おからマフィン専門店Macoオーナーのまことです。
なんの取り柄もないワタシが独立するまでには、育った環境、結婚、妊娠、流産、出産、育児、夫の独立・・・
全てがあってたどり着いたので、そんな道のりについてお話してみようと思います。
【学生時代】
小さいころから食べることは大好きで、おやつも大好きな子どもでした。
お料理番組も好きでよく見ていましたね~
手際よく美味しそうなお料理が出来上がっていく様
が楽しくてワクワクして、大好きでした。
我が家は母子家庭だったので、中学生のころにはお弁当を自分で作って学校へ。
(姉の分も作っていました!)
高校生になると夕飯も作りも私の係に。
母からお金を預かり、買い物をして作り始めました。作るのが好きだったんですよね☆
母には自分から申し出てましたから!
毎晩「美味しい美味しい~!」と姉が褒めてくれるので嬉しくて(作戦だったかも?(笑))
【社会人「好きを仕事に」の芽生え】
短大を卒業して、そんな若かりしころが過ぎ、時はバブル☆就職したのもやはり食品メーカーの(正確には飲料メーカー)
OLでした。
ですが、若いころから「何か自分でできることはないか?好きを仕事にしたい」と漠然と考えて
いたので、食べること以外では、お花やグリーンが好きだと気づき、OLをしながらフラワーアレンジのスクールに通い始めたのです。
その時は料理系で仕事をするなんて考えもしなかったと思います。
「好きを仕事に」フラワーデザインの仕事をしていきたいという淡い夢を持ちながら会社に通う毎日でした。
【結婚と妊娠】
その後会社を辞めて、お花屋さんで働いていたのですが、結婚が決まり、夫の神戸転勤のため兵庫県明石市へ。
お花の仕事は土日の仕事が多く、家庭との両立が難しいと感じ、フラワースクールで勉強だけは続けよう!という思いで続けていたところ、
この頃で足掛け10年フラワーアレンジに携わっていたので、スクールで講師のお誘いを受けたのです!
ですが・・・・
ここで初めての妊娠です。講師の話は流れてしまい、
残念なことに赤ちゃんも育つことはありませんでした。若かっですし、本当に辛い経験でした。
結婚したら赤ちゃんって普通にできて、元気に生まれてくるものだって思っていたんですよね。
(なかなか普通にもできなかった上に流産のWパンチでした。)
それから病院で体のケアをしながらアドバイスを受け、やっと長男を授かりました!
ですが、つわりも重く、切迫早産、切迫流産どちらも経験し、入院生活も長かった・・・。
元気な妊婦さんとは程遠い妊婦生活でした。頼る身内も近くにはいないので、夫がよく会社を休んでくれていました。
「命の尊さ」「母になる大変さ」を痛感させれる妊娠でした。
長男が生まれて2年後、そろそろ2人目かな~と思った矢先、妊娠しました!
ですが・・・また育つことはなく、2回目の流産です。その時は長男がいましたので、
自然に流れるのを待つことになりました。その時の先生の印象的な言葉が、
「流産もお産ですよ、出産もいつくるかわかならいのと一緒です」と言われて
すごく腑に落ちたのをよく覚えています。
なぜ自分は妊娠しづらく、流産しやすいのだろう?と産院の先生に訪ねても答えは
なかったのですが、その後学んだ薬膳で中医学を学び、潜在的に自分の体の弱い部分を知り、
納得がいきました!
「食養生」という言葉がありますが、食べることから体のケアを意識するようにもなっていきました。
それからすぐに夫が希望する千葉に転勤する運びとなったのです。
【千葉 夫の独立】
いよいよ千葉での生活です。
千葉に戻ってほどなくして、夫が色々ありまして
会社を辞めて独立する運びとなります。でもサラリーマンが長かった夫。
何ができるのかさんざん悩み、相談も受け、フランチャイズですが「焼き鳥屋」を
営むことになりました。
◇やき鳥専科一の酉 四街道店おかげ様で今年で13年目になります。
手放しで賛成~♪なんてことはもちろんないですよ!世の奥様も同意見だと思います(笑)
私も手伝うことが必須でしたしね。長男も小さかったですし。
3年は必死で働き2人で軌道に乗せました。
この環境、私にとってはかなりどん底な状況で、最初の半年くらいは定休日もなく営業し、
慣れない仕事で、仕込みから営業まで働きづくめ(睡眠時間2~3時間だったと思います)
その後このどん底から、「料理やお菓子作りと仕事」が結びつくようになっていくのですが・・・
長文になりましたので、続きはまた明日お付き合いくださると嬉しいです。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。
先日イベントの手伝いをしてくれた長男、15歳。春からはいよいよ高校生です!
※イベント情報 2月22日(日)柏神社 ての市 エントリー中♪