「殺されたくない 殺したくない」 | 私にとって人間的なもので無縁なものはない

「殺されたくない 殺したくない」



殺されたくない 殺したくない


マンガでわかる
新安保法制=戦争法案のキケン

(全国商工新聞)2015年6月1日
http://www.zenshoren.or.jp/heimin/anpo/150601-01/150601.html
安倍政権は5月15日、憲法9条を破壊する安保法制=戦争法案を国会に提出し、今国会での成立を狙っています。二度と戦争をしないと誓った戦後日本のあり方を大転換させ、米国と一緒に日本を海外で戦争する国につくり変えようとするものです。その危険な内容を漫画で解説します。
マンガでわかる新安保法制



堕ちるところところまで堕ちた自民党
どうなる憲法学者たちの反乱の結末
(日刊ゲンダイ)2015年6月11日
憲法学者の決起が全国に広がり世論にも火がついているが、それに対する自民党政治家の反論は聞くに堪えない。改めてチンピラ政権の正体と劣化が暴露されたが、もがけばもがくほど墓穴を掘り6月24日の会期内衆院採決は絶望
堕ちるところところまで堕ちた自民党_1

 どこまで国民をバカにすれば気が済むのか。
 憲法学者3人から、安保法案は「憲法違反だ」と批判された安倍内閣がきのう(9日)、「反論」の見解を発表した。いったい、どんな説得力のある「反論」が出てくるのか、どんな「合憲」の根拠を示すのか注目されたが、トコトン国民をなめ切ったものだった。
 「合憲」の根拠は、1972年の「政府見解」だというのだ。昨年夏、「集団的自衛権は合憲」と憲法解釈を変更した時も、この「政府見解」を根拠にしている。
 要するに、新しい「根拠←はゼロ。従来の見解を繰り返しただけだった。憲法学者3人は、安倍内閣が1972年の「政府見解」を根拠にしていることを十分承知しながら、「憲法違反だ」と国会で批判したのに、それでも平然と同じ根拠を持ち出してきたのだから、なめるにもほどがある。そもそも、1972年の「政府見解」は、「集団的自衛権は行使できない」とハッキリ結論づけているのに、どうして「合憲」の根拠になるのか。┐(´д`)┌
 恐らく、どこをどう探しても、合憲の根拠が見つからなかったのだろうが、いかにこの安保法案がデタラメかを証明している

堕ちるところところまで堕ちた自民党_2

憲法学者にイチャモンつける異常

 それにしても、自民党の対応はヒドすぎる。国会で「憲法違反だ」と批判した学者3人にイチャモンをつけ始めているのだ。
 憲法学の権威3人から本質を突かれ、慌てふためいているのだろうが、正論を囗にした学者にケチをつけるとは、どうかしている。完全にヤキが回っている。
 高村正彦副総裁は「憲法学者の言う通りにしていたら日本の平和と安全は絶対に守れない」と言い放ち、二階俊博総務会長は「あくまで参考意見だ。大ごとに取り上げる必要はない」と無視を決め込み、稲田朋美政調会長は「国の安全を守るのは憲法学者じゃない」と、学者を軽んじる発言をしている。( ̄^ ̄)凸
 しかし、3人の憲法学者は、国会から呼ばれたから参考人として発言したのであって、そのうちのひとり、長谷部恭男・早大教授は、自民党が推薦している。自分たちで招いておきながら、発言が気に入らないからといってイチャモンをつけるなんて許されるのか。とんでもない話だ
 「参考人を呼ぶのは、素人の国会議員では気づかないこと、知らないことを専門家から聞いて、立法に生かすためです。参考人には税金から日当も支払われます。なのに、聒を聞きながら、参考にするつもりもなく、ケチをつけるなんて失礼ですよ。だったら、なぜ呼んだのか。しかも、3人の憲法学者がどう間違っているのか、論理的に説明できない。もし、3人が『合憲』と発言していたら、自民党は『学者も賛成している』と喧伝したのではないか一学者を都合よく利用しようとしたとしか思えません」元法大教授・五十嵐仁氏=政治学)
 参考人として発言した小林節・慶大名誉教授、笹田栄司・早大教授、長谷部恭男・早大教授の3人は全員、憲法学の重鎮である。さらに、全国の憲法学者約190人が安保法案に反対する声明を発表している。もはや、安保法案が憲法違反なのは明らかだろう。
 菅義偉官房長官は「違憲ではないという学者もいっぱいいる」と豪語しているか、だったら、いますぐ「合憲」と考えている憲法学者を1OO人呼んでくるべきだ。

国民が反対しても黙殺の自民党議員

 自民党の劣化は10年前から指僧されているが、もはや堕ちるところまで堕ちたのではないか。
 さすがに、かつての自民党は違った。権威ある学者3人から批判されたら、謙虚に受け止めたものだ。「ちょっと立ち止まろう」と党内から自然にブレーキがかかり、ベテランか暴走する執行部をいさめた。少なくとも、自分たちが招いた学者をバカにするような無礼な態度は取らなかった。
 ところが、安倍晋三が総理大臣に返り咲いてから、党内の空気は一変してしまった。国会議員が400人もいるのに、誰ひとり安倍首相に異を唱えようとしない。たとえ間違っていると分かっていても、嫌われないように、安倍首相が推し進める政策を一緒になってゴリ押ししている。その結果、自民党全体がヒステリックに憲法学者を攻撃しているのだから末期的である。
 「さすがに自民党議員だって、安保法案に無理があることは分かっているでしょう。誰が見ても憲法違反ですがらね。でも、安倍首相が怖くて囗にできない。逆らったら人事で干され、選挙の時、公認してもらえなくなるとビビつている。小選挙区制が導入されたことも大きいですが、やはり一番は自民党議員の劣化だと思う。公認さえされれば当選できると、国民よりも執行部の顔を見ている議員
が圧倒的です
。10年前、20年前は、国民が反対する法案には異論が噴出しだのに、これだけ国民か反対している安保法案に反対する声は聞こえない。自民党は完全におかしくなっています」(政治評論家・森田実氏)

幹事長の街頭演説に「帰れコール」

 3人の憲法学者が「憲法違反だ」と(ツキリ発言したことで、安保法案に反対する声が一気に広がっている。
 先日7日(日)、自民党が街頭演説で「安保法案」の成立を訴えると、市民から一斉に「帰れコール」が湧き上がり、真っ青になった谷垣禎一幹事長は20分で演説を打ち切っている。先週6日(土)に開かれた「立憲主義の危機」というシンポジウムにも、収容700人の会場に1400人が詰め掛けている。
 もはや、6月24日の国会会期中に安保法案を成立させることはもちろん、衆院の通過さえ難しい状況である。
 安倍自民党は、国会の会期を延長し、最後は数の力で押し通すつもりらしいが、もし「強行採決」したら、自民党は本当に終わりだ。政治評論家の本澤二郎氏が言う。「自民党の街頭演説に市民が声を上げ。演説中町に追い込むのは、よほどのことです。自民党は憲法学者に反論していますが、墓穴を掘っている。自民党がム牛になればなるほど、庶民は安保法案に対して疑いの目を強めている。もともと、世論調査でも安保法案には反対が多かったが、憲法学の権威3人が遍法違反ダと明言したことで、庶民は”やっぱりそうか””そうだよな”と確信したのだと思う。それでも自民党が採決を強行して成立させようとしたら、国民は黙っていないでしょう。国会をデモが包囲し、全国の裁判所に違憲の申し立てか殺到し、あらゆる選挙で自民党を敗北させようとすると思う。自民党議員は、本当にそれでいいのか、考えるべきです
 いま安倍官邸は、大手メディアを使って世論の空気を変える策略を練っているという。憲法学者と国民の分断も考えているらしい。しかし、姑息な手段か通用すると思ったら、大間違いだ





戦争は「平和」を掲げてやってくる
焦点・論点 東京大学名誉教授(政治学)石田雄さん
(しんぶん赤旗)2015年6月1日

 東大社会科学研究所所長を務め、日本軍国主義の背景や要因を研究してきた石田雄さん(91)。学徒出陣から復員後、東大法学部で丸山真男ゼミに参加、戦後政治学を牽引(けんいん)してきました。憲法9条全面破壊の戦争法案の審議も始まるもと、思いを聞きました。
聞き手 中祖寅一
写 真 橋爪拓治

戦争は「平和」を掲げてやってくる_1

憲法守る主権者の力を示すとき

 もともと左翼文学少年たった自分が、軍国少年となり、軍隊での生活を通じ、終戦の時にはポツダム宣言を読んでも、どうして日本が戦争をやめるのか、隊員に説明できないほど理解力を失っていたのはなぜか-。
 私は戦後、どうして自分が戦争に加担したのかを反省、探求するために研究者となり、軍国化の要因について研究してきました。
 いま安倍晋三首相は、アメリカとの切れ目のない戦争協力の体制を進める一方で、「徴兵制になることは絶対にない」などと言っています。しかし、自衛隊に犠牲者が出れば、たちまち自衛隊の応募者が少なくなり、徴兵制になりかねません。私の孫の世代や、さらに若い世代の人たちに、また戦争で人殺しをさせることになる。そうなったら、私か戦後70年間勉強してきたことは一体何だったのか、生きてきた甲斐(かい)がない。大きな責任も感じます。せめて生きている間に、できるだけのことをしなければと思っています。
 警告したいのは「戦争」と「平和」という言葉の使われ方です。安倍首相の「積極的平和主義」という言葉には注意が必要です
 積極的平和主義を、もし「ポジティブーパシフィズム」と訳せば、あらゆる物理的暴力だけでなく、経済的搾取や貧困などの構造的暴力にも反対する概念です。しかし、安倍首相は決してそんなことは言いません。「積極的平和主義」を英語にするときには、[平和に貢献するために積極的に行動する]というように変えています。この場合の「積極的」ということは、実は「武力に頼る」という意味です

 ■ ■

 安倍首相の言葉を聞いて、私自身も平和を望みながら軍国化の道に進んだことを思い出しました。
 1931年、小学生のときに満州事変が起こって以降、10年間、日本は中国での軍事衝突を「事変」と呼び、戦争ではないという建前で戦争し、多くの人を殺しました。
 私か影響を受けた戦前の哲学者・三木清でさえ、1939年に「今次事変の世界史的意義」として、時間的には資本主義間題の解決であり、空間的には東亜統一の実現にあると述べました。つまり欧米帝国主義とそれと結んだ中国をやっつける。そうすれば大東亜共栄圏ができ、平和がやってくるといった。左翼文学少年だった私は、貧困問題も解決できるのだと思って、軍国少年へと変わっていったのです。
 ところが二十歳になり軍隊に入ると、人を殺さなけれぱならないことに気づきました。しかし、自分には銃剣や軍刀で大を直接殺すことはできない、海軍ならば遠くから撃つだけだろうと思って、海軍を志願し、結局、陸軍になりました。
 しかし軍の教科書を読むと、軍は戦闘する組織で上官の命令は絶対です。命令の是非を論じたり、理由を問うことは許されない
 人を突き刺す突撃訓練をしながら、理由もなく殴られそれを叩き込まれます。いつでも誰でも、命令で人を殺す命令に従わず殺さなければ陸軍刑法では最高死刑でした
 言われたことに対し問いかけが許されない状況に追い込まれ、例えば「平和のための戦争」に異を唱えられない一方的な関係になると、人の思考能力が失われ、組織や社会全体が勳かなくなります。
 戦争と軍隊は人の思考能力を奪う。言葉の意味を間うことを許さない軍事的社会と戦争は、人の理解力を奪ってしまうのです


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 さらに言論が制限され人々の行動の範囲が狹くなるもとで、「特攻隊を志願するものは?」と聞かれると、競って一歩前に出るようになります。そのような忠誠心の競争が起こると、最後は支配者をも自縄自縛にして、いったん始めた戦争をやめるにやめられないことにもなる。実際、戦争末期にはそういう状態になりました。
 今、特定秘密保護法や政府の言うとおりに教科書を書かせる、日の丸・君が代の強制などが起こっています。安保法制を[戦争法案]と批判したら議事録から削除するという脅しもありました。これら言論の統制、思想動員の動きは、戦前の教訓から見て非常に警戒すべきです。
 安倍首相には取り巻きがいて、右翼的な世論を煽って人気を取ろうとするけれども、それで自縄自縛に陥って、首相自身、引っ込みがつかなくなる危険もあります。
 戦前と比べ、現在はより悪くなったところもあることに注意を向けたい。日独伊三国同盟の中で、日本は決してドイツに従属していたわけではありません。しかし、現在、日本はアメリカに従属する安保体制のもとにあり、4月末のガイドライン(軍事協力指針)でも、世界中のどこへでも出かけて、アメリカに切れ目のない戦争協力をすることになっています。
 より怖いのは、グローバル化した世界で、アメリカの武力行使に加担すれば、世界中で報復を招く。日本人が世界中でテロにあう危険が高まることです。国内50力所以上の原発が狙われれば、核攻撃を受けるのと同じです。今までより報復の危険が大きい。危険になるのは自衛隊員だけではないのです。
 一方、戦前との決定的な違いもあります。
 戦前は天皇主権だったのに対し、現在は国民主権の時代であり、平和憲法を武器にして国民が声を上げていけば、十分抵抗していくことはできます。みんなで声を上げ、行動し、安倍政権の戦争政策を批判することです。

 ■ ■

 さらにいま差し迫っているのは、憲法9条をどうするかという当面の闘争の問題です。
 重要なことは、9条は、それだけでは書かれた文字にすぎないが、それを生かすのは主権者の力だということです
 9条をめぐっては自衛隊を合憲とするか、専守防衛を認めるか、PKO(国連平和維持活動)で派遣しても武器を使わないなど、いろいろな段階がある。憲法の解釈論でもありますが、どこまで認めるかは、最後は世論の問題です。
 90年代以降、海外派兵が拡大し既成事実がつくられました。イラク派兵は、実際には違憲ですが、ぎりぎり自衛隊が直接殺すことはなかった。それに歯止めをかけたのは、憲法9条を生かそうという主権者の運動の力です。いまその力が問われている
 公明党は「新3要件」は歯止めだといっていますが、時の政府の判断に任せる限り、全く歯止めにはなりません彼らに明確な歯止めを示せなければ、次の選挙で負けると世論の力でわからせる。どこまで与党に圧力をかければ、世論による歯止めを実際に機能させられるか、ここを突き詰めていく必要があります
 私たちには、長期的な課題もあります。
 言論統制や思想動員が強まる中で、言葉の創造的機能が失われないようにする努力が必要です。そのために人々が絶えず問いかけ、自分と違った意見と交流し、自分の思考を確かめる。自分よりも不利な状況にあり発言しにくい人の立場にたって、すべての人が発言できるように努力する。現在では非正規労働者など、深刻な状況に追い込まれ、言葉を発することが難しい人々の存在を考えることも重要です。
 その努力によって初めて、思想と言葉の本来の機能が発揮されるのではないでしょうか。そうした社会の動きがある限り、希望は持てます。いまいろいろな草の根運動が起き、考える空気が大きくなっていることは希望です。共産党にはそれを支え、励ますような役割を積極的に果たしてもらいたいと思います。



米国の戦争 無法の数かず
 戦争法案で参戦の危険
(しんぶん赤旗)2015年6月8日

 安倍政権が戦争法案で可能にしようとしている集団的自衛権の行使は、「密接な関係にある他国」=米国の戦争をどうみるかが核心となります。日本共産党の志位和夫委員長は5月28日の衆院安保法制特別委員会で米国の侵略戦争の実態を示し、政府に認識をただしました。質疑からは、米国の無法な戦争に一度の批判もせず、米国の戦争がねつ造と分かっても、当時も今も米国に説明を求めず、誤りを反省しない姿が浮びあがりました。これらの米国の戦争を特集しました。

米国の戦争無法の数かず戦争法案で参戦の危険_1

国連が非難した先制攻撃

グレナダ侵略

 1983年10月25日、米国はカリブ海に浮かぶ人口約11万人(当時)のグレナダに対し、東カリブ海6力国軍を引き連れて上陸・侵攻しました。
 直前に同国で起こった政変にたいする「自国民保護」と「グレナダの秩序と民主主義の回復」(レーガン米大統領)が侵攻の口実でした。
 しかし、当時、在留米人も「われわれの安全は守られていた」などと証言するなど、その口実は崩壊。さらに、侵攻の計画・準備がすでに79年から行われていたことが明らかにされています
 侵攻3日後には侵略軍は約6000人におよび、グレナダとその周辺に配置された米兵は約1万6000人に達したといわれます。
 侵攻当日には、グレナダ政府軍と侵略軍との戦闘で、民間人を中心に約700人が死亡したといわれました。
 米政府は、グレナダの革新政権を、その発足当初から敵視し、一貫して転覆を画策してきました
 米国の横暴にたいし、国際社会は、「国際法及びグレナダの独立、主権、領土保全の重大な侵害」(国連総会決議)とする厳しい非難の声をあげました。
 ところが日本政府は、米国によるグレナダ侵攻の翌日には、中曽根康弘首相が、「遺憾だが、理解できる」と表明。同国運決議には棄権の態度をとりました。
(表参照)

米国の戦争無法の数かず戦争法案で参戦の危険図版

リビア爆撃

 米国は86年4月15日、新鋭戦闘爆撃機(当時)30機以上を投入し、リビアの首都トリポリペンガジにたいする大規模な爆撃を強行しました。
 レーガン米大統領は爆撃の理由として、同年4月5日に独西ベルリンのディスコで起きた爆弾テロにふれ「(リビアのカダフィ大佐が)テロを今後行わないよう防止するための防衛手段だ」と主張。リビア爆撃は、具体的証拠にもとづくテロ事件真相究明も、その公表もないままでの暴挙でした。
 そもそもテロ行為のような国際犯罪は、国際法にのっとって犯人の逮捕、処罰を行い、それに関与した政府の責任を厳正に問うのが国際的なルールです。
 空爆を受けたトリポリ市街では、被害は一般市民や仏大使館などにも及びました。当時、米ABCテレビの特派員は破壊された住宅地域の映像を伝え、多くの子どもが病院に運ばれていると報じました
 爆撃は、同年1月から態勢づくりが進められていたことが明らかになっています
 国際社会は、米国による爆撃を「国連憲章と国際法の侵害」と断じました。
 一方、米ワシントンに滞在していた安倍晋太郎外相は4月15日に「米国がこの攻撃をテロに対する自衛措置と説明していることは、米国としての理由がある」と早々と理解を示しました。スピークス米副報道官は16日の記者会見で「日本政府も支持している」と語りました。

パナマ侵略

 パナマ侵略は、89年12月20日午前1時にプッシュ米大統領(イラク戦争時のプッシュ大統領の父)が、パナマ国軍司令部への攻撃を命令したことで始まりました。ノリエガ国軍司令官を逮捕し、パナマ運河の保全と米市民の安全を守ることが目的とされましたが、実際は、米国によるパナマ運河の支配の継続をもくろんだものでした。
 米報道官は20日の記者会見で、12月15日にノリエガ氏が米国との「戦争状態」を宣言し、その翌日に非武装の米軍兵士がパナマ国軍兵士に銃で撃たれて死傷したことなどを指摘。「大統領が準備していた命令を発令した」と言明しました。
 そもそも「戦争状態」宣言が、「あらゆる手段でノリエガを追放する」と軍事介入を示唆していたプッシュ氏への対抗措置という側面を持つものでした。
 米4軍2万4000人が投入された侵攻作戦は年明けの1月3日にノリエガ将軍が逮捕されるまで続きました。米軍はこの間に4千人を超えるパナマ人を逮捕。住宅密集地への砲爆撃は多数の市民を犠牲にしました。
 米国のパナマ侵略を、国際社会は「国際法と諸国の独立、主権、領土保全へのはなはだしい侵害」と厳しく非難しました。
 一方、日本政府は中山太郎外相が91一日に談話を発表し、「多くの死傷者を出す事態になったことは遺憾」としながら、「米国が自国民を保護する軍事行動をとらざるを得なかった背景は理解する」と表明しました。
(山田英明)

米国の戦争無法の数かず戦争法案で参戦の危険_2

うそとでつち上げで侵略

ベトナム戦争

 ベトナム戦争は、1950年代末から75年まで、アメリカがベトナム南北統一の実現を妨害して、ベトナム南部に介入、侵略し、北部のベトナム民主共和国を破壊しようとした侵略戦争です。
 米国がベトナム戦争を本格化させた64年の「トンキン湾事件」も、米国のでっちあげによるものでした。
 同年8月2日、米国はベトナム北部のトンキン湾で、米駆逐艦マドックス号が「国籍不明」の魚雷艇に攻撃を受けた、と発表しました。さらに4日には、北ベトナム魚雷艇から攻撃を受けて、応戦し、2隻を撃沈したと発表。5日、米軍は北ベトナムに「報復」攻撃を開始しました。
 米議会は7日、戦時権限を大統領に白紙委任する決議(トンキン湾決議)を、圧倒的多数で可決。これ以後、大規模な北ベトナム爆撃を実行にうつし、65年3月には南ベトナムでの地上戦を本格化させました。
 しかし、米政権の「トンキン湾事件」の発表に、国内で疑問が持ち上がりました。68年には
米議会で真相究明の質疑が行われました。
 71年、米紙が「国防総省秘密報告(ペンタゴン・ペーパーズ)」を暴露。米政権が戦争拡大の筋書きを数力月前から計画しており、「トンキン湾事件」は、米軍の軍事挑発が原因だったことが明らかになりました
Pentagon Papers
 94年には、64年8月4日の魚雷攻撃がでっちあげだったと、当時米国防長官を務めたマクナ
マラ
氏が証言。米国自身がうそを認めたのです。
 ベトナム戦争は、ベトナムの国土を破壊し、多くの犠牲を残しました。米国は大量の砲撃弾、非人道的な枯れ葉剤等の化学兵器を使用。ベトナム人約300万人、米兵約6万人が死亡しました。
 今でも苦しみは続きます。猛毒のダイオキシンを合む枯れ葉剤を浴びた住民は約450万人にのぼり、先天障害を負った子どもは15万人。完全処理に100年かかる不発弾が、大量に残っています。米側の兵士の1割が、今も心的外傷後ストレス障害に苦しんでいます。
(熊谷愛希)

Viet-Duc in Tu Du Hospital in1988

イラク戦争

 2003年3月20日、米英軍がイラクの首都バグダッドを空爆して、イラク戦争を開始しました。ブッシュ米大統領は、開戦の最大の口実として、イラクのフセイン政権が大量破壊兵器を保有していると断定しました。安保理の支持がなく、国連憲章と国際法に根拠を持たない、無法な先制攻撃は、後にその口実もウソだったことが分かりました
 イラクの大量破壊兵器の保有については、国連の査察による平和解決の取り組みが、国際社会の大多数の支持のもとに、本格的な軌道に乗りつつあるときでした。
 フランスのドビルパン外相は国運査察が機能している中での武力行使は正当化されないと指摘するなどし、ロシア、中国、ドイツなども反対を示しました。アナン国連事務総長も米英軍の侵略前、安保理の承認しない武力行使は「国連憲章に合致しない」と警告を発していました。
 もともと、02年1月、ブッシュ氏はイラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼び、体制転覆の意図を示していました。翌年2月、パウエル米国務長官が安保理で「フセイン大統領は大量破壊兵器保有を続けるだけでなく、さらに製造しようとしている」と断言し、イラク侵攻を正当化していました。
 大量破壊兵器に関し、米大統領が任命した独立調査委員会が米情報局の誤りを指摘する最終報告を出したのは05年3月。その最終報告で、イラク攻撃前の大量破壊兵器に関する情報のほとんどすべてについて、米情報当局が完全に誤っていたと結論付けました。プッシュ氏は同年12月、ワシントン市内での演説で、誤りを認め、「大統領として、イラク攻撃を決定した責任は私にある」と言明しました。
 イラク戦争が終わったのは11年12月。8年9ヵ月に及んだ後に、最後の米軍部隊が撤退しました。イラクでは10万人以上の民間人が犠牲になったとされ、侵攻した米国の側でも約4500人の兵士が死亡しました。心身に傷を負った多数の若者が社会復帰に今も苦しんでいます。
(呉紗穂)
(肩書は当時)

米軍によるバスラ市爆撃の犠牲者50人の一部

日本政府検証・反省なし

 日本政府は、米国のベトナム、イラクの二つの侵略戦争を無条件に支持し、協力者となりました。
 米国がでっちあげた「トンキン湾事件」について日本政府は「ベトナム側の攻撃があった」(椎名悦三郎外相、1964年8月10日の衆院外務委員会)と断定し、米国の「自衛権」の発動を「やむを得ざるもの」(同)と支持。在日米軍基地をベトナム攻撃の最前線基地として使用させました。
 米国自身が「トンキン湾事件」をねつ造と認めても日本政府は米国に公式な説明を求めず、「有権的な判定をする立場になく、コメントを差し控える」(岸田文雄外相)との対応。いまに至るもまともな検証も反省もしていません
 イラク戦争でも日本政府は開戦前から「イラクは大量破壊兵器を保有している」(小泉純一郎首相)と断定。根拠もないのに世界でいち早く戦争支持を表明し、ブッシュ米大統領を喜ばせました。さらに自衛隊をイラクに派兵し、この戦争の協力者となりました。
 外務省は2012年12月、イラク戦争に関する検証報告概要を公表しました。ところが「事後イラクの大量破壊兵器が確認できなかったとの事実については、我が国としても厳粛に受け止める必要がある」と指摘するだけで、[反省]「誤りだった」との認識を示さず、「イラク戦争の核心はイラクが度重なる国連決議に違反し続けたことだ」(岸田外相)と問題をすり替えています。米英首脳が「大量破壊兵器の保有」の情報の誤りを認めているのに、外交ルートを通じてそのことを確認さえしていません。

究極の対米従属

 米国の戦争をみたとき鮮明になるのは、日本政府の究極の対米従属ぶりです。安倍政権が戦争法案で集団的自衛権を発動し、米国とともに海外での戦争に踏み出すことがいかに危険かを示しています。
 憲法9条の制約の下で、ベトナム戦争のさいには、日本の協力は在日米軍基地の使用にとどまり、イラク戰争のさいには、自衛隊を派兵したものの、「非戦闘地域」での支援にとどまりました。
 しかし、この法案が通れば、根本的に事態は変わってきます。米国の無法な戦争に、自衛隊が武力行使をもって参戦することになります。「日本が侵略国の仲間入りをすることになる」。志位委員長は5月28日の衆院安保法制特別委員会で、こう告発しました。