母の命日に、心に浮かぶことをそのまま文にすれば。 | こうしんの著作権,コンプライアンス日記

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「中川総合法務オフィス」代表 こうしん のアメーバ日記です。
急死した亡母への慙愧…
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◆今日は、母の命日であった。 もう10年になる。 あの明るく晴れ渡った秋の逝く日の事をありありと思い出す。私は重い病気の発作が出た家族を連れて故郷の空を後にした。骨拾いさえ出来なかった。その日から繰り返し母が夢に出てきた。池の畔で池に石投げをして遊んでいた。三途の川に行く前か。


◆その母は、私が19の夏に心臓弁膜症の手術をすることになった。京都の大学にその春から入学した私は母の付添いのために夏を母の入院した遠くの病院でほぼ過ごした。親戚に家にもとまった。1日で嫌になった、仕方がないので京都と行き来したりビジネスホテルにも泊まった。病院も寝たが限界があった。


◆若い医師であったが、手術はほぼ成功した。父と謝礼金を渡したのを覚えている。当時の金で30万円はあった。今なら、2倍以上の価値あるか。母はアイスクリームをほしがった。それと、刺身であった。何度も街中に買いに行った。そして、夏が終わり大学は9月中旬から授業が始まるが京都に行かなかった。


◆秋の日に母は退院した。感激の時であった。それからの母で変わったことは、小さな楽しみを見つけるのが本当に上手になったことであった。絶えず、何かいいことないかなと。とてもそれは考えさせられることであった、生きることの意味を。そうだ、小さくてもいいから生きることは一時を楽しむことだと。


◆母の愛情は本当に深かった。私は、それにこたえる人生を送っていない。私は少しでもそれに応えと考えた。しかし、自らの怠惰と短気がそれを消し去り母の愛情にこたえようと心で思っている最中に突然に亡くなった。亡くなった時はもうどうすることもできない失敗をした気持ちと悔しさに憐憫が混じった。




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