ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル | 映画、その支配の虚しい栄光

映画、その支配の虚しい栄光

または、われわれはなぜ映画館にいるのか。

または、雨降りだからミステリーでも読もうかな、と。

または、人にはそれぞれ言い分があるのです…。

ロジャー・ムーア007が「私を愛したスパイ」の好評を受けながら、その後低迷していったのは、007がもつ荒唐無稽さをパロディ化し、どんどん自虐的にならざるを得なくなったからだ。ピエロのメイクをしてサーカスに潜入したり、戦闘機パイロットの訓練装置に乗り込み、ほっぺたをぶるぶるふるわせるロジャー・ムーア007は子供心にもとても格好悪かった。小粋なジョークも親父ギャグといなされる始末。

インディー・ジョーンズはさすがに格好よいヒーローで、たまにアクションヒーローらしからぬ所作をみせても、それはギャグとして消化されていた。

そしてトム・クルーズ。「ナイト&デイ」でアクション・ヒーローの荒唐無稽を誇張してみせたトムだが、この映画ではどういうわけか笑える程、痛々しい。パンツ一丁で街角を駈け、何も見えない砂嵐の中ぶんぶん腕を振り上げ正確この上ないフォームで走るトム、「ミッション成功」と叩くボタンはまるで反応せず、テープは自動的に消滅されず、後半ではただのぽん引きと化す。ロジャー・ムーア007のようなパロディ化でも、インディー・ジョーンズの余裕もなく、ただ彼は痛々しい。

フェルプス君を徹底的に壊滅させ二代目になりかわった男が二作目、三作目で求めたものは「愛」であった。「汚名」のリメイクと妻を救うために疾走する男。これは悪くない。しかし、この4作目の彼に残るものがただ痛々しさだけというのはどういうことか。

このトムの倒錯をエンジョイできたのは、ドバイの超高層ビル登攀シーンのみだったのだがどうか。
組織に見放されテロの容疑者として追われる、という設定がまるでどっかいっちゃうのはどうか。彼を追うロシアのスパイだか何だかのあまりの弱体ぶりはどう考えても演出ミスだろうし、縦構図の殺しを決めてくれたレア・セイドゥはただのふて腐れた不良少女にしかみえない、核の発射ボタンを巡る衛星通信だのなんだのの件は煩雑でよくわからず、クライマックスの対決の相手が中年太りの大学教授ってのもどうなのか。
そもそもこのシリーズって面白かった?という疑念さえわいてくる。

結局は新兵器の大活躍というわけだが、それを「情報も装備もなく」なんつっちゃ駄目じゃん、トム。クレイグはもっとがんばってるぞ。次はMI5。イギリスに行くのか、トム。