アメイジング・スパイダーマン | 映画、その支配の虚しい栄光

映画、その支配の虚しい栄光

または、われわれはなぜ映画館にいるのか。

または、雨降りだからミステリーでも読もうかな、と。

または、人にはそれぞれ言い分があるのです…。

もう10月。書いてなかった映画について。
まず、いいのか悪いのかよくわからなかった二本。

「アメイジング・スパイダーマン」マーク・ウェブ
サム・ライミが周到に用意した青春映画の意匠は、このなんでリメイクすんのかよくわからないリメイク作においてはほとんど無視されている。
というか、この映画のスパイダーマンには何もない。びっくりするくらいシンプル。いじめにまつわるエピソードも表面を撫でた程度だし、叔父の死を巡るエピソードもなんかノー天気。

思えばこの監督の前作もそうであった。好きです、つきあって嬉しいです楽しいです、別れて悲しいです、というシンプルな感情をそのまま羅列した映画であった。

それはそれでよし、と思う向きもあるだろう。
確かに、今作で最も素晴らしいのは、アンドリュー・ガーフィールドとエマ・ストーンがデートの約束を交わす学校の廊下のシーンであった。でもよ、これってスパイダーマンと関係なく、逆に言えば、関係ないが故にいいシーンであった。
あるいは、自身がスパイダーマンであることを明かすベランダのラブシーンであった。でもよ、この告白は「俺ってお風呂に入るとおしっこしたくなるんだよね」程度の告白でしかなく、さらに逆に言えば、その程度の告白であるからこそいいシーンとなった。「ありゃ、困った」とのエマ・ストーンの台詞の可愛さ。

というわけで、アクションシーンになってから、全然つまんなくってさぁ。そんな何も考えてない男女ががんばって敵を倒すぜ、愛するあなたを守るわ、なんつっても面白くも可笑しくもないわけで、しかも相手がトカゲ男だぜ。

で、同じようにいいとこはあんだけど、何だかよくわからぬ映画をも一本。

「君への誓い」マイケル・スーシー
ある新婚夫婦が映画館を出てくると、映画を見ているうちに雪が降って来たのだろう、あたり一面が白で、夜で、しんとしていて、しかしその情景が美しいから感動的なのではなく、美しく変化した情景を目の当たりにした彼らの驚きが伝わるからで、さらに彼らが映画を見ていた何時間かの経過が1ショットで表現されているからで、つまりアイデアがいい。冒頭にこんなシーンを設けるなんてやるじゃんよ、と思って観ていたのだが、途中から面白いんだかつまらないんだかわからなくなる。

というのは、この映画、記憶を巡る大それた物語、突っ込もうと思えばいくらでも深くなるネタを展開するんだが、それに対する主人公の青年がどうにも頭が悪そげで、無神経でさぁ。
望遠レンズと標準レンズによるつなぎがぎくしゃくしてるとか、ま、どうでもいいんだが、ちんこでうろうろする主人公に驚くレイチェル・マクアダムスとか、いいシーンも結構あるし、彼女は可愛いし、久々に映画を観たしで、いいのか悪いのかよくわかりませんでした。すみません。

と、まぁよくわからんかったのではあるが、こんな映画やあんな映画を褒める奴はやっぱどっかおかしい、というか変。御大が貶したとかそういう答え合わせみたいな話はいいとしてもさ、映画を観る根本的なセンスに欠けてんじゃんというか、はしゃいでんじゃねぇよと。頼むからアルドリッチとかマキノとか言い出さないでね。