アンノウン | 映画、その支配の虚しい栄光

映画、その支配の虚しい栄光

または、われわれはなぜ映画館にいるのか。

または、雨降りだからミステリーでも読もうかな、と。

または、人にはそれぞれ言い分があるのです…。

リーアム・ニーソンが妻と写真展で密会し、スライド映写されているスクリーンの前でキスを交わす。彼の協力者であるダイアン・クルーガーがその光景を覗き見、衝撃を受ける。その様をカメラは彼女のフルショットと彼女の主観でのロングショットで示すのだが、その時、夫婦がキスを交わすという平凡な情景、あるいは、監視の目をかいくぐってのキスというロマンティックかつサスペンスあふれるシーンは、ダイアン・クルーガーの目を通じることで、もう一つの意味を持つこととなる。

このような写真展での密会という設定、スライドを背景とした逆光のシルエットといったヒッチコック的な意匠は、単なるオマージュやサスペンス映画の約束事でしかないが、「裏窓」の指輪のような、物語に重層的な意味を持たせようと目論むジャウマ・コレット=セラの演出はなかなか繊細、大人だと思う。

さらに、敵を倒すリーアム・ニーソンを見て恐怖を感じるクルーガーのロングショットも同様にいいし、なにより、ブルーノ・ガンツとフランク・ランジェラが素晴らしい。

ブルーノ・ガンツは現在は市井の探偵に過ぎないが、実は元東ドイツ秘密警察の老スパイで、その出自に「誇りを持っている」と話しはじめる、どんとこの男のグレードが上がる。
さらにフランク・ランジェラは謎の秘密組織の指導者的役割を担う人物らしく、この男がベルリン空港に降り立つ、その移動ショットで捉えられたランジェラの横顔で、どどーんと物語が動くわけだ。
そして二人は対峙する。重厚な机を配した横位置のロングショットが素晴らしく、さらにこのシーンはブルーノ・ガンツがランジェラに抱きかかえられるシーンで終わるのだが、その姿にジャウマ・コレット=セラは裏社会でのみ生きてきた者たちの誇りとシンパシーを演出する。

確かにお話は雑だし、辻褄も合っていない。そんなもんは私には関係がない、与えられたシナリオを丁寧に撮る、その上で、それ以上の技を見せようではないか、とジャウマ・コレット=セラは言う。

「蝋人形の館」「エスター」と見てきたが、ジャウマ・コレット=セラ、ほんとに悪くない、がんばってる。しかし、リチャード・フランクリン、フレッド・デッカー、エリック・レッド、ジョナサン・モストウ、ジョン・ダールと、ホラー者、サスペンス者は死屍累々。カーティス・ハンソンのごとく人生ドラマに移行する手もあるのだろうが、なんとかサスペンスでがんばってほしいと切に願う。がんばれ、ジャウマ・コレット=セラ。