キャプティビティ | 映画、その支配の虚しい栄光

映画、その支配の虚しい栄光

または、われわれはなぜ映画館にいるのか。

または、雨降りだからミステリーでも読もうかな、と。

または、人にはそれぞれ言い分があるのです…。

アップアップと(多分)ハイビジョン撮りの柔なトーン、うるせー効果音、アイデアのかけらもない拷問シーンの連続に、ローランド・ジョフィが駄目なのはとうにわかっていたとしても、ラリー・コーエンに期待していた私が馬鹿だったのかと。

そういや、傑作「セルラー」の前は最低「フォーンブース」なのだし、「ザ・スカウト/殺戮祭の日」(ティモシー・ボトムズ主演つうか、涙)なんてのもあった、そっか、監禁ホラー人気に便乗した、「マニアックコップ」系列の映画なのね。
ミステリとアイデアの人、ラリーのダークサイド、お金儲けのラリーの方が書いたってわけだ。

と思って嫌になるうちに、ラスト。
くだらねぇツイストだぜ、と思ったのだが、あ、そうか、と。

一行ネタバレ。

冒頭のシーンはミスディレクションだったのだ。

ラリー、すまなんだ。先読めるよなぁ~などと思っていた私や多くの人々を許してほしい。
この映画はそれ一発だけに賭けた映画なのだ。それに気付き(つうか気付かずに)騙された者だけが祝福されるべき映画。
だからどうだ、という感じがしないでもないが、その意気や良し。ほんとにいいのか。