アバター 3D その3 | 映画、その支配の虚しい栄光

映画、その支配の虚しい栄光

または、われわれはなぜ映画館にいるのか。

または、雨降りだからミステリーでも読もうかな、と。

または、人にはそれぞれ言い分があるのです…。

最後に3Dについて。

私もこの映画を観るまでは忘れていたので是非思い出してほしいのだが、「キャプテンEO」って本当に面白かったですか?

あの夏の日のディズニーランドで私の傍らにいた女性は「結局、あの岩の爆発と魔女の爪だけだったよね」と言い、私はそれに激しく同意したし、それに類する感想を多くの人から聞いた。
つまり、あの映画の見どころは、私たちの目の前に隕石(だったと思う)が近づき、それが爆発するショットと、アンジェリカ・ヒューストン扮する魔女がカメラ前に手を突き出し、爪をカチャカチャやるショットだった。
この2つのショットでは、その場にいた大半の人が目の前にある隕石や爪に手を伸ばそうとし、あるいは3D眼鏡をずらして、本当はどうなっているのかを確かめていた。

はっきりいって、それ以外の記憶なし。
ようするに3D映画ってのは飛び出してなんぼのもんじゃ。
だからキャメロンが「飛び出す」戦略をあえて止め、奥行き感を出すために3Dにしたってのは、はっきりいって、馬鹿じゃねーのと。いや単純にそう思わないですか。3Dの意味なし。

飛び出す飛び出さないはともかくとして、奥行きといっても、連続した景観が続いているショットは、冒頭近くの冷凍睡眠カプセルから出てくるシーンくらいで、あとは前景、中景、後景が多くの場合、樹々を媒介として分断して示されるのみで、これを奥行きと言われても、お前は中世絵画かと。

また、前述した初めての飛翔シーンでもそうなのだが、「飛び出さない」ことを意図的に行っているせいなのか、画面手前に何かをなめることを極力避けているように思う。
初めて主人公アバターが走るシーンでも、彼を捉えてトラックバックするショットは、彼の背後に大きなバラック(みたいなの)を据え、その奥行きを塞いでおり、またカメラ位置は目線よりやや高く、だからカメラ前から後ろへと流れていき移動感を演出するはずの地面が強調されることもない。横移動ショットにおいても同様で、手前に何かをなめることでその移動感を強調してもいない。

(多分)現代科学の粋を集めた「アバター」の3D技術がどういうものかはしらんが、もしかしたら、前景から後景への連続したフォーカス、あるいはボケあしが、通常のフィルムほど巧く機能していないのかもしれない。
というか、そもそも3D、立体映画ってものに「フォーカス」という概念があるのかどうか。

そのへんの発展途上(としか思えぬ)の技術を何とか使いこなそうという、先駆者としてのキャメロンには敬意を表するのだが、これで「奥行き」だのどうだの、物語に没頭させるためのどうだのこうだの言われても、それは違うだろうよ。

というわけで、妻曰く「言われなきゃ3Dだかどうだかわからん」というのは圧倒的に正しいし、眼鏡を外せば、全然、明るい画面が広がっているのだ。なんだこれ。こんなもん商売にすんじゃねーよ。「空飛ぶ十字剣」の方が全然、面白かったぜ、おい。

これは前世紀の親父の戯言か?トーキーになった時も、カラーになった時も言われたことか?
いや、何かそうではない気がする。裸眼で3Dが可能になる技術もあると聞く。そうなったらどうなるのかはよくわからんが、この技術は「映画」には向いてないんじゃないか?映画は既に「立体」を達成しているんではないのか?