森﨑ではこれと「高校さすらい派」を実は観ていなかった。えらそーなことは言えないのだが、正直な話、これは失敗作だよなぁ、と思う。第一、話がよくわからない。
しかし、さすが森﨑というか、森﨑党員としては面白がらざるをえない細部に満ちている、あるいは失敗作だからこそ、そのような細部が生きる、とでもいうか。
貞永方久は「森崎は、芝居つけさせたら日本一」と言ったらしいのだが、さすが森﨑いちいち芝居が細かい。
久々に帰宅した芦田伸介が腕時計を外しながら顔を洗い、タオルで顔を拭う、佐藤蛾二郎にタバコを放り投げさらにマッチを放り投げる繰り返し、それらが芦田伸介によるものなのか、森﨑が芝居をつけたものなのかはわからないのだが、素晴らしいのはこれらの仕草がいささかも特権化されておらず、ましてや心理描写といった権力的な振る舞いからも遠く離れた、ただ些細な日常、些細なリアルでしかないことだ。
例えば渡哲也のギラギラした顔は鬱陶しい。なぜならそれが心理の顔であるからで、権力的な顔であるからなのだが、それが不意に緩む瞬間がある。
新宿ミラノ座前で、拳銃を巡り転びまろびつしながらの泥臭いアクション(しかも渡哲也は犯人を取り逃がす)もそうだが、雨の中、芦田伸介の死に取り乱し「俺が殺されていれば良かった」と泣く、その一瞬の表情が素晴らしい。渡哲也をスクリーンでさんざん観てきた者であっても、いやだからこそ、筋肉の唐突な弛みともいうべき、その表情の渡哲也らしからぬ情けなさに驚き感動する。
「森崎は、芝居つけさせたら日本一」と言う。しかし、この表情は一体何か。この表情を引き出したのは森崎でも渡哲也自身でも、もちろん物語や、物語に応じたその時々の感情や心理でもなく、映画に訪れた僥倖としか思えぬ。あるいは僥倖を呼び込む力。人はそれを森崎マジックというのか。