禁じられた乳房 | 映画、その支配の虚しい栄光

映画、その支配の虚しい栄光

または、われわれはなぜ映画館にいるのか。

または、雨降りだからミステリーでも読もうかな、と。

または、人にはそれぞれ言い分があるのです…。

柳下毅一郎が誉めてたので、ケッコーな期待で観たのだが、いつもの小川欽也じゃねーか。
(といっても、小川欽也の映画を小川欽也の映画だと思って観たのは今回が初めてで、あとはケッコーな数を観てると思うが、当然、何も覚えてない)

脱走シーン、回想、脱走後の顛末、という構成なのだが、脱走シーンは意味ない風景ショットがホントに意味がないので困るし、回想シーンは、よくある悲惨話をただ撮りました、なわけで途方もなく退屈だし、脱走後は、ああ、このへんを柳下毅一郎は誉めてるのね、と思うのだけど、激賞する類いのものではない。ピンク三本立てを観てうんざりして、だけど自分を騙すように、うん、この映画のこのシーンはちょっと良かった、と思う程度の良さ。

別にいいんだけど、観ること自体に価値があるのか、これは。
でも、今回を見逃すと二度と映画館で観られない映画って、今のアメリカ映画の多くがそうなんじゃん?

関係ないけど、野上正義がもの凄く若い。そりゃそうか。

禁じられた乳房
1966年/大蔵映画/白黒/80分
■監督:小川欽也/脚本:五里木純一郎/撮影:岩橋秀光/美術:宮坂勝己/音楽:長瀬貞夫
■出演:新高恵子、左京未知子、森三千代、飛田八郎、大原百代、九重京司、野上正義、椙山拳一郎