「かけがえのない命」なはずなのに… 許されぬダブルスタンダード「生存権」と「優生思想」 | 私にとって人間的なもので無縁なものはない

「かけがえのない命」なはずなのに… 許されぬダブルスタンダード「生存権」と「優生思想」



ナチスが作ったプロパガンダポスター
ナチスが作ったプロパガンダポスター
「この立派な人間が、こんな、我々の社会を脅かす病んだ人間の世話に専念している。我々はこの図を恥ずべきではないのか?」


相模事件を考える
竹内章郎
重度障がい者との日常
優生思想の克服

学問文化(しんぶん赤旗)2016年8月9日

 神奈川県相模原市の津久井やまゆり園で重度障がい者が殺傷された惨禍。以前は「普通」に-何が「普通」かは本当は難しい-障がい者と接していたらしい元職員が、重度障がい者の人権無視や殺害を正当化するに至ったのだから、ナチスだけには限られない優生思想の問題は深刻だ。

重度障がい者との日常 優生思想の克服

  ナチスだけか
  意外に思われるかもしれないが、英国の社会保障制度の土台となる「ペバレッジ報告」(1942年)を作ったW・ペバレッジは、最低収入に値しない欠陥ある人の隔離収容と彼らからの自由や生殖の権利の剥奪を力説した漸進的な社会主義的改革を目指したフェビアン協会の中心人物シドニー・ウェッブらも、自らを優生主義者だと公言し、産業社会に役立たない人を消耗品扱いしてその排除を主張した
 『青鞜』で有名な平塚らいてふが、「普通」に生活できない子どもの出生は大きな罪悪だとし、福沢諭吉人間の産育を家畜改良と同じにせよと言うなど(同じ発言は電話の発明者ベルにもある)、「不適合者」の排除思想である優生思想は広くはびこっており、効率至上の現在の新自由主義の人間観とも結びつく。
 米豪由来の生命倫理学で、IQ20以下の存在は人間ではなく殺しても殺人ではないと明言したJ・フレッチャーの優生思想は、”重度障がい者は人間の皮をかぶった物だ”と言った相模原事件の犯人の発言そのものでもある
 もちろん「不適合者」の排除とはいっても、殺傷にまで至るか、施設などに隔離しての貧困なケアの強要にとどまるかではかなり違うが、今回の惨禍の背後にある優生思想は、僕たち自身をも捉えかねない

  共同の豊かさ
 そこで優生思想の克服を本当に考えるための一助として、身近に重度障がい者と接するものとして、障がい者を巡る日常が「普通」になること、またその豊かさにふれたい。そんな話があまり知られていないことも優生思想がはびこる要因の一つだと思うからである。
 「優秀」な介助者ならくみ取れる意思を示すとはいえ、通常の言語的な意思疎通はままならず、食事や衣服の着脱はもちろん排泄も一人ではおぼつかない、それこそIQ20もない重度の知的障がいをもつ彼。彼が僕によりかかってテレビアニメに夢中な中、臭ってきた。ああ、やったなあ、と大便の後始末が頭に浮かび、直前の少し尻を浮かせるサインの見逃しを悔やんで、やれやれと思う。
 けれど、やれやれと思う仕事が誰にでもあるように、この思いも当たり前で「普通」となる日常がある。「駄目でしよ、トイレでしよ」と僕に叱られる彼は、少し困惑しつつもオウム返しに「おトイレよー」と二コニコ顔で言い、便座に座って脚を広げ協力してくれる。だから便の拭き取りなども、手間はかかるが、信頼の視線を感じる僕のほほ笑みを誘う共同作業となる
 どんな共同作業にもあり得る協力の楽しさを、彼との生活に慣れた僕は実感するし、そんな中で排泄の場の大切さを学びもする
 腰や脚の付け根にもおよぶ軟便の処理には、確かにため息をつくこともあるが、その場合はトイレ後の風呂で、汚れに彼の手が触れないように工夫しての洗浄となる。洗われる彼が浮かべる気持ち良さそうな表情は、自然と理屈抜きに僕にも伝播する。
 そこには忙しさに追い立てられる生活とは全くちがう、ゆったりとした時間・空間のもたらす癒やしや豊かさがある。真夏の今頃なら、ついでに一緒にシャワーを浴びて一緒に心地良くもなる。汚い話で恐縮だが、大便を巡ってやれやれと思うようなことの中にも、「普通」の楽しい共同の営みや心地良さがある。
 重度障がい者とのこんな「普通」の生活の積み重ねから(特に彼らに直接関わる人たちによって)紡ぎ出される新たなコミュニケーション技法やより豊かな文化がなければ、優生思想の本当の克服と真の共生は難しいのだと思う


相模原障害者施設殺傷事件
雨宮処凛さん
「かけがえのない命」
 時に値踏みされ
  二重基準まかり通る

(東京新聞)2016年7月31日

 十九人という戦後最多の死亡被害者を出した相模原の障害者施設殺傷事件をどうみるか。現場なども取材した上で、作家・活動家の雨宮処凛さんに寄稿してもらった。

「かけがえのない命」雨宮処凛

 叔母がこの事件を目にしなくて、よかった。
 事件の第一報を聞いた時、思った。今年六月、肺がんで亡くなた叔母は、長らく障害者の権利向上を求める運動に携わってきた。それは自らの娘が知的障害を抱えていたからで、私のいとこにあたるHちゃんは十数年前、二十代の若さで短い生涯を終えた。
 身体は健康だったのに、たまたま風邪の菌が脳に入ったとかそんなことで、急激に体調が悪化。救急車を呼ぶものの「知的障害の大は受け入れられない」と病院に拒否された。自分の状況を説明できないからだという
 結局、翌日に受け入れ先の病院か見つかった時には既に手遅れの状態で、数日後に亡くなった。
 今回の事件では、十九人の命が失われた。あまりにもむごく、今でも信じられない思いでいる。同時に、報道などで繰り返される「かけがえのない命」「命は何よりも大切」という言葉にうなずきながらも、ふとした違和感も覚える。この社会は、果たして本当に「命」を大切にしてきたのだろうかと。
 「ああいう人って人格かあるのかね」「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする
 この発言は一九九九年、東京都知事になったばかりの石原慎太郎氏が障害者施設を訪れた際に発した言葉だ。
 一方、今年六月、麻生太郎副総理は高齢者問題に触れ「いつまで生きるつもりだよ」などと発言。また、二〇〇八年には「たらたら飲んで食べて、何もしない人の医療費をなぜ私か払うんだ」という発言もしている。
 「かけがえのない命」と言われる一方で、その命は常にお金とてんびんにかけられる。費用対効果などという言葉で「命」は時に値踏みされ、いかに利益を創出したかが人の価値を計る唯一の物差しとなっているかのようなこの社会
 ちなみに、これまで障害者の事故死などを巡る裁判で、彼らの逸失利益(将来得られたはずの収入など)は「ゼロ」と算定されるケースがままあった。重度障害者の場合、「働けない」とされてしまうからだ。逸失利益ゼロが不当として提訴した障害者の母親は「生きている価値がないのかと屈辱的だった。働くことだけか人間の命ではない」と述べている。
 この国には、このように、命に対するダブルスタンダードがまかり通っている
 軽く扱われているのは障害者の命だけではない。「健常者」だって過労死するまで働かされ、心を病むまでこき使われ、いらなくなったら使い捨てられる。その果てに路上にまで追いやられた人を見る人々の視線は、優しいとは言い難い
 事件から三日後、犠牲になった方々が生活していた津久井やまゆり園を訪れた。山を切り開いたような住宅街の中、緑に囲まれたのどかな場所だった。容疑者の住む家はそこからわずか車で五分ほど。深夜、容疑者はどんな思いで車を走らせ、施設に向かったのだろう。コンビニさえ辺りにない寂しい集落で、彼の悪意はどのように熟成されていったのだろう。
 「死刑になりたかった」のではない。「誰でもよかった」のでもない。彼は衆院議長への手紙で「日本国と世界平和のために」とまで書いている
 痛ましい事件が起きた時だけ「命は大切」と言うのはもうやめよう。日頃から、社会が、そして政治が、私たち一人一人が命を大切にする実践をしなければならない。「稼いでいない者」をお荷物扱いするような言説を見つければ声を上げ、自分の中に、近しい誰かの言動の中に差別やヘイトクライムの芽がないか、心を配ろう
 最後に。容疑者の手紙の言葉に対して全メディアにもう少し配慮した報道を望みたい。新型出生前診断が注目されたころ、あるダウン症の子どもは「自分は生まれてこないほうがよかったの?」と口にしたそうだ。
 そんなこと、誰にも言わせてはいけない

自分や誰かの言説に
 差別の芽がないか
  日頃から、心を配ろう





シリーズ戦後70年 障害者と戦争
ナチスから迫害された障害者たち

(1)20万人の大虐殺はなぜ起きたのか

http://dai.ly/x336fe9
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2015-08/25.html
戦後70年の節目に、「障害者と戦争」について考えるハートネットTV・8月のシリーズ。
日本編に続いて舞台をドイツに移します。
600万人ものユダヤ人犠牲者を出したといわれる、ナチス政権によるホロコースト。これを忘れてはならないとする認識は、戦後ドイツの基本です。しかし、ユダヤ人大虐殺の前に、いわば‘リハーサル’として、20万人以上の障害のあるドイツ人らが殺害されたことは同じようには語られてきませんでした。
5年前、ドイツ精神医学精神療法神経学会が長年の沈黙を破り、自分たち医師が患者殺害に関わったことを謝罪したのをきっかけにようやく今、真実に向き合う動きが始まっています。学会は今年の秋に報告書をまとめる予定です。
なぜ、これだけ大量の障害者が殺害されたのか、止めようとした人たちはいなかったのでしょか。そしてなぜ被害者の遺族もこれまで沈黙を保ってきたのでしょうか――。
日本の障害者運動をリードしてきた藤井克徳さんがドイツを訪ね、当時のドイツと今のあり方、日本を見つめ、歴史を繰り返さないために何が必要かを考えます。

劣等分子の重荷
ナチスが学校教育で用いた図=「劣等分子の重荷」
「遺伝病患者は、国家に1日あたり5.50マルクの負担をかけている。5.50マルクあれば遺伝的に健康な家族が1日暮らすことができる」――国民が貧しいのは、遺伝的欠陥のある人たちを社会制度によって支えてるからだと教育をした――


(3)命の選別を繰り返さないために

http://dai.ly/x37uto1
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/calendar/2015-09/15.html
戦後70年の節目に、「障害者と戦争」について考えるハートネットTV夏のシリーズ・ドイツ編の第3回。
ハートネットTVでは8月に、ナチス政権時代、20万人以上の精神・知的障害のあるドイツ人らが殺害されたことや、ユダヤ人迫害が強まる中、ユダヤ人障害者たちを自らの作業所で積極的に雇い、ナチスからかくまったドイツ人視覚障害者がいたことを伝えてきました。
第3回は、現地を訪れ、これらのことを直に取材してきた藤井克徳さん(日本障害者協議会代表・自身も視覚障害)が、ドイツの精神医学会の元会長を直撃。なぜ、これだけ多くの障害者が殺されなければならなかったのか。そしてなぜ、本来命を救うべき医師が加担したのか疑問をぶつけます。また、もっと早く事態を察知し、止めようとする人はいなかったのか-。歴史家や、障害当事者とも対話し、掘り下げます。

“戦後70年”の馴染みのキャラクターも登場。同じ過ちを繰り返さないために、いま私たちが「命の価値」についてどう考えるべきか、時空を超えて問いかけます。

視聴厳重注意
Hadamar Murder Mills(ハダマー 虐殺施設)

https://youtu.be/BWwD8EtvFFU



相模原障害者殺傷事件
意味なき命はない
(しんぶん赤旗)2016年8月5~8日

 神奈川県相模原市緑区千木良の障害者施設「津久井やまゆり園」で19人が死亡、26人が重軽傷を負った殺傷事件。犯行そのものの衝撃に加え、逮捕された植松聖容疑者(26)の「障害者に生きている意味はない」という言葉が地域社会や全国の障害福祉に関わる多くの人を深く傷つけ、悲しみを広げています。
(相模原事件取材班)

意味なき命はない_1

職員「日増しに苦しく」

 植松容疑者は同園の居住棟に侵入し、移動しながら室内で就寝していた入所者を刃物で次々に襲ったとされます。犠牲者の氏名は発表されていません。園近くに住み、同園で20年以上働いた70歳代の元職員の女性が語ります。

 入所者の顔浮かぶ

 「あの部屋には誰がいた、この部屋には誰がいた。入所者の顔が次々に浮かぶ。襲われたのか、痛い思いをしたのか。夜、一人で布団にいると考えが止まらず、眠れない。日がたつにつれ、忘れるどころか苦しさが大きくなっていく」
 女性の手元に現役時代の数十枚の写真があります。屈託のない笑顔を見せる女性入所者、安心しきった表情で職員らに身を任せる男性入所者。「自分の子のように感じ、接してきた。辞めてからも心は常に近いところにいた」
 アイドル的な存在の女性入所者がいました。「言葉は話せない。勦けない。でも名を呼ぶとにこにこっと最高の笑顔で応えてくれる。苦しいことがあるとき、この人に勇気を与えられたという職員は多かった」。その人は無事なのか。容疑者は障害の重い人から襲ったと聞き、苦しさが増します。
 同容疑者は衆院議長宛ての手紙で「障害者は不幸を作ることしかできない」と書きました。

 長期的ケアが必要

 「とんでもない。私たちは入所者に励まされ、なぐさめられ、たくさんのことを教えてもらった。感謝ですよ。そんなあの人たちがどんなふうに死んで行ったかを聞かされたりしたら、きっと立ち直れない
 事件直後に園に呼び出された現職員たちが受けた心の傷の深さも懸念されています。
 同園での勤務経験があり、現在は緑区内の別の障害福祉サービスに従事する女性は「職員たちは残った入所者に通常通りの環境を提供しようと、文字通り歯を食いしばっている。でも時折、やりきれない表情を浮かべているのが心配だ。長期的なケアが必要です」といいます。

意味なき命はない_2

声なき悲鳴があふれ

 「地域に深くとけ込んだ園」「地域と支えあう園」-。事件現場となった神奈川県相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」を、多くの地域住民がこう形容します。
 相模湖近く、緑の尾根に、はさまれた川沿いの千木良(ちぎら)地区に同園はあります。1964年に県施設として開所し、2005年からは社会福祉法人が指定管理者として運営しています。
 開所後、同園は地域住民を積極的に雇用したといいます。「住民も大学の通信教育やスクーリングなどで障害者福祉を学び、県職員として勤めた。園も地域に開かれた運営に努め、8月の納涼祭などの『三大行事』には地域の人がこぞって参加するようになった」と、1990年まで25年勤務した元職員の石井明光さん(86)は語ります。
 「近くの神社に入所者が散歩に出ると、近くの住人が入所者の名を呼んで声をかける」「散歩中の入所者を住民が家に招いて、お茶を飲ませる」などといった光景が珍しくなかったと、複数の住民が語ります。

  職員OBも多く

 地域には職員OBも多く、今も田畑での作業訓練や破れた衣類のっくろいなどにボランティアとして協力しています。
 自身もボランティアとして園に通う元職員の男性(82)は「こういう地域だからこそ、そして逮捕された容疑者が地元の人たったことでなおさら、事件が与えたショックは深い」と話しました。
 元職員で、現在は緑区内の別の障害福祉サービスに従事する女性が、住民の心情を説明します。
 「外から見ると『戦後最大の殺人事件』という面が強調される。でもここで生活し、障害者と深く関わってきた地域はそれで済まない深い傷を受けた。容疑者のことだって子どものころから知っている。でも今メディアで流れている彼の写真の表情はまるで別人のもの。『なぜ彼はああなってしまったのか』という思いでいる」
 事件はまた、障害者福祉に関わる幅広い人に傷を与えています。

  自分否定された

 事件後初の日曜日の7月31日、やまゆり園前に設けられた献花台に花を手向ける人が絶えませんでした。
 広島県からきた運転手の男性(43)は献花してからうずくまり、顔を手で押さえました。精神障害の手帳所持者。涙ぐみながら語りました。
 「悲しいですよね。自分が否定されたようで。さまざまな障害のある人たちにとって、この事件はとてもつらい

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社会を変える原動力

 相模原事件の植松聖(さとし)容疑者は「障害者はいない方がいい」などと言って、多くの障害者の命を奪いました。
 「重度重複障害を持った人たちは″かけがえのない存在”なだけでなく、社会に大きな影響を与えてきたんです」と東京都三鷹市の深沢智子さん(79)は、静かに語ります。
 娘の直子さん(50)は生後間もなく受けた頭部手術の後遺症で、歩くことも話すこともできません。都内の入所施設で暮らしています。

 「親子教室」活動

 かつては、就学前の直子さんが同年代の子らと過ごす障害児支援の施設などの場がなく、智子さんが病院などで親しくなった親子と「親子教室」の活動をはじめました。
 同年代の子どもだちと過ごす中で、智子さんら保護者は、重度障害のある子が刺激を与えあい成長・発達することに気づきました。
 直子さんは審査を通り、就学できましたが、中には入学できない重度障害児もいた時代でした。
 障害が重い子ほど教育が必要と、「すべての子らに教育の機会を」をスローガンに、保護者や教員らと智子さんは、障害児全員就学運動に取り組みました。

 行政を巻き込み

 東京都は1974年4月から、障害児の全員就学を実施。国は79年から、障害児学校(特別支援学校)教育を義務化しました。
 「電車に乗ったことがない。障害があっても電車に乗りたい」。直子さんが入学した都立小平養護学校の児童の言葉がPTAなどを動かし、地域に働きかけ、最寄り駅の西武線小川駅に81年、エレベーターを設置しました。都内沿線では比較的早い設置でした。智子さんは「障害のある子どもたちが親や地域、行政を巻き込みながら社会を変えていった」と振り返ります。
 駅構内で車いすやベビーカーが通るのは当たり前の今。ところが、智子さんは当時、17㌔直子さんをベビーカーに乗せて駅ホームを歩いていたところ、駅員に「禁止だ」と呼び止められました。駅長に実情を訴え、使用承認書を発行してもらいました
 智子さんは強調します。「何もできないと思われていた人が、街に出ることで周囲の意識を変え、理解を深めるきっかけづくりに役立っています。誰にでも優しい社会に変える原動力になっているのです

意味なき命はない_4

人権保障理念広げて

 「相模原事件を知り最初に頭に浮かんだのは、私が東京地裁で20分ほどかけて意見陳述した内容でした」
 東京都三鷹市の深沢智子さん(79)は、こう話します。重度重複障害がある娘の直子さん(50)は、障害者自立支援法違憲訴訟の元原告です。障害のある人に必要なサービスを”益”として自己負担を強制した同法は、憲法25条生存権を侵害するなどとして提訴しました。
 智子さんは話すことのできない直子さんに代わり意見陳述を行いました。その中で、重い障害のある子が保護者らを巻き込みながら、障害がある子どもの教育権を獲得し、社会を変えていったと訴えました

 政治の流れの中

 智子さんは「私たちは重い障害がある人たちの医療・教育・福祉制度の拡充を求め続けてきました。。障害者はお金のかかる人たちだ”という考え方がなんとなく出てきたのは、小泉『構造改革』が始まり、自立支援法ができたころからです」といいます。
 障害が重いほど自己負担も重くなる自立支援法施行後、障害のある人がいる家族の心中事件などが相次ぎました。
 「障害福祉だけでなく社会保障全般が、じりじりと憲法25条に照らして後退させられている。この政治の流れの中で、無意識に『障害者はいらない』という考えに結びついていったのでは」と智子さんは危惧します
。「再発防止策として、安倍政権は防犯カメラ設置や警備強化を言うけれど、憲法に基づいた人権保障の教育が必要です

 社会に潜む危機

 全国障害者問題研究会荒川智委員長(茨城大学教授)は、植松聖(さとし)容疑者が「障害者が安楽死できる世界を」などと主張していたことにふれ、「障害者や高齢者を『社会にとっての負担、お荷物』とみなす考えは、突き詰めれば容易に障害者は不要とする優生思想、安楽死の肯定につながりうる。『社会保障費の増大』と、危機をあおることが、その触媒となります。こうした発想は社会のいたるところに潜んでいます」と指摘します。
 茨城県の教育委員が昨年、「障害児の出産を減らせる方向になればいい」という趣旨の発言をし、批判を浴び辞職しました。荒川さんは「典型例だ」と話し、「こうした発想は、弱い立場に置かれる外国人や生活保護利用者なども攻撃・排斥の対象にする風潮につながる」と指摘します。
 そのうえで、こう強調します。「人権保障と発達保障の理念・思想が、社会の隅々まで広がることが重要です
(おわり)
(この連載は岩井亜紀、安川崇が担当しました)