井上梅次4本立て | 映画、その支配の虚しい栄光

映画、その支配の虚しい栄光

または、われわれはなぜ映画館にいるのか。

または、雨降りだからミステリーでも読もうかな、と。

または、人にはそれぞれ言い分があるのです…。

梅次はあなどれぬ、とそう本数を観てる訳ではないのだが、私にとって当たりの多い梅次の特集がラピュタでやるとあって、これは行かねばと思っていたのだが、特集も終盤、なのに今んとこ観れたのは4本だけ。情けなや。

「結婚期」
鶴田浩二の50年代版「モテキ」。みこしをかつぐ女性陣は有馬稲子、岡田茉莉子、杉葉子、木匠マユリ。
舞台劇みたいな平面的な構図と凡庸な切り返しの連続にこれはちょっとあかんと思っていたのだが、次第にノレてくる。役者陣のちゃきちゃき歯切れのいい会話が素晴らしい。特にやはりというかなんというか、茉莉子さんが溌剌かつ可憐でおきゃん、主役の有馬稲子は大人しい分、割りをくってるか。「芸者小夏」「やくざ囃子」と同年、翌年に「浮雲」なのだね。場面転換や人物の出し入れもスピーディー、堺左千夫の味もよく、これはなかなか拾いものでした。

関係ないのだが、この頃の映画を観てていつも疑問なのが「芸者」の位置づけで、この映画では明らかに「芸者」=娼婦という描き方をしているんだが、そういうものだったのだろうか?じゃ「枕芸者」ってのは何なの?とか、「流れる」の芸者陣も客とってたの?杉村春子も?という疑問がわくわけだ。杉村春子はともかく、この芸者は客とってる、これはとってない、という区分が当時の観客はしっかりとできたのだろうか?

「勝利者」
これも素晴らしい。というか、かなりな傑作。
石原裕次郎と宍戸錠のボクシングというレアなシーンではじまり、試合後の控え室からナイトクラブへ、そして裕次郎のいる混雑した飲み屋へ。この一連のシーンは息もつけない見事な出来。

ナイトクラブ1階のバーカウンターの三橋達也と一階ホールを見下ろすテーブル席に南田洋子、俯瞰ショットと仰角ショットの切り返しから、カーブを描く階段を昇るクレーンショット、流麗な動きでさっくりと人物関係を説明し、北原三枝との出会い、さらに裏口へと続く楽屋廊下の縦構図から、裕次郎のいる飲み屋では三橋をフォローする横移動。
それぞれのショットの構図の決まり方、テンポ、なによりもその中を闊歩するコート姿の三橋が素晴らしく、南田、北原、裕次郎がもぉこれしかないといったスターっぷり。

後半はお話が複雑な三角関係を描くようになり少々ダレもするのだが、梅次演出は快調だし、美術はゴージャスだし、三橋、南田、北原、裕次郎(小林旭も訓練生エキストラでほんのちょっと出演)はもぉきらきらのスターなわけで、これは日活アクションがハリウッドに近づき、しかし、やはり日活ノワールとして輝いた最良の一本だと思う。素晴らしい。うむ、やはり梅次はあなどれぬ。

と思ったら「宝石泥棒」「裏階段」は見事に凡庸、ごく普通に楽しめ、ごく普通につまらぬ出来。
梅次はルーティンの演出をこなしている風で、それは、ま、とりあえず職人芸ってことで楽しめはするのだが、前者の山本富士子のコメディタッチの悪女芝居、後者では司葉子の屈折した悪女芝居がどうにもおざなり。も少しニュアンスっての演出した方がいいんじゃないすかね、と思ったんだがどうか。