの、愛、光、おりてくる言霊やおはなしを作品へ
昨年の個展より、それらおはなしの朗読を新たに試み中だそうです。


どうしても聞いてみたくって・・・

(書との出逢い&どうしてこの道に入ったのですか?)

習い事のひとつに書道があり自然に習いはじめ(6歳)、
同居の祖父も書道に得意だったらしく、よくその話を聞いていました。
母も書道を習ってたので、夜中に書いている姿をよく見たりしてまして。
又、芸術好きな父の存在があって、よく美術館等へ連れていってもらい、
環境の影響もあって子供の頃から芸術や書は自然な一部で。。

中学2年生の時、
デザインの道と書とで随分悩んだのですが、結局書の道でと決めて、
高校2年生の時に淺見筧洞先生(日展参事)に師事。
学生時代と会社員時代はお稽古お稽古の生活で11年が過ぎ、
出産のしばらく前まで続けていました。

そのあと、先生が他界されたお葬儀のお手伝いで、
社中の先生でいらした小池青皚先生(日展会友)と奥様との再会が
ありまして。もう一度と約5年間お稽古通わせていただき、
教室を始めることができました。

実家は共働きで大変に育ててくれ、
父はよく文章と字の事を褒め接してくれていましたが、
母は家事もあるのでそれどころでなく。
そんな中、字だけは褒められていた記憶で。 
今思えば唯一のつながりだったのかもしれません。
そして子供の頃の教室の先生が伸び伸びと褒めて下さり、
小学校でも何かにつけ「字は◯◯」と名前をあげて下さる先生がいて、
自分も書きやすかったのか一番身近で。。

又、書いている時、紙に字が入らなくなりそうになると、
「だめと思ってしまったらだめ。大丈夫。」と言い聞かせ、
呼吸を整えることをしていまして・・。
すると最後まで元気よく字が入り、線も縮こまらず・・。
そうして自信持って気持ちを整えること=無の状態(天と繋がっている状態)が好きだったように思えます。

社中生活では、基本書道(楷書、行書、草書、隷書、仮名)と、
展覧会に中国の古典行書を基盤に出品、芸術世界にどっぷりと浸っていました。
後の5年間で再び基礎の楷書、行書、草書、隷書、
そして甲骨文、篆書、木簡へとお稽古させていただきました。

時々私のことを「書道家」とご紹介下さる方がいらっしゃるのですが、
実は自分の気持ちの中ではちょっと違う具合でして。。


深く書道を賜りましたので、
「道」のつく「書道」は必ず古典をベースに高い芸術性を守り伝える面が必要かとも考えておりまして。
今の私はそちらの方ではなくて、自分を楽にさせ、自分らしい書をと、
「書道家」でなく「書家」と申している次第なんです。
書家と言っても色々あるかと、どちらにしましても精進をと。。

そんな訳で自然に書を選び、
本当に大変な時期の連続でしたし、今でも作品を創るときは常に大変と楽しさが表裏一体ですが、それでも少しづつ楽に楽にと愉しむ方へ切替わってきて今に至っている具合です!

(書とのよろこびは?)

書をすると、「自分の中心と繋がれる」。
このことが一番の魅力のひとつにあります。




瞑想と同じで、無で居る世界に。
日常はつい時間に追われ純粋さを忘れてしまいそうですが、
書をすると自分の中心軸で居られ、そこ(自分。宇宙。)と繋がれるので
気持ちよかったり楽しかったり。がいいんです。


日本文化の「余白」空間が好きで、(余白=目に見えないものを感じとること)、
書の中にはそこが含まれ、それも魅力のひとつなんです。

アートは人種や国をも超え繋がれて、とても魅力的におもいます☆
作品や教室を通じて、皆さまへそんな楽しさを宙子さんはお届けし共有できる事を願ってらっしゃいます。

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2011~2014 主な作品集